蔵書目録

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『清国現未の形勢』 (根津一演説) (1901.10)

2022年04月01日 | 孫文、稲天、東亜同文会、黒竜会他

  

 淸國現未の形勢
          東亞同文會幹事長    根津一演説
          上海東亞同文書院々長
                    
 此上奏〔劉坤一張之洞の連合上奏〕は三段に分けて三度上奏して居ります第一回は專ら人材を養成する方に係はるので四個條に分けて居りまして第一には文武の學校を各省に洽く盛に起さうそれは矢張主に日本のに則つて起さうと云ふことになって居ります第二は文科を改めろ、文科を改めろと云ふのは今の八股文を廢すと云ふことでございます幾ら文武の學堂を興しても八股文を以て人を採ることを廢せぬければ誰も遣り人がございませぬから新學を盛に起すには八股文を廢し文科を改めなければならぬ第三には武科を止めろ武科は從來は士官を採りまする時に石を空中に抛けて見たり弓を彎いたり馬に乗つたり運動を試みる斗りでございましたがそれを一切廢して武官を悉く武備學堂出身の者で西洋流の戰術戰法を習つた者のみから採れそれから第四には遊學を奬めろ各國へ遊歷をなしそうして各國の新學をして來るやうにせよと云ふので是れが最も日本と關係のあるのでございまして各國へ出す中で日本へ主に出すと云ふことを反覆論じて居るのでございます日本は近くもあり往復の日數も少くて濟むそれから孔孟の道徳を土臺としてあるから往て學んで弊も少ない又泰西の形以下の學問は悉く取り盡して居る費用は歐羅巴へ往て遣るのと三分の一で濟む文字が同じだからして熟するも早ひ此等の諸利益があるから留學生は主に日本へ悉く出さうと云ふことを論じて居ります此上奏が果して採用になつたものとしますれば此個條の如きは無論採用になるのでありますからそうすれば日本に留學生の來るものは將來夥しいものと思ひます、假りに一省三十人づゝ來ますとすると十八省でございますから五百四十人來ます、そうなると日本と支那とに付いて政治上經濟上に如何なる大關係を有するかと云ふことを考へなければならぬ、旣に新聞にも段々見へて居りますが福州からも五十人演習の見學に來るとか夫等の一部は必ず留學生として殘るであります杭州からも三十人或は劉坤一の處では先頃は三十人の留學生を第一着手に出すと云ふことを計畫して居りますさういふ大關係がありまするので此の四つは要するに學を興し才を養ふと云ふとに歸するのである、
  
私共の學校即ち同文書院の事を少し加へてお話したいと存じます私共の同文書院は昨年來南京に建てまして微々としてやつて居りましたのですが所が此四月から大擴張をしまして上海に移しましたそれに就て上海の地と云ふものは十分熟考した上で南京から斷然移したのでございます夫れで上海の地の一種特別な他の國の開港塲にない性質のあることを諸君に一寸御參考にお話したいと思ひます

斯の如く經濟上の重要地と云ふことは益々其度を增すでございますが茲に上海に特別な日本の開港塲にない性質のあるのは經濟上の重要地であるのみならず政治上外交上社會上の重要地となります譯があるのです是れは他の國の開港塲で餘り類を見ぬのでございます政治上の方から申すと云ふと上海は新奇の事物が開けると共に新聞でも何でも政治上の事は無論上海が元になつて全國に播傳致します何れの國に致しましても政治上の大都府は社會上の中心地であり又外交上の中心地となるのでございますが上海は外交上の關係も半ば上海に在り又社會上の中心は全然上海に遷りました

