萱野長知著
中華民国革命秘笈
皇国青年教育協会発行
題字
・張人傑
・譚延闓
口絵
革命闘士の写真集
・孫文
・黄興
・林森
・上 晩年の孫文、中 青年時代の孫文、下 孫文(向つて左)と黄興
・上 宋教仁〔上の写真:左〕、下 何天烱
・上 居正、下右 李烈釣、下左 張継
・汪精衛、蒋中正贈〔上の写真:左から二枚目〕
・萱野先生老同志 惠存 中華民国南京政府成立後三日撮影記念 弟陳其美贈、漢民持贈
・上 章炳麟、中 戴天仇、下 陳少白(中央)
・上 若き日の宋慶齢〔上の写真:左から三枚目〕、中 宋慶齢 、 孫科
・上右 史堅如、上左 徐錫麟、下 呉樾
・王昌、温生戈、李文甫、秋瑾女士、熊越基
・張聲、朱執信、鐘明光、陳敬岳、林冠慈(炸李準)
・上 譚延闓、中 堅、下 孫武
・上右 陳中孚、上左 劉紀文、下右 鄒魯、下中央 李紅堂、下左 田桐(学生時代)
・許崇智、曾傑、幕幹、鄒永成、夏重民
・許雪秋、黄隆生、劉揆一、馮成継、陳烱明
・上右 張傅泉、上左 馮自由、下右 李國桂、下左 子瑜
・上右 呉亜男女士、上左 胡毅生、下右 周象垣、下左 傅文郁
・殷汝驪、澤如、殷汝耕、陳策
・孫毓筠父子、陳乙白、孫毓筠
・右 萱野長知 中 張永福 左 方漢城、(向つて右より立てる)孫文 張永福 林時● (座せる)陳勇波 萱野長知 湯壽山、シンガポール 張永福別邸 朱霽、林直勉
・孫文(中央)、若き日の汪精衛(左) 萱野長知 許雪秋(左) シンガポールに於て、馬伯援敬贈 民国十九年九月十三日午撮於東京牛込陶陶亭 頭山満(前列右) 犬養毅(前列左) 馬伯援(後列左ヨリ二人目)
・孫文が鎮南関の戦に用ひたる軍帽ー「高野」は孫文の仮名なり(池享吉氏蔵)、南京軍政府成立(前列中央孫文・黄興)、南京政府創業時の陸軍病院開院
・維県陣営、革命軍総司令部
・孫文(中央)、露人ピルストキー歓迎(民報社庭園にて)
・民報社における章太炎、東京両国福井楼に於ける孫文歓迎会(二列中央孫文)
・胡瑛送別会(月の家)、宮崎滔天送別会(前列中央宮崎)、章行厳送別会
・孫文神戸最後の撮影(中央孫文)、佐原篤介送別会(前列中央佐原)、犬養毅歓迎会(中央犬養)
・天津に惨死せる谷村幸平太追弔会、七十二烈士の墓
・蒋介石結婚記念 蒋介石美齢贈〔上の写真:左から四枚目〕、廖仲の家庭、居正夫人、汪精衛夫妻、戴天仇夫妻
・中山陵三景〔三枚〕
・孫文慰霊祭〔三枚〕
・孫文慰霊祭、慰霊祭出席者
・上 帝政取消一笑会に於ける孫文(右)、中 孫文真蹟の委任状、下 中華革命党成立記念撮影 孫文(前列中央)
革命名家の真蹟集
・孫文自筆の中華革命党総章
・孫文
・孫文の著者に交付せる白紙委任状(数葉の内)
・孫文
・孫文、密電翻訳
・密電翻訳、孫文
・孫文、何天烱
・下は底漢〔武漢〕起義のとき著者が在米の孫文に対し急遽帰国を促した電報を受取った意味を認めた大塚氏宛謝状(右は其の封筒)
・黄興
・黄興
・黄興
・黄興
・黄興
・黄興
・宗教仁〔宋教仁〕
・居正
・陳少白
・陳少白
・譚人鳳、陳其美
・陳其美、田桐
・張人傑
・張人傑
・廖仲、何天烱
・章炳麟
・章炳麟
・章炳麟
・章炳麟
・汪精衛
・胡漢民
・胡漢民
・譚延闓
・戴天仇
・戴天仇
・張継
・柏文蔚、子瑜
・熊越山、朱執信
・葉恭綽
・李書城、但●心
・孫氏に伝へるために送られた露西亜人の真蹟、杉田定一
自序〔下は、その一部〕
本書の出版は大正十五年、張人傑、譚延闓等に題字を乞ひ起稿したが、赤裸々に書きたくない事情あつて、書くがイヤになり筆を折つて 底に秘め置きたるが這回また書いてみたくなり、こゝにものすることとした。
〔省略〕
尚ほ書中、中華革命党の連判帳とも云ふべき誓約書其他重要文書を公表せし写真は、当年の同志が如何に夫れに真面目であつたかを證據立てると共に、歳月を経過するに随つて其偉績が段々消滅しつゝあるを虞れ、之を後世に伝えしめんが為めである。又白紙の写真を載せたるは孫公が日本に在らざる時、孫文の名義を必要とする場合は之を行使せよとてサインして委任したものである。其の数枚の内一枚を掲げたに過ぎぬ、当時孫公が予等に対する気持ちは実に筆舌を以て尽されぬものがあつた。予も亦人生意気に感ずるのであつた。
