諏訪根自子 東宝芸術家
〔口絵写真3枚〕
・諏訪根自子 紹介
昭和廿一年 〔一九四六年〕 十月三日、帰国後、一ケ年の沈黙を続けた諏訪根自子は、わが国の平和的文化国家建設の一翼を担つて荒廃した日本楽壇に希望と光明の息ぶきを與えた日である。この日彼女は平和の昭和廿年末、再び平和に戻つた故国日本に帰つての最初の独奏会を東京帝国劇場に於いて華々しく開催した。
その成熟した芸術性と独自のスタイルをもつ至高の技巧は、期待に違わず、聴衆に深い印象を與え、正に世界的ヴアイオリニストとしての風格を示したものとして、朝夜の絶賛を浴びている。その後東京、京阪神、名古屋を始め、関東、東海道、北陸、山陽、九州各都市に数回の独奏会を開催し、又ラジオにも出演して、いづれも音楽愛好家に多大の感銘を與えている。
彼女は大正九年一月二十三日東京に生れた。
五才の時始めてヴアイオリンの教えを受け、後に小野アンナ女史に就いて学んだが、その天武は小野女史に認められ、昭和二年九才にしてデビユウした、十一才よりモギレフスキー氏に就いて学ぶに到つて当時日本最初の天才少女ヴアイオリニストとして我が楽壇を驚かせ、その名は一躍全国に広まつた。
一九三六年(昭和十一年)一月二十三日故国の声援に送られて十六才の一少女は先づベルギーの首都ブラツセルに赴き、シヨーモン教授に就いて提琴を学んだ。
次いで一九三八年には巴里へ移り、ロシア人の教授でありテイボーと親しいボリス・カメンスキー氏に就いて最高技法を修めた。其の後六年間巴里に滞在し、一九三九年巴里シヨパン楽堂に最初のリサイタルを開いて好評を博し、又一九四二年にジャン・フールネ指揮の巴里コンセール・ラムルウと協演して絶賛された。その間独逸墺太利、瑞西等各地に数回のリサイタルを開き、何れも大好評を博している。
一九四五年(昭和廿年)五月、欧州大戦の終結に際して、未だ対日戦継続当時の為、南独に於て抑留されたが、フランスより米国を経由して昭和二十年十二月八日無事祖国へ帰還することが出来た。
帰国後最初の演奏会を開くに先立ち東宝株式会社芸術家として契約を結んでいる。
・1933年と1937年の根自子さん
1933年 東京公演の諏訪根自子さん
一九三三年、根自子さんが十三歳の時、山田耕筰氏の指揮で日比谷公会堂で、マックス・ブルックのヴァイオリン協奏曲を演奏した時の懐しいプログラムです。
1937年 巴里にデビユウした諏訪根自子さん
諏訪根自子さんが一九三六年、ヨーロッパへ旅立つて以来、懸命の勉強に急がしい日を送りましたが、一九三九年(昭和十三年)の五月十九日、巴里のショパン楽堂でパリの楽界にデビュウした時の記録を御覧に入れませう。
当日は午後九時開演、伴奏はラビンスキー氏でした。演奏曲目はーブルックの「協奏曲ト短調」、バッハの「無伴奏シャコンヌ」、ショーソンの「詩曲」、サンサーンス(イザイエ編)の「カプリース」、マヌエル・デ・ファリヤ(コハンスキー編)の「ホタ」、ウイニアフスキーの「ポロネーズ イ長調」 写真は巴里の演奏会週報「ギード・デユ・コンセール」に掲載の広告です。
・ヨーロッパに於ける諏訪根自子嬢の横顔 與謝野秀 〔写真1枚:下は、同じ写真で、より鮮明な当時のブロマイド写真と思われるもの〕
・海外批評より
瑞西チューリッヒ 週刊誌の批評
・国内批評より
根自子さんの典雅 橋本國彦
純粋な演奏家風格 園部三郎
・名器ストラデイヴアリウスその他 (ヴァイオリン小史) 野村光一 〔写真1枚〕
・諏訪根自子さんへ贈る言葉
堂々たる国際的水準 中根宏
ヴアイオリンの女王 大田黒元雄
諏訪根自子さんの特徴 野村光一
・諏訪根自子演奏会記録
○ 昭和二十一年十月三日、諏訪根自子の帰朝第一回独奏会は、東宝株式会社と朝日新聞厚生事業団の共同主催の下に、楽壇と愛好家の絶大な期待を集めつゝ、華々しく帝劇で開催された。
当夜は五時開演、朝野の名士、音楽批評家、楽壇第一人者はすべて招待され、特に高松宮、竹田宮、同妃殿下も台臨、御熱心に聴取され、演奏後は貴賓室で新聞記者、カメラマンに取り巻かれながら根自子嬢を御引見になり、滞欧当時の事など約二十分間に亘り御尋ねになつた。其他同夜の来賓には、GHQ民間情報教育部デヴイス氏、駐日中国代表団長朱世明閣下、駐日中国代表団教育副組長張鳳挙閣下を始め諏訪根自子嬢の恩師モギレフスキー氏、小野アンナ女史旧知の人々、身内の方々の顔も見え、楽屋は花束にうづめられた。なお当夜の純益は朝日新聞社厚生事業団に寄贈した。
