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曹操軍に先んじて陸口《りくこう》を押えた周瑜率いる江東の軍団は、すぐさま城を中心に陣を組んだ。
陸口は水陸の要衝である。
曹操がここを狙って江東の地に上陸せんとしているのは、陸口から見て北西の烏林《うりん》の地に大要塞を築いていることからもあきらかであった。
それは周瑜をはじめとする江東の将兵はみなわかっていて、陸口をとったからといって、曹操を軽んじる者はだれもいなかった。
孔明と趙雲は魯粛の手配で陸口に仮屋を得て、そこで寝起きした。
とはいえ、そこでじっとしていることはできないでいる。
曹操と実際に対戦したことのある孔明と趙雲の情報は非常に重宝され、魯粛だけではなく、程普や周瑜らにも、しょっちゅう呼び出され、あれこれと質問を受けていたからだ。
質問を受けるたびに、孔明はよどみなく答えた。
わからないことは、素直にわからないと答えたので、かえって信用されたようである。
周瑜は変わらず、どこかよそよそしい態度を崩さなかったが、だからといって、あからさまに敵意をむき出しにしてくるような無粋な真似はしなかった。
そこに安心していたというわけでもないが、兵糧についての質問に及んだときは、さすがの孔明も虚を突かれたかたちとなった。
「孔明どのは曹操軍が何処に兵糧を貯蔵しているか、ご存じであろうか」
周瑜は軍議の間において、もののついで、というように軽く尋ねてきた。
場には周瑜と孔明、そして主騎の趙雲のほか、程普に甘寧、黄蓋といった主将がそろっている。
魯粛は別の仕事で、その場を外していた。
「聚鉄山《じゅてつざん》でしょう」
つられて孔明が答えると、周瑜はおおいにうなずいて、すこし声の調子を上げて言った。
「さすがは孔明どの、臥龍と賞賛されるだけのことはある御仁だ。それをご存じとは。
おそらく孔明どのにとっては、細作を操ることも、兵を操ることも、容易なことなのでしょうな」
嫌みか?
それにしては、周瑜の目はすこしも嘲っていなかった。
細められたその形の良い目が、きらりと光る。
「この公瑾、孔明どのに、たっての頼みがあるのですが、よろしいでしょうか」
断れる状況ではない。
孔明は嫌な予感を覚えつつ、応じる。
「お受けできることならば、なんなりと」
「そうおっしゃっていただけるとは、ありがたい。
ではさっそく頼みたいのですが、今宵、孔明どのに五千の兵をお預けいたしますゆえ、聚鉄山を攻略し、曹操の兵糧を焼き払っていただきたいのです」
ざわっと、軍議の間の将兵たちがざわめいた。
それもそのはず。
孔明の報告をきちんと聞いていたはずの周瑜が、軍に策を授けたことがありこそすれ、じっさいに軍を率いて戦ったことのない孔明に、そんな無理難題を押し付けるのは、おかしな話だったからだ。
「待たれよ、それは」
と、控えていた趙雲が口をひらきかけたのを、孔明は手ぶりで止めた。
「分かり申した、今宵、五千の兵とともに聚鉄山へ向かいましょう」
周瑜は目をひらいて、喜色をあらわした。
「おお、ご快諾くださるか、かたじけない。結果を楽しみに待つことにしましょう」
そういって、周瑜は憎らしいほど朗《ほが》らかに笑った。
同調して笑みを浮かべているのは甘寧くらいのもので、ほかの将たちは、周瑜の思惑がわからないらしく、困惑の表情を浮かべている。
「それでは、わたしどもはさっそく、今宵の準備をするので、ここで下がらせていただきます」
孔明は丁寧に礼を取り、その場を去った。
趙雲は軍議の間を出るなり、背後の周瑜のほうを振り返りながら、小声で抗議してきた。
「なぜあんな無茶な要求を受けた! 五千の兵があろうと、犬死しに行くようなものだぞ」
「おやおや、一騎当千の勇者・趙子龍ともあろうものが、弱音を吐くかね」
「軍師」
「冗談だ、そんな顔でにらむな。あなたの敵はわたしではないよ。
それにしても、万が一のためにとわが君が持たせてくれた甲冑が、さっそく役に立つとはな」
「まさか、ほんとうに聚鉄山とやらに向かうつもりか?」
と、言ってから、趙雲はあたりをうかがうようにしつつ、さらに小声で尋ねてきた。
「そのまま逐電し、わが君の元へ戻るつもりか?」
「ほんとうにあなたらしくない言葉だな。いまのは聞かなかったことにしよう」
「ということは、ほんとうに?」
「ほんとうに、頼もしき五千のつわものと共に聚鉄山へ行くのさ。
今夜は楽しい夜になるぞ」
孔明が明るく笑って見せると、趙雲は唖然としたまま、黙り込んでしまった。
つづく
曹操軍に先んじて陸口《りくこう》を押えた周瑜率いる江東の軍団は、すぐさま城を中心に陣を組んだ。
陸口は水陸の要衝である。
