はさみの世界・出張版

三国志(蜀漢中心)の創作小説のブログです。
牧知花&はさみのなかま名義の作品、たっぷりあります(^^♪

赤壁に龍は踊る 一章 その15 周瑜の思惑

2024年04月12日 09時58分34秒 | 赤壁に龍は踊る 一章



拳《こぶし》の手当てをしてもらったあと、孫権と対面した。
孫権と、そのそばには孫策から後を託されたといって張り切っている張昭がいる。
周瑜はそのとき、両者にどう言葉をかけたのか、よくおぼえていない。
これから江東を守り抜くため、互いに力を合わせて弟君を盛り立てていきましょうということを張昭に言ったのだろう。
張昭は満足した顔をしていたが、しかし孫権は突然の事態に頭が追い付いていないようで、まだうつろな顔をしていた。


孫権とひさびさに顔を合わせて、周瑜はざんねんなことに、かれはあくまで伯符(孫策)の弟であって、伯符本人ではないなと思ってしまった。
かつて初めて舒《じょ》にて孫策と会ったとき、そのはつらつとした明るさと、見る者を陶然とさせるほどの美しさを見て、周瑜は、この大地に、はじめて仲間を見つけたと思った。
周瑜は育ちが良すぎたうえ、なにもかも容易にこなせてしまう天才肌のところがあった。
それがゆえに、凡庸な同世代の少年たちと話が合わず、いつもどこかしら物足りなさを感じていたのである。
孫策という存在は、おのれの欠けていた部分をぴったりと埋めてくれた。
孫策と行動するのは楽しかった。
かれの壮大な夢に付き合って、どんなつらいことも、つらいと思わずすることが出来た。
並んで世間から称揚され、この世に怖いものなど何もないとすら思っていた。
二人でいれば、大地の果てまでも征服できると、本気で思っていたのだ。


そういう、楽しい夢を見させてくれる力は、孫権にはなさそうだった。
というのも、孫権は真っ赤に泣きはらした目をしつつ、どこか観察するようなまなざしで周瑜を見てきたからである。
幼いころからこの青年を見て思っていたが、孫権という人物、内気なうえに疑い深い。
慎重と言えばそうだが、それ以上に、兄の孫策とはちがう暗さを持っているのが、周瑜には気になった。
孫権と対面して言葉をかわしながら、周瑜はほんとうに孫策はいなくなったのだなと感じざるを得なかった。


その後、義姉の大喬とも面会したが、大喬は完全に混乱していて、急に代替わりしてしまったので、自分の子が今後どうなるか心配だと、そんなことばかり口にした。
それを叱るわけにもいかず、周瑜はただ、
「あとから小喬もまいりますので、二人でよく話し合われてください」
としか言えなかった。


大喬と小喬と、この美女姉妹を娶ろうという発想も、孫策から出たものだ。
確かに彼女たちは美しく、育ちもよかったので家庭をしっかり守ってくれた。
だが、それだけでよかったのかどうか、周瑜には分からなくなってしまった。
大喬は夫のために、呉太夫人を止められなかったのかと、つい思ってしまうのだ。
けっきょく、美々しい飾り物という以外のなにものでもなかったのではないか。


『策よ、おまえは一人だったのだな』
周瑜はそう思うと、身がちぎれるのではというほどつらかったが、しかしつらさに呑まれているわけにはいかなかった。
曹操が袁紹との戦いにかかりきりになっているいまこそ好機。
長く血で血を洗う抗争をくりひろげてきた江東の地を平らげ、平和を取り戻すのは、いましかない。
周瑜は張昭とともに孫権を励まし、ときには叱り、その領土を広げていった。
孫権は素直に言うことを聞いた。
周瑜が孫権に孫策を投影しているように、孫権もまた、周瑜に孫策を投影しているのかもしれなかった。