演奏曲目は、
(一)タルティーニ作(クライスラー編曲)の「悪魔のトリル」
(二)ウイニアウスキーの「協奏曲 第二番」
(三)プニヤーニの「プレリュードとアレグロ」
グルックの「オルフォイスのメロディー」
ラヴェルの「ハバネラ形式による小品」
サラサーテの「アパデアード」
が選ばれ、ピアノ伴奏にはマンフレッド・グルリット氏が当った。当夜の批評は、別項、橋本國彦氏の「根自子さんの典雅」(八頁)を参照されたい。
○ 東京では更に帝劇芸術祭の音楽会として、十月八日、九日、十一日の三日間独奏会が開かれた。八日の曲目は
(一)ギョーム・ルクウの「奏鳴曲 ト調」(本邦初演)
(二)サンサーンスの「協奏曲 第三番」
(三)バッハの「アリオーソ」パガニーニの「狂詩曲 第二十番」レーガアの「子守唄」ウイニアウスキーの「華麗なるポロネーズ 第一番」
九日目の曲目は
(一)ヘンデルの「奏鳴曲 第四番」
(二)バッハの「シャコンヌ」(無伴奏・パルティータ 第二番)
ドビュッシイの「月の光」
リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」
ショウソンの「詩曲」
十一日の曲目は
(一)バッハの「シャコンヌ」
(二)ウイニアウスキーの「協奏曲 第二番」
(三)バッハの「アリオーソ」
リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」
ラヴェルの「ハバネラ形式による小品」
ショウソンの「詩曲」
○ 大阪に於ける諏訪根自子独奏会は、十月五日、六日の両日、朝日会館で開催された。曲目は、東京演奏会の十月三日と八日両日と同じである。伴奏は田中園子。大阪では帰朝最初の演奏会だけに、東京のリサイタルと同様素晴らしい賞讃を博した。
○ 東京では進駐軍関係の諏訪根自子出演音楽会として、十月二十九日には帝劇に於て、トウキョウ・アーミイ・エデュケーションナル・センター(A.E.C)主催の下に行われた。
○ 十二月二十日には日本工業倶楽部ホールに於て、国際文化振興会主催の高級将校家族慰問音楽会が高松宮殿下台臨の下に行われた。
○ 十一月十五日には横浜第八軍慰問音楽会に出演し、いづれも多大の感銘を與えた。前者の曲目は
(一)タルティーニの「悪魔のトリル」
(二)ショウソンの「詩曲」
(三)ラヴェルの「ハバネラ形式による小品」
リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」
パガニーニの「狂詩曲 第二十番」
ウイニアウスキーの「華麗なるポロネーズ 第一番」
伴奏はグルリット氏。後者の曲目は
(一)メンデルスゾーンの「協奏曲 ホ短調」
(二)ドビュッシイの「月の光」
シマノフスキーの「アルチェーズの泉」
サラサーテの「導入部とタランテラ」
伴奏は井口基成氏であった。
○ 東京、大阪の帰朝演奏会に引続き、地方の好楽家の熱心な要望に応える為、昨年は先づ中部西部日本の各都市に限られ十月二十二日静岡を皮切りに、二十五日は金沢、二十六日高岡、十一月二日三次、三日広島、六日名古屋、十八日埼王、二十三日姫路、二十四日岡山、二十七日長崎、二十八日佐世保、二十九日久留米、十二月一日、二日福岡、三日米子、四日松江等、関東、東海道、山陽、九州、山陰の各都市に一ケ月余に渉る演奏旅行を行って、地方音楽文化の発展の為に貢献した。伴奏はマンフレット・グルリット氏。二十三日の姫路以降は井口基成氏であった。
○ 十二月に入ると、京阪神好楽家の熱心な要請に応じて、先づ十二月十四日、十五日両日大阪朝日会館、十六日神戸栄光教会、十八日京都朝日会館で、井口基成氏のピアノ伴奏を以て行われた。曲目は
(一)バッハの「シャコンヌ」
(二)ベートーヴェンの「協奏曲 ニ短調」
(三)ドビュッシイの「月の光」
シマノフスキーの「アルチェーズの泉」
ショウソンの「詩曲」
と
(一)バッハの「奏鳴曲 第五番」
(二)ブラームスの「奏鳴曲 第一番」
(三)ベートーヴェンの「奏鳴曲 第九番」(クロイツェル)
であった。
○ 新たに開設された毎日ホールの披露招待音楽会が、諏訪根自子井口基成のソナタ演奏会を以て行われた。曲目は
(一)バッハの「奏鳴曲 第五番 ヘ短調」
(二)ブラームスの「奏鳴曲 第一番 ト長調」
