はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

赤壁に龍は踊る・改 一章 その9 論戦~対陸績

2024年12月21日 10時17分11秒 | 赤壁に龍は踊る・改 一章
すると、その隣にいた棒切れのような細長い顔の男が叫んだ。
「率直にお尋ねする。曹操とは?」
「漢室の賊臣なり」
打てば響くと言った孔明の答えに、細長い顔の男は、小ばかにしたように鼻を鳴らした。
「よくもまあ、いい切れるものよ。漢の命運は尽きているのは童子でもわかること。
一方の曹丞相は天下の三分の二をすでに治め、良民もかれに付き従っておる。
そんな曹丞相を賊呼ばわりするということは、名だたる帝王たちや武王も秦王も高祖も、みな賊となってしまおうぞ」


おどけてみせる細長い顔の男の態度に、それまで穏やかな笑みを浮かべていた孔明は、急に顔をこわばらせると、これまでより声高に言った。


「その無駄口を叩く口は閉ざされていたほうがよろしいでしょう。
貴殿の言は父母も君主もない人間のことば。
そもそも、曹操は漢室の碌《ろく》を食みながら、邪悪な本質をあらわにし、天下の簒奪を試みている大悪人。
それをほめそやすとは、貴殿も主君におなじたくらみを持っておられるのか?」
「そ、そんなことは」
打って変わって弱弱しく反駁《はんばく》しようとする男を、張昭が、「もう黙っておれ!」と叱った。
男はしゅんとして、もうしゃべらなかった。


「しかし曹操という男は、ひとかどの男だと認めざるを得ないのでは?」
と言い出したのは、地味な顔立ちだが、身にまとう衣は上質そうな男だった。
「陸績《りくせき》、あざなを公紀《こうき》と申す。臥龍先生にぜひ質問したい」
「なんなりと」
「曹操は相国《しょうこく》曹参の末裔であることにまちがいはない。
しかし、貴殿の仕える劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)はもとはむしろ売りだと聞いた。
この両者を比較するのは、そもそもおかしいのではないか?」


むしろ売りと聞いて、周りの男たちが馬鹿にしたように忍び笑いを漏らす。
孔明のとなりで、それまで黙って論戦のゆくえを見ていた趙雲が、これにはいきりたち、身を乗り出したのを、孔明は手ぶりで、これをとどめた。
小さく、「任せろ」と合図を送る。
趙雲は、むすっと唇を引き結んで、また一歩、うしろに退いた。
孔明は小さくうなずくと、陸績に向き直って、つづけた。


「陸公紀どの、貴殿は周の文王の故事をごぞんじないのか。
かれは天下の三分の二を領しながらも、商(殷《いん》)に仕えつづけたではありませぬか。
紂王《ちゅうおう》の暴虐があってこそ、はじめて文王の子の武王が立った、そのことをお忘れでは? 
しかし現代のどこに紂王がいるのです。
董卓が紂王というのならまだしも、かれはとっくの昔に黄泉の人となっている。
では、今上帝《きんじょうてい》が紂王だとでも?」
「そんな畏れ多いことは」
「そうでしょう。そうではない。
なのに曹操は漢王室になんら寄与せず、どころか武王のまねごとをしようとしている。
一方でわが君・劉備は、零落した家系ながらけなげに漢王室に尽くし、いまなおその復興を願って行動を起こし続けておられる。
それを比べて、どちらが優れているかは火を見るより明らかではありませぬか。
そも人物の全体をよく観察もせず、出自だけを見て蔑むとは、その心根の卑しさに唖然とするほかありませぬな」
さすがにこれには陸績も返答に困ったようで、身を縮こまらせてしまった。


もはや、その場にいた誰もが口を開かず、あれほど騒がしかった場は、しんと鎮まりかえってしまった。
孔明は、だめ押しをするように、家臣たちそれぞれの目を見た。
だが、目が合うと、かれらは怖いものと目が合ったかのように、ふいっと目を逸らしてしまう。
場を支配した証だ。
魯粛は自分が勝ったように微笑んでおり、そのすぐそばにいる張昭は、まだなにかを言おうとことばを探しているようだったが、けっきょく、ことばは見つからなかったようで、赤い顔のまま口を閉ざしてしまった。


