アンナ夫人推薦の辞
露国楽聖アウヱル氏門下の秀才閨秀提琴家アンナ夫人は来朝以来既に数年その偉才を抱かれながら未だ一度もステージに立たれざりしこと実に我国音楽界にとりて惜むべきである。我社茲に懇請してその推薦音楽会を開催する所以である。
アンナ女史小伝
アンナ女史は一八九五年三月一日(明治二十八年三月十四日)露国ブヽノフ家に生る。ブヽノフ家は一族皆海軍々人で女史の祖父はボルチツク艦隊司令官たりし人であり、伯父の一人は現にこの革命以前まで海軍次官を勤めて居り、また父君の妹に当る叔母の夫は海軍大学長の職にあつた。然るに女史の父君はその性格が斯う云ふ社会とは調和出来ぬことを自ら悟られ、身体の虚弱なるを口実として兵学校時代去つて銀行に入つた。思索的なる氏は、その銀行と云ふのも自らの理想と計画とによつて設立したもので、即ち、一八六二年アレクサンドル二世の農奴解放令によつて解放された農民に、実際上生活の安定と健全なる発展とを與へやうとして「農民銀行」を興し、他方、各地に領地を有してゐる所謂貴族(ドヴァリヤニン)の経済を良くしてやる為め、その金を融通すべき「貴族銀行」を設け、兎に角之れを立派な国立銀行の一つまでに作り上げた功のある人である。
母君はヴルフ家の出であつて女史はより多く其方の血を受継いでゐるのではないかと思はれる。女史の母君の伯父アレクセイ・ニコラエヴイツチ・ヴルフはプシユキンとは竹馬の友でプシユキンの作品の多くのものはヴルフ家の領地三山荘 トルゴルスコエ や大幹荘 ベルノーヴォ やで題材を得てそこで綴つたものであることはプシユキンを知る人達は既に承知さるる筈である。女史母方の祖父ニコライ・イヴァノヴィチは、従来露西亜の貴族の習慣として若い時から近衛の士官として身を立てる予定でペトログラードのイズマイロヴスキイ連隊に来てゐたが音楽の才があつていろゝな作曲をもやり現に同近衛連隊の行進曲なども氏の作になるものである。彼が大尉の時その母から『若し領地の事が気にかゝるなら残念でも隊をやめて帰つて来い』と相談を受け、(父イワンは豪放で家の事など少しも関はぬので)その以後は領地にばかり引き籠り、傍ら同ワヴエリ県のスターレツツ市の裁判官などをしてゐた。彼には息子は末子一人だけで他に五人の娘があつた。そのうち三人は音楽好きで一番上のナタリヤは非常なピアノの名手であつたが嫁いで間もなく産のために早逝し、末のアレキサンドラもピアニストであつたが他の地主に嫁いで都からは遠退いて仕まつた。唯一人真中のアンナ(アンナ女史の母君)が最も熱心で、両親から與へられたピアノの教師からうたの趣味を覚え、つひにうたで身を立てやうと決心するに到つた。その当時(母のアンナ氏が二十歳前後なれば今より半世紀前)の露西亜は今日の日本以上の旧式さで、若い娘など外出する時は必ず伴の者を連れて行かねば許されず、両親か誰かゞ附き添はねばオペラにも芝居にも決して行くべきものではないとされてゐた。従つて音楽会で人の前に立つて演奏するなどは名家の人としては恥づべきこと、まして女がうたを稽古してそれを職として生きて行かうなどゝは滅相もない話だつたのである。母のアンナ氏は両親と意見が合はず、その許しを得られぬ身は家を逃れて独りペトログラードに行き、ソプラノの歌手レオーノワ(グリンカの弟子)の門に入り、うた、殊に各種のオペラを勉強した。斯く一方では自らののどを磨きながら、一方、両親からの支送りを断はつた彼女は人にうたを教へて独立の生計を立て、当時ペトログラード屈指の歌手に数へられるやうになつた。それが偶然アンナ女史の父君と相識るやうになつたのである。前述の如く父君は一見沈黙勝ちの思索的な陰気な性格、一方は女ながらも元気旺盛な積極的な性格でありながらもその心の奥には或る共鳴する何ものかゞあつて、嫁げば必ず今では両親からも許を得た自分の芸術を犠牲にせねばならぬことを覚り、大いに迷ひながらも遂に結婚したのであつた。果して、結婚後父君は他の男に対する感情からもあつて母君の音楽会演奏に出ることを好まなかつたので、聴きに行くことは殆ど欠かさずに行つたにも拘はらず、自身は楽壇から次第に遠かつて行つたのである。