曹操がここを狙って江東の地に上陸せんとしているのは、陸口から見て北西の烏林《うりん》の地に大要塞を築いていることからもあきらかであった。
それは周瑜をはじめとする江東の将兵はみなわかっていて、陸口をとったからといって、曹操を軽んじる者はだれもいなかった。
孔明と趙雲は魯粛の手配で陸口に仮屋を得て、そこで寝起きした。
とはいえ、そこでじっとしていることはできないでいる。
曹操と実際に対戦したことのある孔明と趙雲の情報は非常に重宝され、魯粛だけではなく、程普や周瑜らにも、しょっちゅう呼び出され、あれこれと質問を受けていたからだ。
質問を受けるたびに、孔明はよどみなく答えた。
わからないことは、素直にわからないと答えたので、かえって信用されたようである。
周瑜は変わらず、どこかよそよそしい態度を崩さなかったが、だからといって、あからさまに敵意をむき出しにしてくるような無粋な真似はしなかった。
そこに安心していたというわけでもないが、兵糧についての質問に及んだときは、さすがの孔明も虚を突かれたかたちとなった。
「孔明どのは曹操軍が何処に兵糧を貯蔵しているか、ご存じであろうか」
周瑜は軍議の間において、もののついで、というように軽く尋ねてきた。
場には周瑜と孔明、そして主騎の趙雲のほか、程普に甘寧、黄蓋といった主将がそろっている。
魯粛は別の仕事で、その場を外していた。
「聚鉄山《じゅてつざん》でしょう」
つられて孔明が答えると、周瑜はおおいにうなずいて、すこし声の調子を上げて言った。
「さすがは孔明どの、臥龍と賞賛されるだけのことはある御仁だ。それをご存じとは。
おそらく孔明どのにとっては、細作を操ることも、兵を操ることも、容易なことなのでしょうな」
嫌みか?
それにしては、周瑜の目はすこしも嘲っていなかった。
細められたその形の良い目が、きらりと光る。
「この公瑾、孔明どのに、たっての頼みがあるのですが、よろしいでしょうか」
断れる状況ではない。
孔明は嫌な予感を覚えつつ、応じる。
「お受けできることならば、なんなりと」
「そうおっしゃっていただけるとは、ありがたい。
ではさっそく頼みたいのですが、今宵、孔明どのに五千の兵をお預けいたしますゆえ、聚鉄山を攻略し、曹操の兵糧を焼き払っていただきたいのです」
ざわっと、軍議の間の将兵たちがざわめいた。
それもそのはず。
孔明の報告をきちんと聞いていたはずの周瑜が、軍に策を授けたことがありこそすれ、じっさいに軍を率いて戦ったことのない孔明に、そんな無理難題を押し付けるのは、おかしな話だったからだ。
「待たれよ、それは」
と、控えていた趙雲が口をひらきかけたのを、孔明は手ぶりで止めた。
「分かり申した、今宵、五千の兵とともに聚鉄山へ向かいましょう」
周瑜は目をひらいて、喜色をあらわした。
「おお、ご快諾くださるか、かたじけない。結果を楽しみに待つことにしましょう」
そういって、周瑜は憎らしいほど朗《ほが》らかに笑った。
同調して笑みを浮かべているのは甘寧くらいのもので、ほかの将たちは、周瑜の思惑がわからないらしく、困惑の表情を浮かべている。
「それでは、わたしどもはさっそく、今宵の準備をするので、ここで下がらせていただきます」
孔明は丁寧に礼を取り、その場を去った。
趙雲は軍議の間を出るなり、背後の周瑜のほうを振り返りながら、小声で抗議してきた。
「なぜあんな無茶な要求を受けた! 五千の兵があろうと、犬死しに行くようなものだぞ」
「おやおや、一騎当千の勇者・趙子龍ともあろうものが、弱音を吐くかね」
「軍師」
「冗談だ、そんな顔でにらむな。あなたの敵はわたしではないよ。
それにしても、万が一のためにとわが君が持たせてくれた甲冑が、さっそく役に立つとはな」
「まさか、ほんとうに聚鉄山とやらに向かうつもりか?」
と、言ってから、趙雲はあたりをうかがうようにしつつ、さらに小声で尋ねてきた。
「そのまま逐電し、わが君の元へ戻るつもりか?」
「ほんとうにあなたらしくない言葉だな。いまのは聞かなかったことにしよう」
「ということは、ほんとうに?」
「ほんとうに、頼もしき五千のつわものと共に聚鉄山へ行くのさ。
今夜は楽しい夜になるぞ」
孔明が明るく笑って見せると、趙雲は唖然としたまま、黙り込んでしまった。
つづく
※ いつも閲覧してくださっているみなさま、ありがとうございます!
そして、ブログ村及びブログランキングに投票してくださっているみなさまも、感謝です!!
寒暖差がはげしいためか、どうも体調がすぐれない日々がつづいていますが、みなさまは大丈夫でしょうか?
お互いに、体には気を付けましょう……!
さて、孔明たちのエピソードが少し入ります。
陸口と烏林で交互に展開するエピソード、お楽しみいただけたらと思います。
ではでは、次回もおたのしみにー(*^▽^*)