「孫将軍が、劉豫洲の使者どのと面会したいと申されておる」
その声に振り向くと、髪に白い物の混じった、いかにも頑固そうな老将が、いかめしい顔をしてこちらを見ていた。
「先導する。付いてこられよ」
名乗りもせず、老将は孔明らに背中を向けて、奥へと歩き出す。
魯粛はあわててそのあとを追いながら、孔明に耳打ちをした。
「かれは黄公覆《こうこうふ》(黄蓋《こうがい》)どのだ。
いよいよだな、孔明どの。かならず同盟を成功させてくれ」
「もちろんです。われらのために」
孔明は短く答えると、黄蓋の鍛え抜かれているとわかる、その無駄な肉のない背中を追った。


つづく


※ 論戦を制した孔明、お次はいよいよ孫権との対面です。
このあたり、前作の「赤壁に龍は踊る」というよりも、「飛鏡、天に輝く」の雰囲気を活かしつつの書き直しとなっております。
明日もどうぞお楽しみにー(*^▽^*)


赤壁に龍は踊る・改 一章 その8 論戦~対虞翻、対歩隲

2024年12月20日 10時22分07秒 | 赤壁に龍は踊る・改 一章
家臣たちは、息をつめて張昭と孔明のやり取りを聞いていたが、それが一区切りすると、またどよめきはじめた。
しかし、そのどよめきは、最初のものとはちがい、いくらか戸惑いが含まれていた。
魯粛に連れられてきた青年軍師が、物おじせずに張昭をやり込めて見せた、その弁舌に、みな驚いている様子である。


そんななか、またひとり、手を上げる者がいる。
「われは虞翻《ぐほん》、字《あざな》を仲翔《ちゅうしょう》と申す、先生におたずねしたい」
四角い小石のような顔をした男だ。
孔明は、どうぞ、とうなずく。
「ずばりお尋ねする。曹操軍は百万という数をそろえて襲ってきた。
仮にわれらが貴殿らと同盟を結び、開戦をするというのなら、貴殿らはこれにどう対処されるおつもりか」
孔明は、その質問は来るものだと思っていたとばかりの、余裕たっぷりの笑顔で答えた。
「曹操軍の実数は、せいぜい七十万から八十万にすぎませぬ。
その内容も、袁紹軍の兵と荊州《けいしゅう》の兵をあわせただけの烏合の衆。恐るるに足りませぬ」


曹操の実数と、孔明の烏合の衆ということばに反応して、家臣たちがまた騒ぎ出した。
百万からだいぶ減った敵について、動揺しているようである。


「し、しかし! その烏合の衆に、劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)は敗れているではないかっ」
すると、孔明はおかしそうに声を立てて笑った。
「おや失礼。あまりに可笑しかったので。
わが軍はいわば貴重な珠のようなもの。
さきほどの粥《かゆ》のたとえではありませぬが、この貴重な珠を無造作に敵にぶつけて砕く暴挙をだれがしましょう」
「あえて逃げたというのか」
「左様。けれど、われらの軍以上の精鋭があつまっているはずの江東の方々は、なにもせぬうちから降伏しようとしておられますな。
それはどういったわけでしょう」
問われて、虞翻は言葉をなくし、むすっとしたまま、もう語らなかった。


虞翻までもが沈黙したのを見て、家臣たちは、またざわめいた。
だが、その声色は、だんだん低いものに変わりつつある。


その空気を変えようとしたのか、別の男がひとり、立ち上がった。
「孔明どの、口を慎まれよ! 
蘇秦《そしん》や張儀《ちょうぎ》の詭弁を真似てわれらを惑わせようとしても、そうはいかぬ!」
はなから喧嘩腰の男を見れば、がっしりした体形の小男が、顔を真っ赤にしていた。
しかし孔明は余裕の表情を崩さず、どころか愛想よく微笑みかける。
「失礼、貴殿の御名は?」
「歩隲《ほしつ》、字を子山《しざん》」
「では子山どの、貴殿は蘇秦や張儀をどう見ておられるのか。両人ともただの弁舌の徒ではありませぬ。
どちらも天下の経営に当たった大人物。
その蘇秦と張儀になぞらえていただけるとは光栄ですな」
「な、なにをばかな。わしは、貴殿がわれらを利用して曹操に当たらせようとしていることを憂いているのだ」
「憂うとはなぜに? さきほども申し上げた通り、曹操軍は烏合の衆にすぎませぬ。
それなのに曹操の口車にうまうまとのせられ、降伏を主君にすすめていること自体のほうがよほど憂うるべきことなのでは?」
「そ、それは」
「臆病者は黙っておられるがよいでしょう」
孔明に冷たく突き放されると、歩隲は、今度は顔を蒼くして、そのまま座り込んでしまった。