やがて周瑜は巴丘《はきゅう》から引き揚げ、孫権のそばに居住することになった。
あたらしい屋敷があてがわれ、そこに小喬と子供たちとともに住まう。
しかし、孫策が死んだあと、夫婦には微妙な隙間風が吹いていた。
周瑜は小喬にまったく興味が持てなくなってしまったのだ。
孫策が死ぬ前までは、自慢の妻であったのだが。
小喬のほうも周瑜が自分に不満を持っていることは承知しているようで、おたがいよそよそしい態度をとりつづけている。
あおりを食っているのは子供たちで、周瑜がほったらかしに育てているためか、ずいぶんわがまま放題に育ってしまっているようだ。


それでもなお、周瑜のこころは動かされなかった。
頭の中は、いかに江東を維持し、そして領土を広げていくか、だった。
周瑜の頭の中には、天下二分の計があるのだ。
中原の曹操の優位さはなかなか動かない。
であれば、曹操の支配のおよばない土地である江東、荊州、益州を先にとり、強兵のそろっている涼州の馬超と組んで、長安から許都、鄴都へと迫っていく、というのが、そのおおまかな戦略だ。
その夢のため、いそがしく体も頭もはたらかせている。
そうしているあいだは、孫策の死のために空いた心の穴に気づかぬふりをしていられた。


孫策の死をつまびらかに語ってくれた黄蓋と、その親友の闞沢《かんたく》は、周瑜の気の張った様子を心配してくれている。
なにかと、われらをもっと頼ってくだされ、と言うが、周瑜はそれにも応えなかった。
まるで生き急いでいるかのように、周瑜は動き続けている。
そう、まさにかれは死が怖いのだ。
光明が見えてきたと思ったら、すべてを奪っていく死というものの容赦のなさ。
それを思い知ったからこそ、動き続けずにはいられない。
『伯符のできなかったことは、わたしがやるのだ』
それが、周瑜の心の支えとなっていた。


魯粛は手紙で、劉備の軍師を連れてきたこと、劉備と同盟を組まんとしていること、それが成功しそうだということを書いていた。
あの人嫌いの孫権が、初対面の軍師に説得されたというのはめずらしい。
『士元(龐統)が言うには、青臭い理想主義者ということだが』
手の内を知られたくないということもあり、今回、周瑜は龐統を連れていない。
『見てから判断しよう。気に入らなければ、消すだけだ。
ただし、劉備と劉琦の軍の二万をうまく接収するかたちでな』
周瑜はそう思いつつ、やがて柴桑城に到着した。


つづく

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そろそろいろんな作品を動かしたいなと思っていますが、さてはて、自分のペースでできるかな?
試行錯誤してやっています。
今後、動きがありましたら、またお知らせしますね!

ではでは、次回をおたのしみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 一章 その14 小覇王の想い出 その3

2024年04月10日 10時05分55秒 | 赤壁に龍は踊る 一章
「于吉《うきつ》とは……たしか世を騒がしている道士だったな」
于吉仙人と呼ばれ、民から厚い支持を受けている道士の名が、于吉という。
かれは瑯琊《ろうや》出身だが、江東に流れてきており、精舎をたてて符や聖水などをつかって、民の病気をなおしていた。
その求心力は孫策も無視できないもので、常日頃からおもしろくなく思っていたという。


黄蓋は苦々しく言う。
「伯符さまが城門の楼のうえで会合をひらいていたとき、たまたまなのか、わざとなのか、于吉が門の下を通り過ぎたのです。
人々はそれを見ると、伯符さまそっちのけで于吉を拝みだしました。
さすがに宴会係がこれを止めようとしたのですが、それでも誰も言うことを聞かず……これを由々しきことだと思われた伯符さまは、于吉を捕えてしまわれたのです」
「瑯琊の于吉は、太平道の祖ではないかという話も聞いておるぞ」
「左様。伯符さまは、以前より黄巾党の黒幕も、やつだったのではないかと疑っておいででした。
そこですぐさま処刑をすることになったのですが、面倒なことになりましてな」
黄蓋はちっち、と舌を鳴らす。


