諏訪根自子
歸國特別演奏會
ピアノ伴奏 マンフレッド・グルリット
〔昭和21年:1946年〕10月3日 5時開演
主催 東寶株式會社
朝日新聞厚生事業團
帝國劇場
PROGRAM
(1)Trille de diable ‥‥ Tartini-Kreisler
(2)Concerto No.2 (Re-mineur) Op.22 ‥‥ Wieniawski
Ⅰ Allegro moderato
Ⅱ Romance
Ⅲ Allegro con fuoco
(3)(a)Prelude et Allegro ‥‥ Pugnani-Kreisler
(b)Melodie ‥‥ Gluck-Kreisler
(c) Piece en forme de habanera ‥‥ Ravel
(d) Zapateade ‥‥ Sarasate
ー 曲目 ー
(1)惡魔のトリル ‥‥ タルティーニ・クライスラー
(2)ヴァイオリン協奏曲「第2番」(ニ短調)作品22番 ‥‥ ウイニアウスキー
第1樂章 アレグロ・モデラート
第2樂章 ローマンス
第3樂章 アレグロ・コン・フォコ
(3)(イ)プレリュードとアレグロ ‥‥ プニャーニ・クライスラー
(ロ)メロディー ‥‥ グルック・クライスラー
(ハ)ハバネラ形式による小品 ‥‥ ラヴェル
(ニ)ザパテアード ‥‥ サラサーテ
諏訪根自子・紹介
平和のヨーロッパより動亂のヨーロッパにかけて、嚴しい勉學と凡ゆる苦難の滯歐欧生活十年間を送った諏訪根自子は、昨年末再び平和に戻った故國日本に帰り、其の後約十ヶ月の沈黙を破って、秋の樂壇の最大のトッピクとして久し振りに登場した。
彼女は大正九年一月二十三日東京に生れ、五歳の時始めてヴァイオリンの敎へを受け、後に小野アンナ女史に就いて學んだが、その天賦は小野女史に認められ、昭和二年九歳にしてデビュウした。十一歳よりモギレフスキー氏に就いて學ぶに到って、當時日本最初の天才少女ヴァイオリニストとして我が樂壇を驚かせ、その名は一躍全國に廣まった。
一九三六年故國の聲援に送られて十六歳の一少女は先づベルギーの首都ブラッセルに赴き、ショーモン敎授に就いて提琴を學んだ。次いで一九三八年には巴里へ移り、ロシア人の敎授でありテイボーと親しいボリス・カメンスキー氏に就て最高技法を修めた。其の後六年間巴里に滯在し、一九三九年巴里ショパン樂堂に初めてリサイタルを開いて好評を博し、又一九四二年にはジャン・フールネ指揮の巴里コンセール・ラムルウと協演して絶讃された。その間獨逸、墺太利、瑞西等各地に數回のリサイタルを開き、何れも大好評を博してゐる。
一九四五年五月、歐洲大戰の終結に際して、未だ對日戰繼續當時の爲米軍によって南獨に於て抑留されたが、フランスより米國を經由して一九四五年十二月初旬無事祖國へ歸還することが出來た。
なお今秋樂壇にデビュウするに先だち東寶専屬藝術家として契約してゐる。
諏訪根自子に對する
「海外批評」抜粋
ー ラ・スイス紙より ー
この若い日本の女流提琴家は、わが國に於いて一聯のコンサートを催すのであるが、先づコンセルヴァトアールで演奏した。
諏訪根自子は輝しいテクニックに惠まれ、それが音響の美しいといふ特性と結び付いてゐる。
事實、ラロの「スペイン交響樂」。プニャーニの「プレリュードとアレグロ」或ひは、ウィニアフスキイの「ポロネーズ」(ニ長調)の如き作品は、演奏に當って先づ何よりも柔軟にして豊かな藝と、偉大なる技巧を必要とするのであるが、諏訪根自子の藝術は直接これらの二つの要素から生れてゐるし、またこれ等の作品を彼女は豊かな情熱をもって演奏した。(一九四四年十一月六日)
ー ジュルナル・ド・ジュネーヴ紙より ー
土曜日の夜、コンセルヴァトアールのホールで東京生れの女流提琴家諏訪根自子が出演したが、彼女は器樂家の天才と女流音樂家としての天性が確定的であり、しかも發展的である。
長く柔軟な弓、確實である左手、アンサンブルに於ける輝かしく、輕妙にして熱情ある技倆が、この藝術家の卓れたところである。ブラームスの「ソナタ」第一番(ト長調)では彼女の解釋の落付いた性格、あの音樂的で貴品ある演奏の「アレグロ」は特に注目すべきである。(一九四四年十一月六日)
ー ガゼット・ド・ローザンヌ紙より ー
ジャック・テイボーが彼の愛する「スペイン交響樂」が、この日本の女性の手に演奏されるのを聽けば、何と言ったであらうか。我々は、華麗で劇しく、堂々と響くかと思へば、またまことに繊細な演奏を聽くことが出來たのであった。
諏訪根自子は例外的な手腕を持ってゐる。即ち、非常に長い弓、完成された調和、その樂節の内容をぶちまけようとする手法、ダブル奏法の素晴らしい融合など。しかもこれらの技術がすべて、その身心ともに音樂的であり、融和的であると思はれる天性に協力してゐるのである。(一九四四年十一月七日)
ー ローザンヌ・フゥイーユ・ダヴィ紙より ー
諏訪根自子は、弓を取ってはヴィルジールの黄金の小技を奪ひとった。彼女はまことに女らしい品格をもっておだやかに演奏する。愛するセンスの貧困な音樂にさへ、彼女は繊細な魂を與へ、その點では多くの達人たちの傳統に忠實である。
彼女にはブラームスの「ソナタ」よりも、ラロのエレジー的で靜明なリリシズム、プニャーニ=クライスラーの「プレリュードとアレグロ」、ラヴェルの「ハバネラ」の方が、またグルックの「オルフェ」の樂しき影をたゝへた曲の方がふさはしい。この後者の曲では、繊細なニュアンスを見せ、その鳴響性に巧みであり、容易ならぬメロディー・ラインに確實であった。
彼女の魅力は、凡そ空虚な音樂でさへも、彼女の仙女の如き達者な指にかゝると、誠に偉大な力を持つだらうといふことである。
オルフェの如く、根自子嬢は、音樂の平和で崇高な魔術を展開し、眞實、この藝術こそは、風格を和らげるものであることを證明した。(一九四四年十一月四日)
ー ジュネーヴ・トリビューン紙より ー
けだしこの若い日本の女流提琴家は、その持つ生來の天才をもってすれば、刻苦精勵の上は、彼女の携へてゐる立派な樂器から、なほ變化あるパートを惹き出し得るであらうし、また旣に征服した月桂樹に、更に新しいそれをつけ加へることも疑ひないところである。(一九四四年十一月七日)
なお、上の写真の一番右は、このプログラムにある「藝術祭音樂會」の予告広告である。