昨年末、いわゆる「東京六大学」の学生さんと交流する機会がありました。
(簡単に言うと、彼らが行っている「フットサル」というスポーツの審判に行ったのです。)
その中で、「意図的ではない」にせよ、結果として反則を犯した人に対して、「警告する(イエローカードを提示する)」ことをしなくてはいけない場面に出くわしました。
その際、警告された学生さんが
「すみません。」
と言ったのが印象的でした。その場面を見て、考えさせられたのは、ずばり
「育ちがいいんだな。」
ということです。たぶん、家庭でも、学校でも、地域でも、それなりの高度な教育だったり、人間性のようなものの中で育ってきたのだろうと思いました。
過労死でなくなった某大手広告代理店のTさんも、学生のときはこんな感じだったのかなと思いました。
何が言いたいのかというと、社会人になったら、そういう「育ちのよさ」みたいなものは真っ先に否定されるのだろうなという心配をしたということです。
「嘘をつく」「人をだます」「自分のミスを棚にあげる」・・・等々。
社会人になったら、そんな場面に出くわすことは間違いありません。
いや、すでにアルバイトの現場でもそういうことはたくさん起きていると思います(そこで、「社会勉強をしている」という見方もあります。しかし、大人が嘘をついたり、裏切ったりする場面は本当に醜いです。)
個人的には、「育ちのよい人」ほど、そういう場面に出くわしたら、どう思うのか気になりました。
中央官庁では、若い人の離職が増えているとのことです。
残業うんぬんより、そういう「人間性」のようなものにうんざりしているのではないかと想像しています。
だからといって、幼いころから「人間社会の汚さ」を教えるべきかというと、それでは「教育」があまりにも、悲惨な現場になってしまうと思います。
だが・・・、しかし・・・、今の学校が「都合の良い美辞麗句で並べられている」というのもあると思います。
「明るい未来」「希望の道」「夢への一歩」などという、実体のない薄っぺらなものばかり教えた結果が某大手広告代理店のTさんのような事故(事件)を引き起こしたのなら、その責任は「学校」「教育」にもあるといえると思います。
では、どうしたらよいのか・・・。そのことの答えになりうるものは、また別の機会にかきたいと思います。
-K.O-