斯くして自ら楽壇に立つことの出来ない不満を、子供の教育の上に満さうとする大きな力となつてその子供の上に向けられたのである。子供はその胎内に於けるうちから、いろゝのオペラの良い部分を歌ひ聞かされ、子守歌の代りにも亦オペラ等を聞かされた。さうして三人の姉妹共始めは母君から六歳頃からはベルナードヴィツチと云ふピアニストからピアノを習ひ、父君の不賛成にも拘はらず、母君及本人等の非常な希望から、遂に上の姉はピアノ、中の姉は画を、下の妹たるアンナ女史はヴァイオリンを、各その専門とするやうになつた。
長姉マリア氏はペトログラード音楽院一九〇九年度出身(先年来朝のメイローウイッチ(ミローヴィッチは誤り)と同期)世界的ピアニスト・アンナ・ニコラエヴナ・ヱスポヴァ女史の門に入り、目下ペトログラードにボルシエヴィキの建設した音楽学校の校長である。
中姉はペトログラード美術院出身の画家兼考古学協会出の考古学者で、現にモスクワ歴史博物館研究員であり、同市女子大学講師であるが、尚ほピアノに長じ、女なるにも拘はらずセロをもひく楽才ある人である。
かく楽才ある母を母とし、同じ二人の姉を姉として生れたるアンナ女史は、幼児(四歳位から)はその母君より、六歳頃からベルナトーヴィツチよりピアノを教へられ、後ヴァヰオリンを専門と決して約一年先生につきたる上十歳の春音楽院に入学、アウヱルの高弟ナルバンディアンについた。
当時音楽院にヴァイオリンの教授を担当してゐた人としては、その創立当時来た彼のアウヱルの他に、既に此所に於て養成されたガルキン、クリユーゲル、コルグーエフ、及びナルバンディアンの四人があつて、ナルバンディアンが最もアウヱルの信用厚く同氏の門人はすべて彼が預つて教へてゐた。当時アウヱルは既に六十歳に近い老年の身であり、殊に一年の大半は演奏旅行として或は西ヨーロッパに或はアメリカに赴いてゐたため実際の稽古はみなナルバンディアンが受持つてゐたのである。例へば彼の世界的音楽者として、その音楽会の入場券は余程以前から心掛けねば容易に得られない程の人気を得たヤシャ・ハイフェツツは、二歳の時から父母の規則正しい訓練を受け後音楽院に入つたが、(子供の教育を完全にしたい希望から父親も共に入学)十一歳で最初のコンツェルトを演るまでは全くナルバンディアンから稽古を受け、アウヱルからは一度も教へを受けない程である。
当時アウヱルの門下としてナルバンディアンの許に居たものは、今のハイフェツツや、彼のピヤストロの兄弟を始め、先頃来朝して人気を湧かせたエルマン、及びエルマン以上に師のアウヱルの信を得てゐたと云はるるチンバリストなどの天才が揃つてゐたのである。その天才揃の中に於て閨秀として第一に指を屈せられたものは吾がアンナ女史でバッハの難曲『シャコーヌ』は古来難曲中の難曲として女には弾くことを許されなかつたが、女史に至つて始めて之れを許された程である。
女史はナルバンディアンに親しく提琴の教授を受くる傍ら、一九〇七年以後は、ヨーロッパに名高いコンツェルトの歌手ジブツオーヴァルにつき四年間、その後、音楽院の教授で伊太利ランペルヂの高弟なるソンキについてうたを究め、一九一一年同院卒業、学位スワードヌイ・フドージニツクを得た。後、当時ペテログラードに居た小野氏に嫁し(Anna Boubunoff-Onoと称す)夫君帰朝と共に日本に来られたのであるが、其偉大なる才を抱かれながら我国に於ては事情あつて一度もステージに立たれなかつたが、本社の懇願を納れられ、我国最初の演奏会に臨まるゝことになつたのである。
PROGRAMME
PART Ⅰ
1.HANDEL : SONATA E DUR ADAGIO CANTARILE, ALLEGRO, LARGO, ALLEGRO NON TROPPO … … Mme. A. Boubnoff-Ono, Mr. L❜Orange.
