100分de名著 宮沢賢治スペシャル
第2回「永遠の中に刻まれた悲しみ」
自らの詩のことを「心象スケッチ」と呼んだ賢治。心象とは、宇宙や無限につながるものであり、人間の心象を描くというのは、個人的なものを越えて普遍的なものをスケッチすることだと賢治はいいたかったのだという。妹トシの死への悲しみを刻印した一篇「永訣の朝」も、単に個人の悲しみだけではなく、人間の「生と死」という絶対的な真実をこそ記そうとしたのである。第2回は、賢治が向き合った「生と死」の問題に迫っていく。
春と修羅 序
http://why.kenji.ne.jp/haruto/100jo.html
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
この番組がなければ宮沢賢治と向き合わないだろう。わかったようでわからない。詩ではなく心象スケッチという。心のありようを言葉で表現する。それは宇宙の真理を探究することにつながるという。そして、自分の心の奥へ奥へと向かっていけば、広い宇宙につながると結ばれているがどうも私には理解できない。でも、悔しいからもう一歩前へ進みたい。