蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『ヘレン・ケラー女史 来朝記念写真集』 (1937.7)

2012年12月13日 | 人物 作家、歌人、画家他
 ヘレン・ケラー 〔Helen Keller〕 女史 来朝記念写真集 昭和十二年七月 非売品 昭和十二年 〔一九三七年〕 七月二十五日発行 金富堂写真部 〔15.5センチ、19頁〕

 ヘレンケラー女史の面影

 女史は、一八八〇年六月二十七日、北亜米利加合衆国アラバマ州タスカンビア町に生れ、生後十九ヶ月目に熱病で、一時に耳と目の両感覚を失つた。満七歳少し前に、アンニー・エム・サリヴアン嬢によつて、その言葉の教育が有効に行はれて、知識の戸門が開かれ、思想の発展又極めて顕著なるものがあつた。十歳に及んで口にて語らんとする強烈なる衝動にかられて、苦辛努力の結果、遂に発音発語に成功し、その全教育の進歩又、甚だ顕著であつて、世人をして驚嘆せしめた然るに女史の稀有なる好学心と向上心とは、初等教育に満足する所とならず、更に高等専門の教育に志し、困難なる入学試験を突破して、二十歳にしてラツドクリフ女子大学に入学し、四ヶ年の過程を見殊に修了して卒業の栄冠を與へられた。実に盲聾者にして、大学を卒業するに至つたことは、空前であつたのみならず、その後に於ける修養研鑽の結果、その思想の豊麗深遠なる、その徳性の円満崇高なる、蓋し絶後と称するも決して溢美ではなからう。嘗て米国の文豪マーク・トーウエン氏は、十九世記には世界的二大偉人が出た。それはナポレオンとヘレン・ケラーである。前者は剣を以て世界を征服せんとして遂に破れたか、ケラーは思想の力を以て、永遠に人類の大なる炬光となつたといふ様なことを言つたことがある。誠に然りである。
 此の世界的の偉人、人類愛の戦士たるケラー女史は、昭和十二年春爛漫なる四月十五日、万里の波濤を越えて本邦に来朝せられ、邦人は親しく女史に接する機会を得た。時恰も新宿御苑の観桜御会の開かるゝありて、御召の恩命を賜はり、又高松宮御殿にも伺候を差許さるゝの光栄を蒙り全国民又空前の熱誠を以て女史を歓迎した。爾来女史は三ヶ月に亘りて、全国各地に於て講演を行ふこと七十七回、其他の会合に出席し、又四十校以上の聾学校及び官立学校を訪問して、所謂奇跡の声を発し、豊麗なる思想と温雅なる聖容を示し、日本国民に聖女の語を冠らしめるに至つた。女史は本邦における盲及び聾者の教育並に、福祉事業の発展に絶大の熱意と努力を以てし、口を開けば必ずやこの事に及び、その深厚絶大なる人類愛には、真に驚嘆と敬服に堪へないものがある。而も女史の高遠なる思想は、本邦民の崇敬する神社仏閣に詣でては、日本精神を体得すること無比たらしめ、又その鋭敏なる感覚は、美術工芸の優秀なる作品に接して、非凡なる心眼を以て之を鑑賞せしめ、吾人をして転た観賞おく能はざらしめて居る。
 本写真帖は、女史の来朝を永遠に記念する為に、本邦に於ける女史の活動の諸相と、女史が本邦人の生活を満喫し、我が芸術を鑑賞する所の光景を、彷彿せしむるに足る、各種の写真十八葉を蒐輯したものである。

 写真

                

 ・ポリー・タムソン女史 ヘレン・ケラー女史
 ・四月十五日来朝第一日の聖女【帝国ホテルに於て】
 ・徳川侯邸に於ける歓迎午餐会
 ・徳川侯邸に於て日本美術に陶酔する聖女
 ・徳川侯邸講堂にて‥‥【其の一】
 ・徳川侯邸講堂にて‥‥【其の二】

              