「どうしたのだ」
「于吉を助けようと、将兵の妻女たちが呉太夫人《ごたいふじん》(孫策・孫権の母)のもとへ行ったのです。
夫人の口から言って、于吉を助けてくれとお願いしてほしいと。
呉太夫人はそれを受けて伯符さまを止めようとなさったのですが、それでも伯符さまは于吉を斬ってしまわれました。
それで終わりになればよかったのですが、于吉は死んでなどいない、尸解仙《しかいせん》になったのだという噂が流れて、于吉を殺した伯符さまへの不満が民のあいだにひろがってしまったのです。
伯符さまはそれを気に病んでおいででした。
おひとりでお出かけになったのも、于吉のことや、高岱《こうだい》のことなどもあって、人を容易に信じられなくなってしまったのではないかと……われらがおそばに仕えながら、申し訳ない」
黄蓋はそう言って、うつむいてしまった。


高岱とはあざなを孔文《こうぶん》といって、隠士だったものを孫策が無理に召し出した人物だ。
しかし高岱の出世を危ぶむものがいて、孫策に讒言《ざんげん》をしてしまい、それを信じた孫策は、高岱を殺してしまった。
もちろん、孫策はあとから讒言に乗せられたのだと気づいたようである。


『殺し過ぎた』
さすがに周瑜もそう思った。
『わたしがそばに居さえすれば、伯符はそこまで孤立することはなかった。
もっとうまく立ち回るすべを教えられたのに』
悔しさがこみあげてくる。
直情径行で、よく言えば素直、悪く言えば後先を考えない。
その朋友の悪いところが、まっすぐ死につながってしまったのだ。


ふと気づき、周瑜はつらそうにしている黄蓋にたずねる。
「曹操の策謀ということはないだろうか」
「策謀の証左はありませぬ」
そうか、と短くつぶやいて、周瑜は欄干の向こうの雨にけぶる中庭を見つめた。


雨音に交じって、まだ哭礼の声が聞こえている。
皆、何日もああやって嘆いているのだろう。
そう思っても、まだ一粒の涙も流せていない自分に、周瑜は気づいた。


「こう申し上げてよいのかわかりませぬが、公瑾どのが伯符どのの死に顔を見なくて良かったと思うております」
「それほどひどい顔だったのか」
黄蓋は、悲しそうにこくりと頷いた。
「わたしが側にいさえすれば……!」


孫策は父を十代の半ばで亡くして以降、がむしゃらに一族のために頑張って来た。
だからこそ、母親の于吉の助命を断ることは重い決断だったろう。
その前にも、かれは高岱のことで失敗をしている。
多くの人の恨みを買っていることを肌で感じているなかで、刺客に襲われたのだ。
かれの孤独と絶望は、容易に想像できた。
もし自分が側に居れたら、おまえはひとりではないのだと、わたしがここにいるではないかと励ますことができただろうにと、周瑜は後悔した。
離れるのではなかった。


気づけば、欄干を拳で何度も叩いていた。
何度も、何度も。
涙も流せず、ただ代わりに泣いてくれているような空を眺めている。
怒りと悔しさ、それから押し寄せてくる喪失感。
それを叩き潰すために、周瑜は欄干を叩き続けた。
黄蓋があわててそれを止めようとする。
それでもなお、拳が血に濡れるまで、周瑜はおのれをいじめることを止めなかった。


つづく




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とっても励みになっておりますー!

さて、今回の「赤壁」では、「飛鏡」と事情がちがう周瑜(五体満足!)をおとどけです。
その心のうちも描いていく予定です。
どうぞ今後の展開をおたのしみにー!

それと、ただいま人物設定の原稿も作っています。
更新できる状態になりましたら、すぐにお知らせしますね。
次回の人物設定は「胡済」です。

ではでは、つぎの回も、また見てやってくださいましー('ω')ノ


赤壁に龍は踊る 一章 その13 小覇王の想い出 その2

2024年04月08日 10時09分48秒 | 赤壁に龍は踊る 一章
やがて、周瑜は孫策の遺体が仮埋葬された長江のほとりの街、丹徒《たんと》に到着した。
春という季節もあり、すでに遺体が傷み始めていたということで、かれの死に顔を見ることはできなかった。
白い喪服を着て、大きく哭礼《こくれい》をつづけている人々を見て、周瑜は呆然と立ち尽くした。
つねにきびきびと動き回り、いかなるときでもおのれを見失わない周瑜にとって、孫策の死がほんとうのことなのだと実感することは、まだできなかった。
孫策の妻の大喬が髪を振り乱して泣いている。
母親もまた、立ち上がれないほどに取り乱し、侍女たちに支えられながら、子の名を何度も呼んで泣いていた。
弟の孫権は、背中を丸めて座り込み、うつむいて声もたてない。
泣いているのか、それすらもわからなかった。


