桜と惜別
今年は井の頭公園、野川公園の桜を見ることはできなかった(足を痛めたため無理をしたくないので)。
今日、買い物ついでに武蔵境の観音禅寺に寄ってきた。
そこには哀愁があった。
終わりが告げられていた。
始めがあって終わりがある。
静寂の中で自分を見つめてきた。
境内のノートに今の自分を記してきた。
新緑の季節だ。
ちょっとの隙間が
油断というのか偶然なのか必然なのか
何ごともそうだ。
今回の右足首の捻じれもちょっとしたことから。
暖房器具を踏み違えただけのこと。
ベッドの脇に置いてあったから悪い。
使わないなら横隅に片付けるべきだった。
何せ身のこなしが悪くなっている。
頭ではこんな「チョロイ」ことと思っていても体が悲鳴を上げている。
危険信号を見逃している。
結果が起こってから「このジジイめ」と怒っても所詮結果論。
年相応のことは最低限やらなくてはいけない。
だいぶ良くなってきたので武蔵境に買い物に行き桜を見る気持ちが出てきた。
熊本地震を忘れていないか
NNNドキュメントで熊本地震の阿蘇大橋で行方不明になった大学生の捜査を追っていた。「あの一瞬」が生死を分けたんだ。目を凝らして見ていた。たった1年前の出来事を忘れてはいないだろうか。決して忘れてはいけない。家族のあり方を真摯に教えてもらった。「ちょっとの差」で運命が。どうしたらいいんだろう。過去の事例を教訓を生かす努力が問われるだろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakashinji/20170410-00069738/
おかえり 晃
~熊本地震 家族の1年~
熊本地震が引き起こした大規模な土砂崩れが巨大な橋を呑み込み1人の若者が乗った車を巻き込んだ。大量の土砂に阻まれ捜索は難航したが息子を探し続けた両親がついに車を発見した。しかしそこは険しい崖が切り立ち巨大な岩が無数に転がる谷底。それでも両親の執念で息子を家に連れて帰ることができた。突然の災害で息子を奪われた両親の悲しみ、絶望、喪失、そして微かに見え始めた希望。熊本地震から1年、家族の日々を追った。
大沢の桜も精一杯がんばって咲いている
寒い日が多く、花の活躍する姿を見る日が少なかった。
記念に今日の桜を撮ってみた。