大沢たび気分
LEOクンはお腹へる時間はきちんと覚えている。
散歩に行こうというとへそを曲げる。
メタボのLEOクン。
寒いけど両者我慢してメタボ対策の散歩に。
大沢は国分寺崖線にあたるため坂が多い。
坂の途中には花壇があったり祠があったり。
意外性があるのだ。遺跡も発掘されている。
http://www.syougai.metro.tokyo.jp/iseki0/iseki/list/ruins/13204/204ruins.htm
いつもと違うちょっと奥の道を歩いてみた。
梅林、竹林などいつもと景色が違う。畑も少し残っている。
ここの色と香りはいつまで保てるのかな?
建売住宅はもういらないと思うがどんどん出来てきて売れてしまう。
購入するのは若い世代なんだよな。偉いと思う。俺には勇気がない。
こんなことを考えLEOクンとの散歩を終えた。
実に面白い メード・イン・ジャパンからメード・ウィズ・ジャパンへ
日経ビジネス2014.01.13号 特集 世界と共に未来を創る
今回の日経ビジネス特集は的を得ている。鋭い指摘である。
このご時世でまだリストラである。こんな繰り返しでは世界に通用しない。
わかりやすい指針を与えてもらった。そうだ!
「メード・イン・ジャパンヘの執着を拭い去れ」というメツセージです。我々は日本という土地で、日本人が生み出すからこそ「高付加価値」であると、今も信じているところがあります。しかし、最近では自前主義に固執するあまり、スピードやコストで負ける場面が増えてきました。視野狭窄に陥って、世界のニ-ズを読み違えることもあります。そろそろこの過去の栄光を捨て去る時期に来ています。
それは必ずしも日本の衿持を失うことを意味しません。日本の強みを生かしつつ、世界の多様性を取り入れた「共創」の視点を待つこと。世界の企業や人々に「日本と共に(ウィズ・ジャパンで)」価値を生み出してもらう環境を作ること。そうした聞かれた発想こそが、一見、主導権を奪われるように見えて、結果としては大きな果実をもたらすのではないでしょうか。
戦後復興と高度成長を支えた輝かしい言葉、メード・イン・ジャパン。
かつて「粗悪品」の代名詞だったそれを、先人たちは「高品質」を表す言葉に塗り替えた。
日本で、日本人が生み出すからこそ、実現できる価値があると信じてきた。
だが、経済が国境を容易に越えていく今、「日本」へのこだわりと過度の衿持は、ただ感傷的な懐古と驕慢を呼ぶにすぎない。
攻めの二〇一四年、今こそ世界に経営を開こう。
世界中の人や組織が、「日本と共に」価値を生む。
私たちはこれから、この三語をこそ誇りたい。
さらば、自前主義
標準は50億中間層
「諦め」で強くなる
幼い頃を思い出した 傷痍軍人の人たち
昨日、いや今日の早朝だ。日テレで「皇軍」というドキュメンタリーを放映した。
大島渚監督の力作だという。興味本位で見たが、とんでもない。ぶっとんだ!
1963年(昭和38)8月16日放映。俺が高校3年生の時だ。戦争が終わって18年。
クローズアップで我々に迫ってくる。これでいいのか!これでいいのか!と。
衝撃を受けた!今、大島が生きていたらどんなドキュメンタリーを撮るだろうか。
俺は昨日も書いたが高校を卒業して50年経つ。50年前のドキュメントだ。
ついつい力が入ってしまった。
冒頭、番組は海岸沿いを走る明るい電車内で募金を訴える白衣の傷痍軍人の映像から始まる。日本軍属として従軍し、戦傷を負い、戦後「韓国籍」となった旧日本軍兵士だ。日本人傷病者への戦後補償が法的に成立したあと、彼らには軍人恩給も支給されず、日本の社会保障制度も適用されなかった。番組が放映されたのは、東京オリンピック前年の好景気に湧く1963年。忘れられていた戦後、いや、人々が忘れ去ろうとしていた戦争の無残な記憶がそこにある。片腕、片足を失い、失明した傷痍軍人。重い障害のため仕事の口はなく、ただ街頭に立って募金を訴え、糊口をしのいでいる…。容赦ないクローズアップの連続、その圧倒的な映像の迫力に、我々は言葉を失う。
『忘れられた皇軍』はまるで叫ぶように、こう問いかけて終わる。
「日本人よ、私たちよ、これでいいのだろうか…これでいいのだろうか?」
それは同時に、大島がいまのテレビに対して発した、痛烈な問いかけなのかもしれない。
大島監督の座右の銘
「深海に生きる魚族のように自ら燃えなければ何処にも光はない」
http://ikunou.exblog.jp/19882476/