家臣たちもそれぞれ嘆き悲しんでいたが、そのうち黄蓋《こうがい》が周瑜の姿に気づくと、近づいてきた。
「なにがあったというのだ」
周瑜は思わずつぶやく。
孫策の遺体と対面していたら、もっと実感がこみあげてきただろう。
だが、かれは煙のように消えてしまったように思える。
それどころか、これはなにかの芝居で、大勢の家臣たちのあいだから、ひょっこり顔を出して、
「公瑾、なにを呆けた顔をしているのだ」
と冗談を言いながら出てきそうな気すらした。
そう、笮融《さくゆう》との戦いでそうしたように。


遠雷はやがて雨を運んできた。
人々は涙雨だとひそひそと言っている。
孫策に近しかったひとびとの涙は枯れることなく、いつまでも嗚咽があたりに聞こえていた。
黄蓋は、こちらへ、と小さく周瑜の着物の袖を引っ張り、人気のない城の廊下へ周瑜を連れて行った。


周瑜はさらさらと弱く降る雨を横目で見つつ、険しい顔をしている黄蓋にたずねる。
「なにがあったのだ。どうしてこんなことに」
いつもはピンと背筋を伸ばし、はきはきとものを言う黄蓋が、肩の力を落としたまま、なかなか口を開こうとしない。
「許貢《きょこう》の刺客に襲われたと聞いたが、まことなのか」
「まちがいはありませぬが」
と、黄蓋は語尾をにごす。
「怪我は治りかけておりました」
「なんだと。では、なぜ死ぬほどのことに」
黄蓋は、言いづらそうに、ゆっくりと語り始めた。


孫策は刺客に襲われたあと、すぐに手当てを受けることが出来た。
医者には、
「百日のあいだは安静にしていること、けしてみだりに動いてはならない」
と言いつけられた。
孫策もその言いつけを守るつもりでいたが、あるとき、手鏡でおのれの姿を見て、そのひどいありさまに愕然とした。
目はくぼみ、青黒いクマが両眼を縁取り、ほほはげっそりと痩せ、豊かだった髪も薄くなってしまっている。
まさに死相ともいうべきものだった。


『武器に毒が塗ってあったのではないか』
そう思うほどのやつれようで、うろたえて鏡を凝視し続けていると、ふと、おのれの影のそのうしろに、映ったものがある。
人影のようだ。
はっとして後ろを振り返るも、そこには誰もおらず、部屋の入口に侍従が控えているだけである。
孫策はふたたび鏡をのぞきこむ。
すると、おのれの姿の背後に、あきらかに人が映っているのだ。


『だれだ?』
じいっと見つめてから、孫策は恐怖のあまり叫び声をあげ、そのまま鏡を床に落としてしまった。
あわてて、侍従が飛んでくる。
「どうなさいましたかっ」
孫策はもともと血の気のなかった顔を、さらに青くして、震える声で言った。
「于吉《うきつ》だ、于吉の影がそこに!」
侍従はハッとして鏡を見たが、すでに割れてしまっているので、そこに何者かが映っているかはわからなかった。
孫策はその場で昏倒してしまい、急ぎ医者が呼ばれてふたたび手当てを受けたが、傷が開いてしまっており、その夜のうちに死んだ。


つづく

※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます♪
ブログ村に投票してくださったみなさまも、どうもありがとうございました!
非常に励みになっておりますv 
おかげさまで創作も再び軌道に乗りそうです。
これからもがんばります!