 ・古都奈良にて‥‥【其の一】 (主婦之友社撮影)
 ・古都奈良にて‥‥【其の二】 (主婦之友社撮影)
 ・主婦之友社長邸に於て (主婦之友社撮影)
 ・軍人会館に於て
 ・羽折を着てカナリヤを相手に悦ぶ二女史
 ・所・日比谷公会堂 日本音楽の鑑賞 【其の一】 弾奏は宮城道雄氏 (東京朝日新聞社撮影)
 ・所・日比谷公会堂 日本音楽の鑑賞 【其の二】 弾奏は吉田晴風氏 (東京朝日新聞社撮影)

            

 ・東京聾唖学校講堂に於て
 ・徳川侯邸講堂にて 【其の一】 (署名はケラー並にタムソン女史)
 ・徳川侯邸講堂にて 【其の二】
 ・徳川侯邸講堂にて 【三】
 ・七月五日日米国大使館に於て‥【右より廣田外相・聖女・米国大使・タムソン女史】

  

 盲・聾・唖の聖女 ヘレン・ケラー博士とライト・ハウス  

   桃谷順天館奉仕部パンフレツト 「女性之光」 第三輯 昭和十二年 〔一九三七年〕 四月廿五日発行 昭和十二年五月三日三版 編輯兼発行者 桃谷勘三郎 発行所 桃谷順天館奉仕部  〔19.2センチ、本文10頁〕

 見返し

 「ヘレン・ケラー女史に託されたルーズベルト大統領のメツセージ」・写真「ルーズベルト大統領」

   「三重苦」の聖女ヘレン・ケラー女史は三月二十五日午後五時半ニューヨークを出発、日本訪問の旅程についたが、出発にあたりルーズヴェルト大統領は特に次のメッセージを託した。
      X                          X
   女史今回の日本訪問より肉体的困苦に悩む日本人は不断のインスピレーションを受けることを確信する、さらに女史が今回の訪問で人道的事業に携はる日本人ならびに日本の各団体と親しく交際する結果、日米両国民の親善友好関係に寄与するところ甚大であらう、国家間の親善関係はつねに国民相互間の親善に依存するが女史は申し分ない親善使節としてアメリカ国民衷心からの挨拶を日本国民へ伝へられることを切望する

 ・「詩聖タゴール翁と語るヘレン・ケラー女史」

  

 本文は、桃谷順天館編輯の「ヘレン。・ケラー博士小伝」他である。

 〇盲・聾・唖の聖女 ヘレン・ケラー博士小伝

 はしがき
 父母のねがひ
 サリヴアン女史


 当時、電話の発明家として世界に名声を轟かしてゐたグラハム・ベル博士は、その老母が晩年に聾になつたために聾唖教育に多大の関心をもつてゐましたが、不幸な少女ヘレン・ケラーの話をきゝ、何とかして一人前にしてやりたいと思つて、かつてサミエル・ハウ博士が盲唖教育で尽粋されたので有名なパーキンス盲学校にその事を相談されました。そのしてその結果、同学校を卒業したばかりのアン・マンスフスキールド・サリヴアン女史がヘレン・ケラーの家庭教師として選ばれる事になりました。時にサリヴアン女史は芳紀まさに二十一歳、ヘレン・ケラーが七歳になつた春の事です。
 かくて、サリヴアン女史は、七十歳にいたるまで、即ち昨年十月に長逝されるまでの約五十年間といふ長い歳月を、文字通りヘレン・ケラー博士のために全身を捧げ尽くしたのです。たゞ一人の不具者を教育するために、一生涯を捧げ尽したサリヴアン女史!何といふ尊い一生でせう!それであるだけにまたどんなにそれが難しい仕事であつたでせう!サリヴアン女史の努力は全く筆紙につくせぬものがありました

 文字を知るまで
 無形の物を知るまで
 口で語るまで
 栄冠を得るまで
 全世界讃嘆の的
 女史の信仰
 むすび


 〇ヘレン・ケラーを語る 〔一部省略〕

 ルーズベルト大統領曰く

  ▲ヘレン・ケラー博士は盲聾唖の三重苦を突破して今日アメリカに於てゆるされたる学術の最高峰を往くのみならず闇に住む同胞のために日夜寝食を忘れ献身しつゝある事は実に驚嘆の限りである。彼女こそは『アメリカの国宝』としして推すべき存在である。