孫公が北京ロックフェラー病院にて肝臓の大手術を行ひ死に垂んとして予に二通の招電を発し来りて最後の面談を希望した。新聞電報は已に危篤を伝へ或は死を伝へた。予も亦た、せめては臨終の顔なりと見たかつた。急遽北京に駆けつけた、尚は意識は明瞭であつた。彼は神戸に於ける最後の獅子吼たる大亜細亜主義の反響が心がゝりであつた。予は日本朝野の賛同するところと為つた旨を物語つた処、彼れは非常に満足して死灰亦燃ゆるが如く蒼ざめたる顔にやゝ紅を潮した、謂へらく之れが最後の幕であつて、波乱変遷多きイデオロギーの終点は大亜細亜主義で日支提携であつた。是れ本書に東京神田錦輝館に於ける三民主義発表の最初の演説全部と、神戸高等女学校に於ける最後の演説全部を特載したる所以である。
又同志の誓約書全部を公表せし主旨は孫公去世後、其志を継承して違背せざるもの果して幾何あるかを問はんと欲するものである。重ねていふ、大亜細亜主義、日支提携は孫中山最後のイデオロギーであつた。
胡漢民去世の前年香港に在りて談孫公の事に及び予に囑するに中華革命史編輯特に日支関係のことを以てした。然るに老来筆を執るに●ふく且つ遺忘せしこと多しと雖も現在の時局に直面して感更に深く未定稿のまゝ上梓することゝした。尚ほ多少の史料を遺しあり、他日筆硯を洗つて完成を期するのである。中華民国政府の基礎確立安定せし時本資料中の重要なるものは中山陵又は革命記念館に陳列して永遠に保存せられんことを期待するのである。已上所感を述べて序文に代へたのは所謂へたの長談義と為つたのである。
昭和十五年三月 日 著者誌
第 一章 腕白の破壊から第二の洪秀全
第 二章 学生時代の革命運動 ‥李鴻章に上るの書‥
第 三章 初期の失敗
第 四章 三民主義、五権憲法の発端及日本有志の同情と犠牲
第 五章 中国同盟会の成立 ‥革命潮‥
第 六章 黄花岡と中部同盟会
第 七章 失敗々々又失敗、粛親王汪精衛と獄中問答 ‥汪精衛獄中にて粛親王の問に答ふ・籌款と中山の世界漫遊・革命殉難者小伝・烈士就義表
第 八章 辛亥革命〔下はその一部〕
此の武漢の戦ひ起るや、老同志末永節は吉田、川村などを引き連れて早く駆けつけ漢口を根拠として外交其他に力を尽し、又小山田剱南、神尾茂、澤村幸夫、中久喜信周、其他大新聞特派員が筆を揃へて、革命贔屓の通信を発送した事は大局を動かす力があつた、特に大毎特派員の小山田は我党奮戦大勝すなど、本社に打電した程、熱烈なる同情者であつた。武昌には大原武慶が原二吉を帯同して応援に来り都督府の附近に事務所を設け軍事上の知識を與へ、陸軍歩兵大尉野中保教は林一郎と仮名し小鷹某と共に前線に転戦し、金子陸軍歩兵大尉は琴断溝附近にて敵弾に中り戦死し、陸軍歩兵中尉甲斐靖は盲貫銃創を負ひ、最年少にして最も勇敢に戦ひたる岩田愛之助は腿部に貫通銃創を受けて、弾丸の中九死に一生を得漸く江を渡りて後送、医師垣内喜代松は負傷者の手術に昼夜の区別なく立ち働き、石間某は敵の内応に欺かれて暗夜、漢水岸壁舟中に斃れた。
第 九章 革命方略は行はれず大総統を辞す
第 十章 第二第三革命と中華革命党
第十一章 護法の為めに奮闘と著述
第十二章 対外的奮闘
第十三章 孫文学説に就いて
第十四章 孫文学説と経綸抱負
第十五章 支那民族と満州民族は別 ‥支那革命党宣言書‥
第十六章 日支共存策
第十七章 三民主義最初の大演説
第十八章 中山最後の獅子吼
附録
・革命秘話
・唱和集
・孫中山年譜
・党員誓約書〔下の写真は、誓約書の訳文とその原文の写真である。。本書には、六四〇人全ての原文の写真がある。〕
中華民国革命秘笈正誤表
昭和十六年二月五日発行
著作者 萱野長知
発行所 皇国青年教育協会
なお、本書には、帝国地方行政会版がある。この二つは、口絵の写真やその説明、党員誓約書が前者では一頁に八枚に対して後者では四枚掲載等若干の異同がある。
昭和十五年七月三日発行
著作者 萱野長知
発行所 株式会社 帝国地方行政学会
下は、帝国地方行政会版の題字の前頁にあるもの。
お断り
一、著者の二三失敗史あるも、事重大にして国際的又は現在生存せる個人的関係あるを以て暫く遠慮す
一、国民党の容共政策裏面史は都合あり遠慮す
一、資料及写真の大部分を大震災の時焼失又は他に貸与したるまヽ紛失せしを以て完全せざるを遺憾とす
一、諱、字、号、等は日本人に通称せられたる方を記載せり
以上は第二次出版の時補充完璧を期す
著者雑す
同じく、帝国地方行政会版の奥付裏面にあるもの。
華訳本出版予告!
萱野長知先生、素與孫中山先生●革命党諸領袖、交誼至深、近以手蔵秘笈、撰成「中華民国革命秘笈」一書、洋洋数十萬言、不独対於中国革命史予以一新頴史料、且対東方文化之貢献、至深且鉅、現日文本業已出版、茲為使中国志士明瞭起見、特請中華民国新民会東京連絡処長何達先生、訳成中文、現排印中、不日可貢献於読者之前、謹此予告!