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100分de名著 道元“正法眼蔵” 第4回「すべての行為が修行である」
普通は悟りを得るための手段として修行をすると考えられているが、道元はそうは考えない。修行そのものの中に悟りがあり、悟りの中に修行があるとみる。この立場に立てば、行(歩き)・住(止まり)・坐(坐り)・臥(臥す)といった生活の一挙手一投足が修行となり、そのただ中にこそ悟りがあるという。第四回は「洗浄」「諸悪莫作」等の巻を通して、人のふるまいを何よりも重んじた道元の言葉から、人として生きるべき指針を学ぶ。
只管打坐 しかんだざ
喫茶去 きっさこ
洗浄 せんじょう
諸悪寞作 しょあくまくさ
四摂法 ししょうぼう(布施・愛語・利行・同事)
八大人覚 はちだいじんかく「少欲」「知足」「楽寂静」「勤精進」「不妄念」「修禅定」「修智慧」「不戯論」
http://members3.jcom.home.ne.jp/tenbou/1page/213oc.htm
11月の放送は、「正法眼蔵」道元だった。あっという間に4回が過ぎた。
テキストの表紙に書いてあった、「生きることが修行である」「あるがままの世界に、自分を投げ入れよ」という意味が少し理解できてきた。
永平寺は友人の結婚式を利用して行ってきた。ただの田舎の中に自分が置かれ、お寺・永平寺街に飲み込まれてしまった感じがした。たんなる観光で終わってしまった。でも足を踏み入れた経験は大きい。「すべての行為が修行である」ということ振り返ってみて理解することができた。
今、「大乗の仏道」仏教の概要(東本願寺出版)を読みつつ、仏教学入門講座を受講している。なんとなく入り口に入ったようである。