ちなみに進捗ですが、「赤壁に龍は踊る」の二章目は下書きを書き終わりました。
我ながら、手を付けると早いな~(^▽^;)
これから原稿をブラッシュアップしつつ、三章の制作にも入っていきます(^^♪

ではでは、次回をおたのしみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 一章 その12 小覇王の想い出 その1

2024年04月05日 09時49分48秒 | 赤壁に龍は踊る 一章



鄱陽湖《はようこ》のほとりに滞在する周瑜のもとに急使がやってきたのは、孔明が孫権の説得に成功してからすぐであった。
周瑜としては、孫権が開戦を決めたことにおどろきはなかった。
いまは亡き小覇王・孫策が血みどろの努力を重ねて得た土地。
その苦労をしっている孫権が、よそ者たる曹操に無傷で明け渡すはずがないと確信していたのだ。


柴桑《さいそう》に向かうため、身なりを整える。
その出立の準備は、同行している妻の小喬がやってくれた。
三十路に入ってもなお、人の目を奪うほどのみずみずしい美しさをそなえている小喬は、無言で周瑜のからだを飾り立てていく。
それに周瑜も無言でこたえながら、そういえば、曹操は、わが妻と義姉を狙っているという下世話な噂があったなと思い出していた。


曹操が好色な男だというのは江東の地にも聞こえていて、その魔の手を小喬と、その姉の大喬にのばさんとしているらしい。
うるさい江東の小雀たちのなかには、
「大喬さまは寡婦なのだし、江東が平和におさまるなら、いっそ曹操にくれてやってしまえばいいのに」
などと言っているのがいるとか、いないとか。
周瑜としては腹が立つが、それは自分がこの妻と姉を家族として愛しているからなのか、それともいま身に着けている帯や簪などと同じように、装飾品の一部として考えているからなのか、どちらなのだろうと自分で不思議に思ってしまった。


夫の周瑜がそんなことを考えているとは、小喬は夢にも思っていないだろう。
わたしは嫌な夫だなと、さすがに周瑜は自己嫌悪を覚えた。
「いってらっしゃいまし、どうぞご無事で」
小喬のことばに、周瑜も、
「後は頼む」
と短く答える。
そして、慣れ親しんだ廬山《ろざん》の見える光景に別れを告げて、柴桑へと向かった。
水軍は、長江をさかのぼるかたちで柴桑に向かう。


出立を知らせる太鼓がどろどろと音を立てる。


遠雷を思わせるその音を耳にして、周瑜はなぜか、孫策のことを思い出していた。
孫策の、その無残な死をむかえたときのことを。







小覇王と称えられ、破竹の勢いを見せていた孫策が、突如として刺客に襲われ、その怪我がもとで亡くなったのは、八年前の建安5年(西暦200年)だった。
豫章《よしょう》と盧陵《ろりょう》を平定したのち、巴丘《はきゅう》に駐屯していた周瑜は、その知らせを聞いて、ただちにわずかな従者とともに孫策のもとへ向かった。
春のことだった。
あちこちに梅や桃が咲き乱れ、新芽が萌える季節だ。
冬のあいだ、だれもが待ち焦がれたこの季節に、孫策は突然に逝ってしまった。


馬上で必死に先を急ぎながらも、周瑜はその死をまだ信じられないでいた。
孫策のさいきんの手紙によれば、かれは曹操が袁紹を狙っている隙をねらって、許を襲う計画を建てていると書いていた。
江東の地で、ひたすら血路を開くようにして戦い続けてきたその先に、天下という光明が見えてきた、その矢先だったのに。


遠くで雷雲がどろどろと太鼓のような音をたてて唸っている。
急がねばなるまいと周瑜は思った。
途中、馬を交代して、ひたすら休まず孫策の元へ急ぐ。


つづく


※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
今週は土曜日も「設定集」の更新があります。
どうぞお時間ありましたら見てやってくださいましー。

体調ですが、あたらしい鼻炎薬にしたところ、ぴたっと収まりました。
薬ってすごいなーと、驚くやら、ちょっぴり怖いやら。
これから体調をととのえて、ガンガンに創作に励みます!