さう云ふやうな色〻な便利の爲めに本會の學校を斷然上海に移してそれから段〻擴張すると云ふ考へでございましたそれで現在養つて居ります生徒は政治科生徒と商務科生徒の二種に別ちまして學生は府縣費生が六十人自費生が二十人でございます是れは日本人の方であります支那人を養ふ方に就きましては上海へ分院を建つて蘇州、杭州、上海に在る支那人の中流以上の子弟に中學程度の普通學を授ける積りでございます、それから南京にも旣に支度は出來て居りますが此分院では湖南湖北と南京と安徽江西の一部の者を加へて養ふ積りでありますそれから四川の方に向つては支那人と相談が始まつて居りますが會の方では人だけ貸して矢張り分院の章程を授ける積りで私共の方の學校で盡力してさう云ふ方針の導き方をしやうと思ふさうして揚子江の四川から上海までの水域の八十万英方里の地に普通學の基礎を支那人の方へ立てようとしますそれから一方には支那人と日本人の現在養つて居る生徒の如きは段々に學窓で知り合になつて參りますと前途政治上工業上の上に互に提挈する上に容易ならぬ便利であらうと思ふ且私共の生徒は政治科生徒の方は段々總督なり府の政治上の顧問にし又商務科生徒は學校長を兼ねて支那の實業に從事するなり或は經濟上の顧問にする目的を以てさう云ふ風の科目を授けつゝあります此の學校長を兼ねることに就て一寸御話ししますが支那では學問を大變尚ぶ國であるから總督が赴任して來ましても必ず總督の方から大きい學校長には總督から先きへ往て禮をして學校長の方が答禮すると云ふ程に重ぜらるゝ所であります支那へ行て事業する人は必ず先づ學校の敎師とか校長とか或は敎頭とかに囑托を受けてそれで信用と尊敬を受けてさうして實業なり政治の相談役をやると眞とに意見が行ひ易いのでありますさう云ふ所から考へてあゝ云ふ仕組になって居るのでございます
先刻申したやうな次第で支那の國勢は愈〻革新に向ふだろうと思ひます革新に向ふに就きましては第一番に支那の普通學の發達を圖ることゝそれから日本人を學校に聘用さして唯今申した通り學校長を兼ねつゝ他の事業に從事すると云ふことを益〻擴めたいと思ひますのでそれで私共の學校でも愈〻今度九十人を第二期生として全國の各縣から募集する積りで縣費生と自費生とを加へて九十名募る積りであります近日其募集に着手致さす積りでございます且つ先刻申したやうな次第でどうも支那が斯樣に決心を取つて着〻遣つて來るにも拘はらず各地を歩いて見ましてもまだ支那の事はまだ解釋がよく解けて居りませぬ此際奮つて國民に支那の現在未來は斯う云ふ形勢に行くだろう依て豫め其考を以て居る樣に廣く國民に解釋を話し上下一致して支那の事には從事しなければならぬ塲合だろうと思ふのでございます日本の國家國民としては国の爲又利益の爲餘程此際は支那の事情に注目して大に施設の事を今日より考へて置かなければならぬ時であろうと思ひます其事柄を天下に通徹させる爲めに同文會では日本を二分しまして其半分を長岡子爵が歩るきますし半分を私が歩きまして各縣を洽ねく歩ひて其事を話し一つ大遊説をしたいと思ひます傍ら第二期生徒の募集も兼て遣るでございますからどうぞ諸君も其お考を以て支那の形勢の解釈の事を國民に洽く通達するやうに御盡力あらんことを希望致します (拍手喝采)
 
〔蔵書目録注〕
 
 上の文は、すべて明治三十四年十月に頒布された冊子『淸國現未の形勢』の一部である。
 この冊子については、昭和五年五月十日発行(非売品)の『山洲根津先生傳』の中にいくつか記述がある。
 ・自叙伝 「同文会の全国遊説」 
    其の演説する所は、予の筆記せる「淸國現未の形勢」なる冊子を印刷し、之を豫め各方面に頒布し、委員は之れに因て演説し、到る處新聞紙には現未の形勢を全部登載せしめたり。
 ・山洲根津先生年譜 明治三十四年 四十二歳 辛丑
    十月東亞同文會に於て日本全國地方を分擔す
    「淸國現未の形勢」を配布す



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