輝ちゃんつれづれに 

最近はインスタ・LINE、スレッズを始めました。楽しかったこと、残しておきたいことを自分の言葉で書き込みます。

ジェットコースターのような気温差

2016年06月14日 22時54分44秒 | マツンのおもい

からだ持ってますか?体調崩していませんか?

このような状況の時強いのはマイニチサンデー君だ。

よほど用事・能がない限り外出はない。電車が一番嫌だ。中央線の混雑なんか考えただけで頭が痛くなる。人いきれ、ぶつかり合い。よく耐えていたな。

でも、昨日は大学の公開講座が入っていて2次限目に間に合わせなくてはいけない。バス一本だから自分の努力だけで済む。バス停から大学までの道は辛かった。雨が半端でななく横殴りに強弱のリズムを入れて降ってくる。靴も濡れる。久々に自然にやられてしまった。

今日LEO君と散歩。午後2時半ごろぶらりと大沢1丁目周辺を。その前にいつものように定点で。気温27度、湿度58%。大沢橋まで行こうとしたが、小道を見つけた。

 

大沢は坂が多い。急な坂に細い階段を見つけた。どこに行くのか。しかしよく作ったものだ御殿を。最近歳を感じている。当たり前というかもしれないが階段を下りるのが怖い。地震があった時どうするのだろう。他人事ながら心配してしまう。「ゴッテン」になるのだろうと独り笑い。余計なことをするから汗が出ること。登ってみるといつもの散歩道の一歩先に出た。昔は眺めが良かったのだろうな。そういえば速射砲台跡が残されている。

http://yumigundan.web.fc2.com/mitaka.htm 

いただきものをした。山形のさくらんぼ 佐藤錦だ。色もいい味もいい、美味しく食べた。さっそく礼状を書いた。このような気持ちを表すのはやはり手書きの葉書だろう。

 

昨日こんなことが

ブログの書き込み中だ。しまった!ゴミ出しをしているうちに。

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メンテナンス日時 : 2016年6月14日 (火) 0:00~12:00 予定

書き込み予定の記事は 最近の反省 きっかけにしていこう

戦後の原点、忘れたか 元早大総長、メディアに深い憂慮

西原春夫さん(88)

http://digital.asahi.com/articles/ASJ6B5QGQJ6BUTIL025.html?iref=com_rnavi_srank 

戦後、多くの報道機関が反省を述べました。こんな内容です。「強制とはいえ真実を伝えられず、国民の判断を誤らせ国を滅ぼした。今後は言論の自由を守り、もし公式発表に偏りがあるなら政府に真実を伝えさせ、自らも真実を伝えるよう努力する」

健全な国家には政府に邪魔だと思われる新聞・テレビが絶対必要です。政府も寛容でなければなりません。ジャーナリストよ、戦後の原点に返れという思いでいっぱいです。

25年たって、なぜ福島で

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12406948.html 

 今年3月、ウクライナ・キエフ郊外の新ボロービチ村で、ニーナ・テレシェンコ(78)に会った。「これだけは、いっておきたかった」と彼女は語り始めた。

 「教えてほしい。なぜ福島で、日本で、事故がおきたのか。すべてチェルノブイリで経験したはずなのに……。ニュースを聞いて、震えと涙が止まらなかった」

福島第一原発事故が、なぜ日本でおきたのか。答えの一つは「チェルノブイリの教訓をまじめに考えなかったから」だ。宿題は残る。「福島の教訓は十分に学んだのか」である。

我々は、違う、私はフクシマを忘れてしまったか。反省する、新聞記事を読んで「いけない」と強く感じた。まずは自分の意思を表示することだ。ブログに書き、知っている現状を訴えることだ。

私の高校時代からの友人のAさんは具体的な行動をしている。その一つが、原発「吉田調書」報道を考える読者の会と仲間たちの<呼びかけ人>の一人である。次のような冊子を作成した。「誤報じゃないのになぜ取り消したの?」

https://www.facebook.com/yoshida.chousho.kangaeru/posts/961044997326631:0 

まずはこのブックレットを読むことからはじめよう。



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