ではでは、また明日をおたのしみにー(*^▽^*)

赤壁に龍は踊る 一章 その11 響いた太鼓

2024年04月03日 09時47分27秒 | 赤壁に龍は踊る 一章
「曹操は百万の兵を率いてやってきたのだぞ。それなのに、平然としておられるものか。
第一、その曹操に敗れて江夏に逃げ込んだのは、どこのどいつだ」
「それは決まっております、われらが劉豫洲は、斉の壮士・田横のごとく義を守る者。
しかも漢王室の末裔であり、なおかつ優れた力量をもっておられる英才です。
いまでこそ敗走した身ではありますが、やがて水が海へ流れていくように、天下もまたわが君のもとへ流れてくることでしょう。
仮にこれがうまくかなかったときは、天命というもの。
そうとわかっているのに、なにゆえ曹操ごときを恐れ、これに仕えられましょうか」
「曹操ごとき、か。口では何とでもいえよう。
それでは、劉豫洲は漢王室に殉じる覚悟というわけだな」
「もちろん。孫将軍にはもはや関係のない話かもしれませぬが、われらはあくまで漢王室復興を目指し、曹操と対抗いたします。
われらの手勢は二万。しかし曹操は水軍を操るのに慣れておりませぬ。
この隙をつけば、勝利を得られるかと」
孫権は、二万、という数字に鼻を鳴らした。
しかし孔明はそれを無視し、さらに唄うように言う。
「十万の兵を抱えている孫将軍が、曹操に怖じて兵を捨て投降なさるというのは残念ですな。
のちのち曹操の喧伝にうまくだまされ、地の利を手放し、天下を得る機を失ったと笑いものにならないとよいのですが」


「口が過ぎるというものだぞ、孔明どのっ」
さすがの魯粛が声高に叫ぶと、孫権もまた、赤茶けた髭を逆立てて、言った。
「わしが後世の笑いものになるというのか」
「冷静に見ればそうなるでしょう。それに孫将軍はさきほどから百万と口にされておりますが、曹操の兵の実数は、われらが対峙して測ったかぎりでは六、七十万といったところでしょうか。
それにかれらは袁氏との戦いを終えたあとにすぐに駆り出され、遠路はるばる荊州まで駆けつづけて疲れ切っております。
さらにはわが軍を追うために、曹操の虎の子の軽騎兵は一日一夜を三百里も駆けたとか。
これはまさに強い弓で射られた矢のたとえのごとく、あまりに長く宙を飛んだ矢は力を失って最後はなにも射落とせないのと同じです」


孫権の怒りに満ちた顔に、変化が生じた。
この論客が、やたらと法螺《ほら》を吹いているのではないと分かったという顔である。
魯粛も、中腰になっていたのをあらため、また座りなおした。


孔明はさらに言う。
「くりかえし述べさせていただきます。曹操は北の人間で、水戦には不慣れです。
また駐屯する荊州においても、民はその軍の力で圧迫されただけで曹操にこころから心服しているのではありませぬ。
孫将軍が十万の兵とともに立ち上がり、わが君の二万の兵と力を合わせてこれを撃退すれば、曹操の軍を撃退できることは間違いない。
曹操は敗北したなら、必ず北へ逃げ帰ることでしょう。
そうなれば、荊州および呉の勢力は強大となり、三國鼎立の足掛かりとなるにちがいありませぬ。
孫将軍、貴殿の天下も夢ではなくなるのです。
それがお嫌というのなら、仕方ありませぬ、曹操の家臣となり、われらの飛躍を指をくわえてながめておられるがよろしいでしょう」
「む」
孫権が短くうなる。
そして、孔明は、がばっと身を大きく前のめりにすると、さらに声を大きくして言った。
「孫将軍、わたくしは忌憚なく意見を述べさせていただきました。どうぞお心をお決めください」


孔明が一喝するかのように叫んだあとは、奇妙な静けさがあった。
孫権は微動だにせず、魯粛は唖然とし、趙雲もまた、動けないでいた。
孔明は言うべきことをすべて言い切ったのだ。
太鼓はうまく叩けたか?
趙雲の手のひらも、じっとりと汗がにじんできた。
孫権はどう出るか?