2.BACH : CIACCONA d-moll … … … … Mme. A. Boubnoff-Ono.
3.MOUSSORGUSKY : ARIA DEL❜OPERA “HOVANTSCHINA” … … … … N. Alexandroff
PART Ⅱ
4.BRAHMS : a.) BALLADE g-moll.
b.) RHAPSODIE h-moll. … … … Mr. G. L❜Orange
c.) SCHERZO f-moll.
5.SARASATE : ZIGEUNERWEISEN … … … Mme. A. Boubnoff-Ono.
6.BORODINE : ARIA DE L❜OPERA “ PRINCE IGOR” … … … Mr. N. Alexandroff.
7.CHOPIN : POLONAISE AS DUR … … … Mr. G. L❜Orange
第一部
一、ヘンデルのソナタ、ホ長調、アダジオ、カンタビレ、アレグロ、ラルゴー、アレグロ ノン トルツポ … アンナ夫人及ロランジュ氏。
二、バッハの舞曲「チヤツコーナ」 … アンナ夫人。
三、ムツソルグスキーの歌劇「ハバンスチナ」中の詠嘆詞 … アレキサンドロフ氏。
第二部
四、ブラームスの(イ)物語曲、(ト短調)
(ロ)狂想曲、(ロ短調) … ロランジュ氏
(ハ)喜戯曲、(ヘ短調)
五、サラサーデのチゴイネルワイゼン … アンナ夫人。
六、バラデインの歌劇「イーゴル公」中の詠嘆詞。 … アレキサンドロフ氏。
七、ショパンの舞曲ポロネーズ(イ変長調) … ロランジュ氏
会員には白、青券は一円引きにいたしますから葉書で御一報下されは会場準備いたしておきます、お出かけ下さい。
(入場券、 白券四円、青券三円、黄券一・五円)
推薦音楽会演奏曲解説
一、ソナタ (ホ長調) ヘンデル作
アダジオ カンタビレ、
アレグロ、
ラルゴー
アレグロ ノン トレツポ
ヴアヰオリン 二重奏 小野アンナ夫人
ピアノ ジヨルジ・ロランジユ氏
二、チヤツコーナ (二短調) バツハ作
ヴアヰオリン独奏 小野アンナ夫人
バツハのチャツコーナは、彼の作無伴奏の六つのソナタ中第四にあるト短調のものゝ終曲で、その構想雄大なるため、特にこれだけを切り離して演奏されるのを常とする。その技巧と内容との均衡はむしろ驚異とすべきである。
三、歌劇「ハバンシチナ」中のアリア ムツソルグスキー作
独唱 エン・アレキサンドロフ氏
四、a、物語曲 バラーヂ (ト短調) 作品百十八、三番
b、狂想曲 ラプソヂイー(ロ短調) 作品七十九、一番
c、喜戯曲 スケルツオ (ヘ短調) ブラームス作
ピアノ独奏 エヌ・ロランジユ氏<strong>
五、チイゴイネルワイゼン サラサーテ作
ヴアヰオリン独奏 小野アンナ夫人
此れは西班牙の名手(ヴイルトウオーゾ)の最も通俗的なものの一つとして、普ねく世に知られてゐるもので、ジプシーの陰鬱さうな、もの悲しい歌曲に、極めて軽快な舞曲を配して成るものである。最近に於ては先頃来朝して朝野の血を湧かしめた彼のミツシヤ、エルマン氏に依つても弾かれたものである。
六、歌劇「イーゴル公」中のアリア バラデイーン作
独唱 エン・アレキサンドロフ氏
七、ポロネーズ (変イ長調) シヨパン作
ピアノ独奏 ジー、ロランジユ氏
編輯後記
□ 愈々音楽会は来る廿五日夕七時より神田青年会館に於て開催、アウエル氏門下の秀才アンナ夫人推薦音楽会とする。会員は白青券各一円引なれば多数の御来場を祈る次第である。本号はその音楽会を記念するため音楽会記念号とする。
上の文と写真は、批評と紹介 『斧』 四月号 アンナ夫人推薦音楽会記念号 大正十年四月一日発行 に掲載のものである。