(三)ベートーヴェンの「奏鳴曲 第九番」(クロイツェル)
特に最後のクロイツェル・ソナタは、聴衆に深い感銘を與えた。
○ 諏訪根自子は昭和二十一年棹尾の帝劇リサイタルである十二月二十九日の「慈善音楽会」は、朝日新聞の南海震災義金募集に応じたもので、本人の発意により当夜の純益を罹災者へ贈った。曲目は
(一)ヘンデルの「奏鳴曲 第六番」
(二)ベートーヴェンの「協奏曲 ニ長調」
(三)モーツアルトの「ロンド」
ホアキン・ニンの二曲「祈り」と「グラナデイナ」
で伴奏は井口基成氏であつた。
○ 放送は全国中継が二回行われた第一回は、昭和二十一年十一月十二日、午後八時から約四十分間、曲目は
(一)バッハの「シャコンヌ」
(二)ショウソンの「詩曲」
伴奏はグルリット氏。帰朝最初の放送のことであり、多大の反響を呼んだ。
第二回は、昭和二十二年元旦の午後七時十五分から、曲目は一曲
ベートーヴェンの「クロイツエル・ソナタ」
伴奏は井口基成氏であった。
○ 諏訪根自子は昭和二十二年春のシーズン演奏会は、先づ九州地方から始められた。三月十三日の山口、十五、十六両日の黒崎、十八日の別府公演に於ける曲目は
(一)フォーレの「奏鳴曲 イ長調」
(二)モーツアルトの「協奏曲 第五番」
(三)ストラヴィンスキーの「子守唄」
シューマンの「預言者としの鳥」
アルベニスの「マラゲーニャ」
サンサーンスの「カブリース」
三月十九日の大分き二十一日 宮崎、二十三日、四日両日の鹿児島、二十六日、八代、二十七日の大牟田、三十日の佐賀、四月一日、二日の福岡、三日の宇部に於ける曲目は
(一)ヴイタリの「シャコンヌ」
(二)H.W.エルンストの「協奏曲 ヘ短調」
(三)バッハの「G線上のアリア」
シューベルトの「密蜂」
シリル・スコットの「蓮の国」
パガニーニの「鐘」
四月五日の久留米公演の曲目は
(一)ベートーヴェンの「奏鳴曲 第九番」(クロイツエル)
(二)モーツアルトの「協奏曲 第五番」
(三)シューマンの「預言者としての鳥」
アルベニスの「マラゲーニャ」
サンサーンスの「カブリース」
以上のように南北九州に及ぶ一ケ月の公演を終えた。尚ピアノ伴奏は屬澄江女史であった。
○ 諏訪根自子の四月中旬以後の予定は、十五日、十六日の名古屋公演。五月上旬(三・四・五日)の東京公演があり、七日から下旬へかけて東北公演が始まる。
・演奏曲目解説(解説ー三浦潤) 〔写真1枚〕
表紙口絵デザイン・熊田五郎
扉の絵 ・中村 琢二
昭和廿二年 〔一九四七年〕 五月三日発行 (編集・発行)東宝音楽協会
なお、この小冊子は、発行日の五月三日、帝国劇場で憲法普及会主催の「新憲法施行記念祝賀会」が開かれ、その中で諏訪根自子のヴァイオリン独奏も行われたので、その関係のものかと思われる。
諏訪根自子演奏会
伴奏 属澄江 〔昭和二十二年四月〕15、16日 午後6時半より 名宝劇場
諏訪根自子に贈る言葉
・堂々たる国際的水準 中根宏
・提琴の女王 太田黒元雄
・諏訪根自子さんの特徴 野村光一
曲目
15日
1.シャコンヌ(無伴奏) … バッハ
2.協奏曲(第五番) … モーツァルト
3.(A)子守唄 … スタラヴィンスキー
(B)預言者としての鳥 … シューマン
(C)マラゲーニャ … アルベニス
(D)鐘 … パガニーニ(クライスラー編)
16日
1.シャコンヌ … ヴィターリ
2.協奏曲 … エルンスト
3.(A)G線上のアリア … バッハ
(B)蜜蜂 … シューベルト
(C)蓮の国 … シリル・スコット(クライスラー編)
(D)鐘 … パガニーニ(クライスラー編)
諏訪根自子紹介
酒田美術協会 会員招待会
東宝専属芸術家 諏訪根自子 提琴演奏会
ピアノ伴奏 田中園子
時 1947年6月24日后6時
所 酒田市 港座
東宝株式会社提供
主催 酒田美術協会 後援 酒田音楽協会
プログラム
Ⅰ
奏鳴曲 イ長調(作品13) … フォーレ
アレグロ・モルト
アンダンテ
アレグロ・ヴィヴォ
アレグロ・クワシ・ブレスト
Ⅱ
協奏曲 ニ長調(作品61) … ベートーヴェン
アレグロ・マ・ノン・トロツポ
ラルゲツト
ロンド(アレグロ)
(休憩)
Ⅲ
a)アリオーソ … バッハ(ルチーニ編)
b)熊蜂の飛行 … リムスキー・コルサコフ
c)ハバネラ形式による小品 … ラヴェル
d)導入部とタランテラ … サラサーテ