つづく

※ 「演義」でいくと、まさにちぎっては投げ、ちぎっては投げ、といったシーンですが……
さて、次回も論戦はつづく! 
どうぞお楽しみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る・改 一章 その7 論戦~対張昭

2024年12月19日 10時19分36秒 | 赤壁に龍は踊る・改 一章
孔明のことばに、家臣たちが、また大きくざわめいた。
「大それたやつだ、論戦に勝てる気でいるらしいぞ」
「大言壮語も甚《はなは》だしい。だれか、こいつを打ちのめしてやれ」


一触即発の空気のなか、それまでなり行きを見ていた張昭が口を開いた。
「臥龍先生……孔明どのとおっしゃったか。それでは、わたしから質問をさせていただこう。
わが名は張昭、あざなを子布《しふ》という」
「ご高名はかねがね耳にしております」
孔明は軽く礼を取る。
張昭はすこし気分を良くしたようで、うむ、と応じてから。語りだした。
「遠路はるばるいらした劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)の使者に向けていうことばではないかもしれぬが、あえて問わせてもらおう。
貴殿らの狙いは、われらが孫将軍との同盟であろうか?」
「いかにも」
孔明が答えると、張昭は、小ばかにしたように鼻を鳴らした。
「呆れたものだ。それはつまり、われらと同盟を組み、手を組んで曹操軍と戦おうということであろう? 
いままで一寸の土地も持たず、劉表の死後、荊州《けいしゅう》を取ることもできず、拠点であった新野《しんや》も追われ、みじめな逃亡を余儀なくされた、それが劉豫洲であろう。
そもそも、劉豫洲には何度となく荊州を取る機会があったはず。
それなのに荊州を獲らなかったのは何ゆえか」
「それは愚問ですな。わが君は、もとの州牧である劉表どのとは同じ宗室ですぞ。
江東では、同族から物を盗むのは当たり前なのですか」


張昭は、顔を赤く染めたが、すぐに、あごをつんと逸らして、その手に乗るまい、という顔をした。
「それは矛盾というものではないのか。
貴殿はかねてより管仲《かんちゅう》や楽毅《がっき》のごとく、覇業を成し遂げたいと思われているとか。
古《いにしえ》の英雄たちは、みな小義や私情にまどわされず、おのれの志をつらぬいたものだ。
ところが、貴殿と貴殿の仕える劉豫洲は逆のことをされている。それはなぜかね?」
「わかりきったこと。それはわれらが劉豫洲に、あきらかに高祖の血が引き継がれているからです。
たしかにわが君は当陽《とうよう》で敗走された。
お忘れではありませぬか、高祖《こうそ》(劉邦)も敗走の連続であったことを。
しかし最後の一戦では項羽に勝ち、天下を治めた。
ざんねんなことですが、天下の対局というものは、きわめて微妙で小人にはわかりづらいものですから、お分かりいただけなくとも仕方ありませぬな」
「なんと、わしを小人と愚弄するか!」
怒気を見せる張昭に、孔明はにっこりと笑って見せる。
「おや、お気を悪くなされたならご容赦ください。あくまで一般論として申し上げました。
ただ、もっと申し上げますと、いまの天下は乱れに乱れ、弱り切っております。
そこまではご同意いただけますか」
「もちろんだ」
「天下は、たとえるなら、瀕死の病人のようなもの。
それなのに、この病人を元気づけるために、いきなり肉を食べさせる愚を犯すものがおりますか。おりますまい。
ふつうはまず粥《かゆ》をすすめて、しばらくしてから滋養のある肉を与えるもの。
わが君もまた、天下を力づけるにあたり、いきなり曹操のごとく力で押して天下を圧迫する愚はしないのです」
張昭は、ちいさく、むっ、と言ったきり、黙ってしまった。


つづく


※ 論戦突入! 
前作と、ちょっぴり緊張感と言うか、ピリピリした雰囲気の論戦となっております。
次回も論戦はつづく! どうぞお楽しみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る・改 一章 その6 臥龍、挑戦を受ける

2024年12月18日 10時15分44秒 | 赤壁に龍は踊る・改 一章
そしていま、孔明は趙雲と共に魯粛に先導され、柴桑城内《さいそうじょうない》にいる孫権との面会に向かっている。


