親しい人であったとしても、その人を全て知っているわけではないし、知らない方が良いのかもしれないけれど、知らない分だけその訃報に接すると人生あっけないものだなと感じるのは、自分の記憶と比べてしまうからかもしれない。
長く付き合ってきたその人との記憶は断片的な静止画だ。
動画の記憶もあるけれど、なぜか声を思い出せない。
声を聞けば思い出せるけれど、その逆はできない。
それは匂いでも同じだ。
視覚からの記憶しかないのだろうか。
笑顔や会話の内容黒やピンクといった色は鮮やかに覚えている。
会話の内容もいずれ薄れてしまうだろうからそうなる前に書き留めておいた方が良いかもしれない。
お釈迦さまや孔子の弟子たちの様に関係者を集めてこんな話やあんな話を集めていくと、その人の人生が浮かび上がってくるのかもしれない。
しかし、そんな話をする機会すらコロナは奪ってしまった。
ひっそりと逝ってしまった先輩の記憶を思い出しながら噛み締めよう。
志しは引き継ぎます。
お疲れ様でした。