孫権は、その珍しい色合いをした大きなまなこで、孔明をじいっと見つめていた。
その表情は、次第に崩れて、唇がゆがむ。
かと思うと、とつぜん、呵々大笑しはじめた。
そばに控えている魯粛が、これまたおどろいて、孫権を見つめている。
ひととおり笑い終えたあと、孫権は魯粛に言った。
「子敬、そなたの連れてきた使者どのは面白い。わしは気に入ったぞ」
「では」
孫権は、趙雲たちが部屋に入って来た時とは真逆の、晴れ晴れとした顔をして、言った。
「開戦じゃ。曹操に臣下の礼などとらぬ。みなにもそう伝えよ」
「はいっ、いますぐに!」
魯粛は言うと、立ち上がって、大広間のほうへ小走りに去っていった。


「孔明どの、さすがじゃな」
と、ずいぶん親し気な調子で、孫権は孔明に声をかける。
「いったんわしを怒らせて、それから本音を引き出そうという戦略であったのだろう」
「見破っておいででしたか」
「うむ、途中で気づいた。とはいえ、それを実行しようという度胸におどろいた」
「恐れ入ります」
そう言って、孔明は顔を上げて、さわやかに笑って見せた。
孫権は、若者らしい人懐《ひとなつ》っこそうな笑顔でそれにこたえる。
「曹操にわが領地の土は踏ませぬ。
さっそく、鄱陽湖《はようこ》におる周瑜に下知をし、水軍をまとめて烏林の対岸、陸口へ向かうよう命ずることにしよう」
「おや、すでに将軍の頭の中では、曹操を撃退する作戦が組みあがっていたのですね。お流石です」
孔明の素直なおだてに、孫権は肩を揺らして笑う。
「とはいえ、曹操の兵の数にわしが|怖《お》じていたのも事実じゃ。
忌憚ない意見を述べてくれたこと、感謝するぞ」
「事実を述べたまででございます。
開戦となった以上、われらも孫将軍のために働かせていただきます」
「そうしてくれると助かる」


孫権はそう言ってから、つづけた。
「さて、これから子布(張昭)どもが五月蠅《うるさ》かろう。
かれらは曹操に降ろうとその身の上は保証されただろうからな。
血を流したくないというと聞こえはよいが、結局のところ、下手に抵抗して、曹操の勘気を被《こうむ》りたくないというのがやつらの本音よ」
「そこまで読んでおいででしたか」
孔明が感嘆の声をあげるのと同時に、趙雲はこの年若い君主の抱える複雑な事情に、すこしばかり同情した。


孫権は聡い人物である。
かれは自分が年が若すぎることと、張昭をはじめとする士大夫や江東の豪族たちは、かろうじて先代の縁と地縁とで自分に仕えているにすぎないことも、よくわかっているのだ。
趙雲は、土地も縁故もなにもかも捨てて劉備についてきた人々に慣れ親しんでいるだけに、そんな家臣を多く持たない孫権の孤独さが、かえってわかる気がした。
周りの人間のすべてを等しく信用できないというのは、どれほど心細いことだろう、と。
「孔明どのが率直に語ってくれたことで、かえって気持ちが固まった。礼を言う。
わしの周りの者もことばを尽くしてくれてはいたが、みな保身のほうが忙しいようであったからな」
そう言って孫権は笑うが、その笑みは心なしか寂しそうに見えた。




つづく

※ いつも読んでくださっているみなさま、ありがとうございます(^^♪
月曜日・水曜日・金曜日の更新に代わりましたが、ご不便をおかけしていないといいのですが……
でもって、昨晩からひどい鼻炎となっているわたくし。
桜が開花していい季節ですが、花粉の飛来は早い所終わってほしいですねー;
みなさまも体調にお気を付けくださいませ!

ではでは、また次回をおたのしみにー(*^▽^*)


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