心のよりどころ。毎日が日曜日。

恩師に人のために生きることを学びました。
「自利利他」を座右の銘としています。
相談無料困った時はご一報ください。

ちょいといい話 -7-

2009-03-16 19:27:50 | 生きる智慧

ちょいといい話 -7- 禅の言葉

「一切唯心造」 (いっさいゆいしんぞう) すべては心が造るもの。

「一切は唯(ただ)心の造るものなり」

地獄・極楽もしょせん心の中です。善悪、美醜、有無の心が造り出したものです。

そういう相対する所から争いや、悩み、迷い、苦しみが生まれるのです。

一切は心が造るとわかると、自然の中に対立は消え、心はそのままに見るという状態

が出来ます。そこを仏様の心というのです。

人は心の持ちようで良くもなり悪くもなるのですね。そして心は顔に表れています。

柔和でやさしい明るい顔で日々をすごしましょう。


2009-03-11 20:06:19 | ブログ

あいにくの天気でしたが(昨日の方が良かった)長男の兄と連れ立って

北浦へ小鮒を狙って釣りに行きました。フナは釣れずクチボソだけでした。

餌は、赤虫を使いました。他の人はネリ餌を使用していましたがやはり

フナはゼロ果のようでした。最近は皆さんネリ餌を使う人が多くほとんど

赤虫を使う人はいません。赤虫にはクチボソ・フナ・鯉など何でもOKなの

ですがネリ餌には雑魚はほとんど掛からずフナ・鯉がメインです。

私はなぜか赤虫を使います(古い人間だから?)それでもフナは結構釣れ

ます。ただ餌を付けるのに面倒を感じます。(年とったので)

今日は、クチボソを23匹釣りましたが、水戸近辺ではこのクチボソになかなか

お目にかかれなくなってしまいました、これも河川の生態系の異変と思います。

だんだん旧来の小魚が減ってしまっています。外来魚の影響が大のようです。

皆さん日本の自然環境破壊に関心を持ってください。そしてもっと自然の中で

遊びましょう。    南無南無


ちょいといい話 -6-

2009-03-10 15:33:23 | 生きる智慧

ちょいといい話 -6- 禅の言葉

*「無功徳」(むくどく)こだわりを捨てて無心に。 達磨大師。

我々はどうしても見返りを求めてしまいます。仏様に対しては御利益を求めてしまう。

これだけのことをしたのだから人には感謝して欲しいとか、善い事が起こってあたり

まえとか。人の為と書いて「偽」となるのです。目立とうとしたり、ほめられようと

したり。競争社会の中で生きる者としては、これは当然のことかも知れません。

しかし、そこにある自我が煩悩を招くのです。それを戒めろ、と言っているのが仏教

なのです。

自然と発する心からの行為、それを善行というのです。善行ができるご縁をいただい

た、それだけで有り難いじゃありませんか。

もちろん善行を行なえる環境にありながら、悪いことばかりするかわいそうな人もい

ます。しかし、それは論外、「縁なき衆生は度難し」です。

やはり普段からコツコツと善行を積むことが大切だということですね。見返りを期待

したり求めることを想定してすることは善行とは言えないようです。


ちょいといい話 -5-

2009-03-06 18:46:15 | 生きる智慧

ちょいといい話 -5- 禅の言葉

「放下著」 (ほうげじゃく) 捨ててこそ自由自在が得られる。

「放下」とは、放り出す、捨てるの意味。「著」は命令を強める置字です。「捨ててし

まえ」ということです。

執着から生まれてくる煩悩は、つきることはありません。後から後から欲は泉の如く

わきだします。そのものが得られれば、一応満足してもそれを保持したことによって

再び悩まされたり、又新たな物を求めようとする。だったら、いっそ全てを捨ててし

まう。無に徹する。すると、そこにとらわれのない境地を得ることが出来る、そして

無ということも捨て去るところまで行きなさいと言っているのです。奥深いですね。


ちょいといい話 -3-

2009-03-04 17:29:43 | 生きる智慧

「春来草自生」(はるきたって くさおのずからしょうず)自然の摂理にさからはない。

仏性(仏様になる能力)は、全ての人が持ち合わせています。仏性を信じるというこ

とは、自分が本来持ち合わせた能力を信じるということです。

禅は、人を分け隔てなく照らしてくれます。そのところは学問に無いところです。

全ての人が持ち合わせている心で救われていくものだからです。これは理想論でも伝

説の話でもありません。

「覚悟」とは、悟りに目覚めると書きます。人には心のアンテナと言うものがありま

す。しかし、そのアンテナが大人になっていくにつけ埋もれてしまうのです。

「仏」と言う字は「私」という字の中に隠れているのです。

私たちは、大人になるにつけ知識と言うものを身に付けていきます。しかし、そこに

ある危険にまったく気付いていないのです。知識の中から区別や差別が生まれてくる

のです。自分の損得を考えて行動するのです。私さえ良ければいい、他人のことなど

どうでも良いと。もう一度自分の中にあるアンテナを呼び起こして見て下さい。

一人ひとりの自覚が、諸々の世の中の事件、戦争を抑止するもので、これが人間本来

の持つ自然の姿だと思います。------春来たって草自ら生ず------

禅の教えは奥深いです。誰もが人間本来の自然の姿に戻れればいいですね。