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軍師の荀攸《じゅんゆう》は烏林《うりん》の要塞のなかに個室を得て、そこで執務をおこなっていた。
徐庶が目通りを願うも、取り次ぎの者がそれをゆるさない。
その態度はけんもほろろで、荀軍師は忙しいから、敵が攻めてきたというのでもないかぎり、会うのはあとにしろと言ってきた。
同じ潁川《えいせん》の出身でも、寒門《かんもん》の徐庶には、荀攸も冷たい。
さて、これをどう突破したらいいだろう。
『粘って待ってみるか?』
と考えていると、取り次ぎの者が言った。
「粘っても無駄でございますよ。
荀軍師はとてもお忙しいのです、貴殿と面会している暇はありませぬ。
どうしてもとおっしゃるなら、わたくしがご用件を伺います」
「それなら、蔡都督が監督している、医者のことについて相談があると言ってくれ」
「医者ですな」
すまし顔の取り次ぎは、荀攸の執務室に向かっていく。
そして、ほとんど時間をおかず、戻って来た。
「蔡都督の仕事について、君には言葉をはさむ権利はないと、軍師は申しております」
ちゃんとおまえの主に話を通したのか、ということばがのどまで出かかったが、喧嘩をしに来たのではないと、徐庶はぐっとこらえた。
たしかに、役目らしい役目を得ておらず、荊州の兵士たちの取りまとめでしかない徐庶には、蔡瑁《さいぼう》の仕事に口を出す権利はない。
だがその肝心の荊州の兵士たちのゆくえがわからなくなっているのだ。
それを荀攸に伝えてもらおうと口を開きかけたが、取り次ぎの係は冷たく言った。
「もうお引き取りなさったほうがよろしいかと。
何度も申し上げますが、軍師はご多忙なのです。これ以上、ねばられても益はありませぬぞ」
これ以上ねばるのなら、面倒が起こるぞと言われたも同然だった。
徐庶はさすがに取り次ぎ役をにらみつけた。
『こいつだって、たいした役に付いているわけじゃあるまいに』
自分の立場の小ささを思い知らされる。
徐庶は仕方なく、いったん引き下がることにした。
荊州の兵士たちは、また要塞の建築と修繕に借り出されているようだ。
そのつらい仕事には、地元の男たちも借り出されているようで、兵士たちにまじって働く男たちの中に、見たことのない顔もちらほらあった。
だれもが苦しそうな顔をしているように見えるのは、今朝の喧嘩を止めた影響かな、と徐庶は思う。
烏林の河岸には、水面のうえでゆらゆらと揺れている船団の姿もある。
そこに物資を運んだり、操船術を北の兵士に教えている者もいる。
だれもがけんめいに働いている。
生きて、故郷に帰るため、みな必死なのだ。
かれらのために、少しでも助けになれればよいのだが。
いまは医者と建屋のことは忘れて、荊州の兵士たちがいくらかでも快適に過ごせるように気を配るほかない。
やがて昼を知らせる銅鑼が鳴った。
徐庶は食堂に向かうために移動をする。
すると、ちょうど厩《うまや》の影に、梁朋《りょうほう》がいるのが見えた。
梁朋はひとりではなかった。
その前には、背のひょろりと高い傘をかぶった男がいる。
武装はしておらず、ゆったりとした袖の長い服を着ている。
どこかの部署の文官だろうか。
梁朋のような下っ端に、いったいなんだろうと思って見ていると、その笠をかぶった男になにかを言われて、梁朋はひどく取り乱しているように見えた。
助けに行ったほうがいいかなと思い、
「おい、どうした」
と声をかけると、梁朋が、
「元直さま」
と応えた。
すると、声に弾かれるように、文官とおぼしき細身の男は、そのゆったりとした衣をひるがえして、去っていった。
「おい、あんた」
徐庶は呼び止めたが、笠の男は無視して行ってしまった。
笠に隠れて、顔は見えなかった。
「だれだ、あれは」
たずねると、梁朋は、青い顔のまま、困ったように笑って答える。
「道を聞かれていたんです」
「へえ?」
たしかにこの烏林の要塞は、大きい。
しかし、だからといって、道に迷うほどかと言うと、それはちがう。
下手な嘘をつくものだと呆れつつ、徐庶は梁朋に念を押した。
「おまえ、なにか隠し事をしていないだろうな?」
徐庶は、まだ笑ってごまかそうとしている梁朋をじろりと見た。
梁朋は笑みを引っ込め、頭を横に振る。
「してません」
「そうか?」
梁朋は、はい、と答えたが、いつもの元気さはなかった。
徐庶は疑いのまなざしを梁朋に向けたまま、考えた。
思えば、この少年兵が徐庶の身の回りの世話をするようになったのは、烏林に入ってからのことだ。
なにかと付きまとってきて、いつもそばにいるようになって、つい忘れがちだったが、徐庶は梁朋がどこのだれなのか、詳しいことをまだ知らない。
荊州の人間らしいということは、隠しようのないことばの訛りでわかる。
しかし、ほんとうはどうだろう。
『折を見て、こいつのことを調べたほうがいいかもしれん』
とはいえ、こんなふうに嘘もろくにつけない少年が、曹操の手の者というわけでもなさそうだが。
だとすると、単なる自分になついた少年なのか。
『そうであってくれたらいいんだが』
と、徐庶はそのとき、無意識に願っていた。
つづく
軍師の荀攸《じゅんゆう》は烏林《うりん》の要塞のなかに個室を得て、そこで執務をおこなっていた。
