蔵書目録

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「諏訪根自子提琴独奏会」(1946?)

2018年03月21日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

 

 諏訪根自子提琴独奏会  ピアノ伴奏 井口秋子女史 
    時 月 日 所 
 主催 後援 日南殖産株式会社 本社 鹿児島・支店 福岡 
 提供 東宝株式会社

 ・諏訪根自子紹介

 平和のヨーロッパより動乱のヨーロッパにかけて、厳しい勉学と汎ゆる苦難の滞欧生活十年間を送った諏訪根自子は、昨年末再び平和に戻つた故国日本に帰り、其の後約十ヶ月の沈黙を破って、秋の楽壇の最大のトピックとして久し振りに登場した。
 彼女は大正九年一月二十三日東京に生れ、五歳の時始めてヴァイオリンの教へを受け、後に小野アンナ女史に就いて学んだが、その天賦は小野女史に認められ、昭和二年九歳にしてデビューした。十一歳よりモギレフスキー氏に就いて学ぶに到って、当時日本最初の天才少女ヴァオリニストとして我が楽壇を驚かせ、その名は一躍全国に広まった。
 一九三六年故国の声援に送られて十六歳の一少女は先づベルギーの首都ブラッセルに赴き、ショーモン教授に就いて提琴を学んだ。次いで一九三八年巴里へ移り、ロシア人の教授でありティボーと親しいボリス・カメンスキー氏に就て最高技法を修めた。其の後六年間巴里に滞在し、一九三九年巴里ショパン楽堂に初めてリサイタルを開いて好評を博し、又一九四二年にはジャン・フールネ指揮の巴里コンセール・ラムウルと協演して絶賛された。その間独逸、オーストリア、瑞西等各地に数回のリサイタルを開き、何れも大好評を博してゐる。
 一九四五年五月、欧洲大戦の集結に際して、未だ対日戦継続当時の為米軍によって南独に於て抑留されたが。フランスより米国を経由して一九四五年十二月初め無事祖国へ帰還することが出来た。

 

 ・曲目

 (1)シャコンヌ    … ヴイタリ
 (2)協奏曲 嬰ヘ短調 … エルンスト
 (3)A)G線上の歌詞 … バッハ
    B)蜜蜂     … シューベルト
    C)蓮の国    … シリル・スコット(クライスラー編)
    D)鐘      … パガニーニ(ウライスラー編)

 ・楽曲解説 (解説・三浦潤)

 (1)シャコンヌ          … ジョヴァンニ・ヴィタリ
 (2)協奏曲 嬰ヘ短調(作品二三) … エルンスト
 (3)A)G線上の歌調       … バッハ作
    B)蜜蜂           … フランソワ・シューベルト
    C)蓮の国          … シリル・スコット(クライスラー編)
    D)鐘            … パガニーニ(クライスラー編)

 ・諏訪根自子に対する海外批評 
    -スイス・チューリッヒ週刊紙より-

 先週のこと、このシーズンに於けるスイスの演奏会プログラムに、前途極めて有望な一人の若き日本の女流ヴァイオリニストの名が初めて現れた。それは諏訪根自子である愛らしい内気な根自子さんは、実に堂々たるプログラムを引っ提げて登場した。ーそして勝利をおさめた。この女流ヴアイオリニストの芸術的な演奏振りに関しては、専門的な批評にその評価を委ねたいのだが、何時もながら権威あるチューリッヒ日報の批評を次に引用しよう。
              ◆
 「ラロ」の「スペイン交響曲」では、名流の洗練された情熱を以て演奏した。彼女の演奏は、至難を極める技巧の問題を、最も自然な微笑と、そして上品な雅致を以て解決し、これを以て興味深い当夜の熱狂的なクライマックスが作られたのである。尚この女流ヴァイオリニストは、あの個性的なアゴーギックの表現(訳者注ー アゴーギックとは、テンポ・ルバートの弾き方)を、優れた音楽的な感覚と、誤りない確かな音感を以て表現し、それに加へて驚くべき技巧の完璧さ(無限の運指法と卓越した弓使ひ)が、一見何の苦もなく弾き退けるかの如くであった。同様にグルック=クライスラーの豊饒な「ニ短調メロデイ」も、ラヴェルの巧妙にフレーズした「ハヴァネラ」も、すべて高雅な珠玉のやうな音楽となし、最後にハガニーニのペルペトウム・モビレ(無窮動)では、精緻無比の運弓法と共に、運指と運弓が融合の極致を示し、絶対の均整を保ちながら、真に恍惚たらしめるものがあった。
              ◆
 彼女のこのような成果は決して偶然に得たのではない。すでに五歳の時から、幼き根自子は音楽に熱狂を示し、彼女のヴァイオリニストたらんとする熱望は、東京に於ける著名な著述家たる彼女の父と同様に、音楽に多大の興味を持ち続ける母とによって沃土の上に植え付けられた。
 かくて数年ならぬ中に、彼女は東京に於ける弟子の音楽会に出演して、直ちに神童として謳はれ、十五歳になるやその両親は大成を期して彼女をブリュッセルと巴里にやったのである。巴里ではコンセルヴアトリウムで、カミンスキイ教授の下に六年間の研鑽を積んだが、その撓みなき精進は彼女を間もなく一人立ちの出来る芸術家に仕上げ、ジャン・フールネの指揮による巴里ラジオに演奏して、最初の成果をもたらした。
 はるけき東京からの戦争突発は、彼女を驚かし、故郷への帰還は絶望となったが、一九四二年からは彼女の名は、相継ぐ演奏旅行によって、ドイツとオーストリアに知れ渡った。彼女は、クナッペルッブッシュの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や、ヴァイスバッハの指揮するウイン・フィルハーモニー管弦団と共に演奏し、その曲目はブラームス、モーツァルト、ハイドン、ヘンデル、バッハ、ベートーヴェンなどの名曲を得意とする。
 今日二十四歳になったばかりのこの女流芸術家のかゝる成功の秘訣は何であらうか。それは不撓の努力と、並々ならぬ勉強の慾に他ならない。
 日本人の特有な粘りを以て、彼女は自らを音楽の修業に捧げてひたむきに専念し、彼女にとっては、その他の何ものも存在しない。そして又、彼女が既にヨーロッパの多くの大都市の演奏会のステージを踏みながら、想像も及ばない程内気で、否殆どの人間に、特に男性に臆病であることにも帰因する。併し会話が音楽に関することに転ずるや、根自子さんは内気なはにかみを忘れて、愛想よく、快活になる。もっと適切な言葉で云へば、彼女の同国人が、妙に絶望的に語ったやうに「根自子さんが、かくも美しいことが惜しいやうである」
 根自子さんは、国際的なスターとして、あらゆる資格を兼備するが、特に一九四四年のスターとして紹介出来よう彼女は一人の男性と会話を交へるときは、よく燒けたパンのやうに頬を赤らめる。この点でも根自子さんは二十四才になる謎のやうな神童である。彼女は彼女の芸術のみならず、特有の愛嬌をももって、全世界を魅惑する。



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