柴桑城に居並ぶ家臣たちの、よそ者に対する敵愾心《てきがいしん》に満ちた顔。
「新野城《しんやじょう》に初めて来たときのことを思い出すよ」
孔明がそっと趙雲に軽口をたたく。
趙雲はあきれた顔を一瞬見せたが、孔明が微笑んでいるのを見ると、自分も笑って、こう応じた。
「そうだ、笑っておれ。あの時と同じだ」
「そう、臥龍の前に敵はない」
声こそ立てなかったが、この張り詰めた空気の中で、あえて笑ってみせる。
すると、場を占めている悪意と苛立ちが、ますます凝縮されて自分に向かってくるような感覚をあじわった。
なにを笑うか、よそ者め、というところか。
とはいえ、孔明は恐れない。
となりに趙雲がいることが大きかったし、なにより、本当に自分には敵などいないと思っていたからだ。


魯粛もまた、堂々としたもので、満座の中で怖じるでもなく、|媚《こ》びるでもなく、大胆に歩をすすめている。
そして、大音声で、言うのだった。
「荊州《けいしゅう》より、劉豫洲《りゅうよしゅう》(劉備)の使者を連れて来たぞ! 曹賊と戦った、劉豫洲の使者だ!」
その声に、ざわめきが最高潮に達する。
それまで苛立ちにも似た顔を見せていた家臣たちが、いまやほんとうに怒り出した。
「子敬どの、討虜将軍《とうりょしょうぐん》の許しもなく、勝手に劉豫洲の使者を連れてきたのか!」
だれかが魯粛以上の大声で決めつけてきた。
しかし魯粛は動じず、悠然と答える。
「このふたりは曹操軍のことを良く知っている。
われらが将軍が、開戦か降伏かを判断する、よい材料を与えてくれるだろう」
「だれなのだ、そいつらは!」
「臥龍の号を受けた荊州の俊才、諸葛孔明どのと、主騎の趙子龍どのだ」


満座がどよめいた。
孔明は、自分の名が知れ渡っているのかと意外に思ったが、家臣たちの反応で、それだけではないことに気づく。
かれらは口々にこんなことを話し始めた。
「諸葛というと、子瑜《しゆ》どのの弟か。まったく似ておらぬな」
「臥龍という号を得たことは知っておるが、それも、俊才というのも、自称ではないのか」
「主騎というと、劉豫洲の子を助けて曹操軍を引っ掻き回した男がいると聞いたが、そいつがそうなのかな?」
「どちらにしろ、曹操から逃げてきたやつらだろう。話にならん」


やがて、どよめきの中に失笑が混じり始めて、さすがの孔明も頭に血が上りかけた。
とはいえ、この程度で顔色を変えていては、この先を乗り越えられない。
となりの子龍は大丈夫かなと見れば、よくしたもので、平然としている。
おそらく、劉備のお供をつづけているうちに、いろいろ評価されるのに慣れてしまったらしい。
連れてきたのが、趙雲以外だったら、自分もかえって落ち着いていられなかっただろう。
いい人選をしたなと、あらためて思った。


「その使者どのらを、将軍に引き合わせるつもりか」
と、前に進み出てきた品の良い初老の男に、魯粛は丁寧に礼を取った。
「これはこれは、子布《しふ》どの。お元気そうで、なによりですな」
「つまらぬ嫌味を言うな」
ぴしゃりと言って、子布……張昭《ちょうしょう》は、孔明をつま先から、頭のてっぺんまで、じろりとながめてくる。
孔明をながめ終わると、ちらっと趙雲を見、そして、その腰に佩《お》びている宝剣を見て、目を瞠《みは》った。
わかりやすいほどに、権威に弱そうな人物だなと、孔明は思った。


「将軍は頭痛がするとおっしゃって、いま奥堂で休んでおられる。
使者どのには客館にて待機していただいてはどうか」
「その頭痛を取り除くために、使者どのを連れてきたのです。取り次ぎの者はどこです」
「わからぬやつ。将軍は使者にはお会いせぬと言っておるのだ」
「それは将軍が決められることで、子布どのが決めることではないでしょう。
何度でもお尋ねしますぞ。取り次ぎの者はどこです」
張昭の白いかおが、さっと朱に染まる。
この文官の頭《かしら》といってもいい人物は、反抗されることに慣れていないようだった。
と、そこへ、満座の中から手を挙げて立ち上がった人物がいる。
取り次ぎかなと思えば、そうではなかった。