徐庶が目通りを願うも、取り次ぎの者がそれをゆるさない。
その態度はけんもほろろで、荀軍師は忙しいから、敵が攻めてきたというのでもないかぎり、会うのはあとにしろと言ってきた。
同じ潁川《えいせん》の出身でも、寒門《かんもん》の徐庶には、荀攸も冷たい。
さて、これをどう突破したらいいだろう。
『粘って待ってみるか?』
と考えていると、取り次ぎの者が言った。
「粘っても無駄でございますよ。
荀軍師はとてもお忙しいのです、貴殿と面会している暇はありませぬ。
どうしてもとおっしゃるなら、わたくしがご用件を伺います」
「それなら、蔡都督が監督している、医者のことについて相談があると言ってくれ」
「医者ですな」
すまし顔の取り次ぎは、荀攸の執務室に向かっていく。
そして、ほとんど時間をおかず、戻って来た。
「蔡都督の仕事について、君には言葉をはさむ権利はないと、軍師は申しております」
ちゃんとおまえの主に話を通したのか、ということばがのどまで出かかったが、喧嘩をしに来たのではないと、徐庶はぐっとこらえた。
たしかに、役目らしい役目を得ておらず、荊州の兵士たちの取りまとめでしかない徐庶には、蔡瑁《さいぼう》の仕事に口を出す権利はない。
だがその肝心の荊州の兵士たちのゆくえがわからなくなっているのだ。
それを荀攸に伝えてもらおうと口を開きかけたが、取り次ぎの係は冷たく言った。
「もうお引き取りなさったほうがよろしいかと。
何度も申し上げますが、軍師はご多忙なのです。これ以上、ねばられても益はありませぬぞ」
これ以上ねばるのなら、面倒が起こるぞと言われたも同然だった。
徐庶はさすがに取り次ぎ役をにらみつけた。
『こいつだって、たいした役に付いているわけじゃあるまいに』
自分の立場の小ささを思い知らされる。
徐庶は仕方なく、いったん引き下がることにした。
荊州の兵士たちは、また要塞の建築と修繕に借り出されているようだ。
そのつらい仕事には、地元の男たちも借り出されているようで、兵士たちにまじって働く男たちの中に、見たことのない顔もちらほらあった。
だれもが苦しそうな顔をしているように見えるのは、今朝の喧嘩を止めた影響かな、と徐庶は思う。
烏林の河岸には、水面のうえでゆらゆらと揺れている船団の姿もある。
そこに物資を運んだり、操船術を北の兵士に教えている者もいる。
だれもがけんめいに働いている。
生きて、故郷に帰るため、みな必死なのだ。
かれらのために、少しでも助けになれればよいのだが。
いまは医者と建屋のことは忘れて、荊州の兵士たちがいくらかでも快適に過ごせるように気を配るほかない。
やがて昼を知らせる銅鑼が鳴った。
徐庶は食堂に向かうために移動をする。
すると、ちょうど厩《うまや》の影に、梁朋《りょうほう》がいるのが見えた。
梁朋はひとりではなかった。
その前には、背のひょろりと高い傘をかぶった男がいる。
武装はしておらず、ゆったりとした袖の長い服を着ている。
どこかの部署の文官だろうか。
梁朋のような下っ端に、いったいなんだろうと思って見ていると、その笠をかぶった男になにかを言われて、梁朋はひどく取り乱しているように見えた。
助けに行ったほうがいいかなと思い、
「おい、どうした」
と声をかけると、梁朋が、
「元直さま」
と応えた。
すると、声に弾かれるように、文官とおぼしき細身の男は、そのゆったりとした衣をひるがえして、去っていった。
「おい、あんた」
徐庶は呼び止めたが、笠の男は無視して行ってしまった。
笠に隠れて、顔は見えなかった。
「だれだ、あれは」
たずねると、梁朋は、青い顔のまま、困ったように笑って答える。
「道を聞かれていたんです」
「へえ?」
たしかにこの烏林の要塞は、大きい。
しかし、だからといって、道に迷うほどかと言うと、それはちがう。
下手な嘘をつくものだと呆れつつ、徐庶は梁朋に念を押した。
「おまえ、なにか隠し事をしていないだろうな?」
徐庶は、まだ笑ってごまかそうとしている梁朋をじろりと見た。
梁朋は笑みを引っ込め、頭を横に振る。
「してません」
「そうか?」
梁朋は、はい、と答えたが、いつもの元気さはなかった。
徐庶は疑いのまなざしを梁朋に向けたまま、考えた。
思えば、この少年兵が徐庶の身の回りの世話をするようになったのは、烏林に入ってからのことだ。
なにかと付きまとってきて、いつもそばにいるようになって、つい忘れがちだったが、徐庶は梁朋がどこのだれなのか、詳しいことをまだ知らない。
荊州の人間らしいということは、隠しようのないことばの訛りでわかる。
しかし、ほんとうはどうだろう。
『折を見て、こいつのことを調べたほうがいいかもしれん』
とはいえ、こんなふうに嘘もろくにつけない少年が、曹操の手の者というわけでもなさそうだが。
だとすると、単なる自分になついた少年なのか。
『そうであってくれたらいいんだが』
と、徐庶はそのとき、無意識に願っていた。
つづく
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さて、次回は舞台は烏林を離れて、陸口に戻ります。
孔明と周瑜の対立はどうなるのか? どうぞおたのしみにー!
それでは、また来週お会いしましょう(*^▽^*)