 文豪メーテルリンク曰く

  ▲青い鳥を見出した女性!
    ヘレン・ケラーこそは私の著『青い鳥』の中に秘められた幸福を見出した唯一の女性です。ヘレン。ケラーをおいてこの祝福を受ける資格者は他にありません。

 文豪マークトウエン曰く

  ▲十九世紀の奇蹟!
    十九世紀の奇蹟は不可能を可能にしたボナパルト・ナポレオンであり、今一人は盲聾唖の女性ヘレン。ケラーである。

 山室救世軍中将曰く

  ▲神の力の活ける證明!

 桑木文学博士曰く

  ▲懦夫を起たしむ!

 〇ヘレンケラー博士を招聘せる ライト・ハウスとその愛盲事業 ライト・ハウス館長 岩橋武夫
 〇ライト・ハウス館長 岩橋武夫先生

 裏の見返しには、写真5枚がある。

  

  ① 指話するサリヴアン先生とヘレン・ケラー女史
  ② 幼き日のヘレンケラー女史とサリヴアン先生
  ③ 大阪中央公会堂にて講演中のヘレンケラー女史(右端)
  ④ ライト・ハウスの於けるヘレン・ケラー女史(向つて右よりケラー女史、トムソン女史、岩橋先生(写真③④は桃谷順天館奉仕部撮影)
  ⑤スピーカーに手を触れてラヂオを聴くヘレン・ケラー女史」がある。

 裏表紙には、次の表がある。

 

 ヘレン・ケラー博士日満巡講演日程表 (昭和十二年四月十一日現在調)

 横浜   四月十五日  郵船浅間丸 
                臨時列車東京へ
 東京   四月十六日  宮内省外務省米国大使館訪問
       四月十七日  内務省文部省訪問
       四月十八日  市民歓迎会 
               歓迎晩餐会
 大阪   四月十九日
       四月二十五日
 東京   四月二十六日
       四月三十日
 横浜   五月一日   港記念館 二回
 横須賀  五月二日   海軍下士官兵集会所
 箱根   五月二、三日 静養
 静岡   五月四日   公会堂その他
          五日
 名古屋  五月五日   公会堂 一回
          六日   その他 二回
 彦根   五月七日   高商
 大津   五月七日   教育会館
 京都   五月八日   朝日会館其他
       五月十日
 奈良   五月十一、十二日   女高師及休養
 神戸   五月十三、十四日   海員会館他四回
 岡山   五月十五、二十日   静養
       五月二十一日     岡山公会堂其他
 広島   五月二十二、三、四日 教育会館
 下関   五月二十五日     梅光女学院
 福岡   五月二十六、二十七日 九大其他 三回
 長崎   五月二十八、二十九日 勝山小学校
 雲仙   五月二十九、三十日  静養
 熊本   五月三十一日     公会堂
       六月一日
 大分   六月二日       
 大阪   六月四日       
       六月七日
 岐阜   六月八日       市公会堂
 金沢   六月九日       市公会堂
       六月十日
 長岡   六月十一日      公会堂
 新潟   六月十二日
 秋田   六月十三日      二回
 大鰐   六月十四日、十五日  静養
 弘前   六月十六日
 青森   六月十七日
 湯ノ川  六月十八日      静養
 函館   六月十九日 
 湯ノ川  六月二十、二十一日  静養
 小樽   六月二十二、二十三日
 札幌   六月廿四、廿五、廿六日 四回
 盛岡   六月二十八、二十九日  二回
 仙台   六月三十日       二回
       七月一日       
 福島   七月二、三日
 水戸   七月四日
 日光   七月五、七日     静養
 東京   七月七日
 大阪   七月八、九日
 朝鮮   七月十一、十七日   二回
 満州   七月十八、二十四日