「子敬どの、高名な臥龍先生に、ぜひお尋ねしたいことがある!」
中年の風采の立派な男が口火を切ったことで、ほかにもそれまで黙っていた者たちが、首を伸ばしながら、
「そうだ、わたしも聴きたいことがあるぞ」
「わしもだ。臥龍先生に質問させてくれ」
と口々に言い始めた。
かれらは情報が欲しいのではない。
名の知れた孔明を喝破することで、自分たちの名を高めたいという腹積もりなのである。
孔明は、かれらのほうに向きなおると、両方の口の端をぐっと上げて、応じた。
「よいでしょう、質問を承ります。この孔明で答えられることがあれば、なんなりと」
「時間がないのだが」
魯粛が文句を言ったが、孔明はほがらかに牽制した。
「ここにいる方々を納得させないかぎり、われら前に進めないでしょう。
ならば、みなさまを納得させるまで」


つづく

※ 挑戦を受けた孔明、いよいよ論戦開始!
前作より、すこしばかり読みやすいシーンとなっているかと思います。
次回もどうぞお楽しみにー(*^▽^*)


赤壁に龍は踊る・改 一章 その5 孔明の決意

2024年12月17日 10時09分37秒 | 赤壁に龍は踊る・改 一章
「あきれた」
思わず孔明は口にしたが、それはあまりの魯粛の正直さと大胆さに驚いたからだった。
魯粛のことばは確かにそのとおりだが、だからといって、こうまで明言する必要はない。
おそらく、魯粛には、劉備軍と孫権軍と争った場合に、自分たちのほうが勝てる自信があるのだろう。
『舐められたものだ』
孔明は小癪《こしゃく》に思ったが、ここで感情的になると、ますます足元を見られる可能性があるため、ぐっとこらえた。
親切にしてくれる男だが、将来の敵なのだ。


「では、戦後についてのことは、また曹操を追い出してから考えるとして。
しかし子敬《しけい》どの、なぜにそこまで先走っておられるのです? 
孫将軍の意向も考慮して動いたほうが、あとあと面倒が起こらないのでは?」
「もちろん、面倒はおれもごめんだ。孫将軍の意向を無視するわけでもない。
ただ、いまここでのんびりしていたら、曹操のやつは、まちがいなく、揚州をも蹂躙《じゅうりん》すると思っているのだ。
孔明どの、あんたにはおれの気持ちがわかるはずだ。
おれは、どうしてもあの曹操というやつを許せないのだよ。
徐州の民をあんなふうに殺しつくした、あの男をな」


それまで陽気だった魯粛の顔つきが暗いものに変わり、その瞳には、粘りけのある影が宿った。
孔明は、この徐州出身の男のこころにも、深くて癒しがたい傷が残っているのだと気づく。


「孔明どの、あんたには期待しているよ。大丈夫、あんたならできる。
子瑜《しゆ》(諸葛瑾)どのの弟君だからな。
お互い、いまは協力して、同盟を成功させようじゃないか」
意味が通っているようで、まったく通っていない励ましを受けて、孔明も顔を苦笑いするしかない。
となりにいる趙雲は憮然《ぶぜん》としており、騙されたような気持ちを持て余している様子であった。


たしかに魯粛の言うことはもっともだ。
自分たちには、孫権と同盟を結び、曹操と対抗するほかに、生き残るすべがない。
劉備は蒼梧《そうご》に行ってもいいと考えているようだが、辺境に引っ込んだが最後、あとはじりじりと異邦に追いやられるか、一気に攻め込まれるか、どちらかの未来しか思い浮かばない。
それは、孔明が構想している天下三分の計とはまったくかけ離れた戦略だった。


とはいえ、魯粛にすべて賛成できるかというと、そうではない。
問題は、荊州だ。
『荊州を手放してはならない。
このひとがあけすけに語ってくれたから、かえってわたしも気持ちが固まった。
なんとしてもわれらの荊州を堅守しなければ。
そして、子敬どのの言うとおり、曹操を北へ追い払い、そのあとに起こるであろう孫将軍との戦いにも勝つ。必ずだ』
これから出会うだろう人々は、いまは味方であるが、遠い未来には敵である。
そのことを肝に銘じて、孔明はしずかに勝利への決意を固めた。


つづく

※ 短めの文章量の回ですが、キリが良いので、ここで「明日に続く」です。
回想シーンも終わり、次回、柴桑城に戻ります。
前作とはちがう設定での舌戦シーンとなります!
どう違うか、どうぞおたのしみに(と、自分で自分のハードルを上げる)!

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