郷土全協的だなと思った二人の太郎がいる。
ひとりは岡本太郎
岡本太郎は、1970年の大阪万博のテーマ展示のプロデューサーを頼まれた時。
周囲は「そんなの受けない方が良い」と猛反対。
しかし、無茶なことこそ挑みたくなる太郎であった。
万博のシンボル展示として太郎はあの大屋根を突き破る「太陽の塔」を提案した。
しかし、その大屋根は著名な建築家、丹下健三デザインで重量計算も含め、すでに設計が出来上がっていた。
その大屋根に穴を開けるというのである。
もちろん周囲は猛反発。
360度全員反対、四面楚歌の嵐の中で岡本太郎はひとり根気強く自説を説明。
ついにゴーサインを得る。
かくして太郎は、万博テーマ「人類の進歩と調和(=日本が高度成長絶頂期で夢の未来を無邪気に信じていた)」に反対し挑むものとして、「太陽の塔」を造り上げてしまった。
「五重の塔ではない日本。ニューヨ-ク、パリの影でない日本」、「縄文の心(=日本人の中に今も宿っている原始のたくましさと豊かさ、ふつふつとたぎる生命力)」を呼び覚まし、時空を超えた絶対感として、「太陽の塔」をドカンと突っ立たせたのである。
もうひとりは山本太郎
演説中、ヤジが飛んだ。
山本太郎はスタッフに「マイクを貸してあげて」と、そのヤジを放った人にマイクでしゃべらせた。
ヤジの彼との認識の違いを話題にしようとしたのだろう。
街頭演説の終了後は聴衆からの質問コーナーとして時間を取っていた。
時には「議員辞めろ」の罵声も浴びることもある。
彼は、「そんなあなたも守りたい」と応えたという。
故安倍元首相がヤジを放つ人々に対し、「こんな人たちに負けるわけにはいかないのです」と警官に取り締まらせたのとは心の開き方が180度違う。
この二人の太郎は、「意見の違い」に目を背けず、相手とことばを交わし合い、互いに近づいていこうとしていた。
これぞ郷土全協的だ。
杉並区長に初当選した岸本聡子氏も「自分に票を入れなかった人々の意見も聞きたい」と対話重視の姿勢を打ち出している。
この人も全協的だ。
-K.I-