 なお、七月七日、北京郊外の盧溝橋で発生した事件により、日中は全面戦争に突入した。

 

 ヘレン・ケラーアルバム 岩橋武夫編 主婦之友社

 ヘレン・ケラー アルバム 序 1948年3月 岩橋武夫 

  目次

 出発にあたりて
 タムスン女史と共に
 一九三〇年当時のヘレン・ケラー
 ケラー女史の両親と妹
 北米アラバマ州タスカンビアにおけるヘレンの生家
 レンサムにおけるヘレンの家
 アニー・サリヴァンとヘレン・ケラー(一八八七年) (アニー二十一歳、ケラー七歳当時)
 ・十一歳当時のヘレンとサリヴァン先生
 ナイヤガラ瀑布にて(一八九三年)
 点字の読書をするヘレン(一八九一年)
 インドの詩聖タゴールと語る(一九〇一年)
 マーク・トウェインとヘレン(一九〇二年)

  ヘレンが二十二歳の時であった。あるお茶の会に招かれて行ってみると、そこに文豪のマーク・トウェインに紹介された。このときトウェインは六十七歳であったが、ヘレンはそれ以来トウェインと大そう親しくなった。トウェインはその後ある雑誌に、『十九世紀に二人の大人物がこの世に生れている。その一人はナポレオンで、他の一人は、三重苦を突破してあらゆるものを征服したヘレン・ケラーである。』と書いた。

 大学在学中のヘレン・ケラー(一九〇三年)
 なつかしい自然(その一)(一九〇四年)
 なつかしい自然(その二)
 大学卒業を前にして(一九〇三年)
 自然の美を(一九〇四年)
 樹上で読書のひとゝき(一九〇四年)
 グラハム・ベルと指話
 『石壁の歌』(一九〇九年)
 正装せるヘレン・ケラーのプロフィル(一九〇九年)
 先生、そしてもう一度、先生
 先生と指話するヘレン(その一)(その二)(その三)
 サリヴァン・メイシー、夫君ジョン・メイシーと共に語る
 ジョセフ・ジェファーソンと共に
 時計を見るヘレン
 カルソーの独唱を聴く(一九一五年)

  イタリヤの生んだ世界的名歌手カルソーがヘレンのために歌っている。彼女はカルソーの唇に手をおいて、その妙なるテノールの旋律を振動によって聞き、鑑賞するのであった。

 楽聖ハイフェッツのヴァイオリンを聴くヘレン・ケラー
 遠乗り(一九一八年)
 ハリウッドにて(その一)(一九一八年)
 ハリウッドにて(そのに)(一九一八年)
 弟と共に(一九一八年)
 愛犬と共に(一九二二年)
 幼き協力者(その一)(その二)
 タイプライターを打つケラー
 世界盲人大会にて
 テンプル大学にて博士号を受く
 悲しみを知る人の顔
 ウェルズと共に(一九三一年)

  評論家、歴史家として、『世界文化史』の著者として有名なエイチ・ジー・ウェルズは、ケラーについて次のように言っている。
  『私はアメリカに行って最も驚くべき人物にあった。それはヘレン・ケラーである。彼女は、英、独、佛、伊、ラテン、ギリシヤの数ヵ国語を解して、世界の思潮に通じている。その見えない眼で、世の哀れな人たちの生活を見る。現代の不正と不義をも見る。即ち彼女は世界の涙を見ている。その聞えない耳で、人道の叫びを聞き、飢えに泣く幼児の泣き声を聞くのである。』と

 グラスゴー大学にて博士号を受く(一九三二年)
 遠き思い出(一九三二年)
 芸術の世界(一九三三年)
 愛犬と戯れるケラー
 日本来朝のヘレン・ケラー(その一)
 日本来朝のヘレン・ケラー(その二)
 日本来朝のヘレン・ケラー(その三)
 日本来朝のヘレン・ケラー(その四)
 ヘレン・アダムス・ケラー年譜

 昭和二十三年 〔一九四八年〕 七月三十一日発行


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