念仏とは
親鸞に夢中 つぎの選択という言葉が今一理解できない。昼寝をする前にベッドに横になって本を広げていた。あっという間に眠りに入った。落ちたという表現が正しいか。気持ち良く40分の昼寝ができた。
選択(せんちゃく)というのは、二つのなかからどちらかを選びだすのではない。それは片方を捨て、片方に身命をかけることで、魂(たましい)が二つに引き裂かれる恐ろしい行為でもある。その引き裂かれた魂からしたたる血が、念仏なのではないか。
親鸞(下) 五木寛之著 講談社文庫 p261 綽空(しゃくくう)から善信(ぜんしん)へ
無我夢中とは
一心不乱とでもいうのか。ラケットを振りつづけた。汗が垂れる。足が動かない。腰の粘りがなくなる。「でももう一歩」とがんばる。挫けてはいけない。
今日も金曜日の夜はナイターテニスだ。運良く個人レッスンだ。こんな幸せなことはない。精一杯楽しまないと。楽しむということは全力を尽くすということ。若い時だったら余白はあるが、私にとっては「今この時」が大事であり頂点にしなくてはいけない。変な言葉だが、満足はしていないが満足はしている。
風が強い 今日の定点
午後2時半過ぎ(晴れ)の気温23度、湿度44%。風が強く以外と寒い。久しぶりにLEO君と大沢1丁目を散歩。スポットガーデンは相変わらず癒してくれる。葱坊主が大きくなっていること。