※
「さて、軍師、どうしたものかな」
さきほど怒りを爆発させていた人物と同じとはおもえないほど、劉備は冷静に孔明にたずねた。
やはり、劉備は修羅場慣れしているのである。
ここで自分が慌《あわ》てれば、みなが恐慌状態に陥るだろうことをわかっているのだ。
孔明もまた、冷静に答えた。
「結論から申し上げますと、いますぐに、空き城となっている樊城《はんじょう》へ移動すべきと存じます」
「なぜ」
「新野は城の防備が弱いからです。ここで籠城するのは下策中の下策です」
「そうか……しかし民はどうしたらよいであろう」
「いますぐ高札《こうさつ》を立てて、民に曹操の来寇《らいこう》を伝えましょう。
それから、われらで時間を稼いで、みなで樊城へ向かうべきです」
「われらで時間を稼ぐというと、どのように」
「わたしに策がございます。諸将をお集めください」
劉備の鶴の一声で、ありとあらゆる部署に散っていた文武両官が広間にあつまってきた。
みなすでに、曹操が南陽の宛《えん》にまでやってきているということは知っている。
なかでも、信頼していた細作《さいさく》に裏切られた陳到《ちんとう》の顔色は悪かった。
悔しさと怒りとが混じった顔をして、いつもの軽口もいっさい叩かない。
無駄口を叩かないという点では、ほかの者たちもおなじだった。
それはそうだろうと、趙雲は思う。
これまで何度か曹操と対決してきた。
しかし今度の曹操は百万という目もくらむような数の軍を引き連れている。
国境を巡る小競り合いがはじまるというのではない。
だれもが、勝ち目はあるのだろうかと不安にかられ、動揺している。
そんななかでも、孔明だけは自信ありげな涼しい顔をしていた。
全員がそろったところで、孔明が声を張り上げた。
「みな、すでに曹操軍が宛にまで来襲したことは知っておろう。
われらとしては、守りの弱いこの新野《しんや》に立てこもる策はとらず、空き城となっている樊城へ全員で移ることにした」
「全員というと、民もかね」
文官の代表として麋竺《びじく》が発言したので、孔明はうなずいた。
「そうです。民も連れて行きます。そこで、民を移動する時間を稼ぐ必要があります。
新野に曹操軍を足止めするのです」
「どうやって。なにか策でもあるのかね」
麋竺の質問はもっともだったので、ほかの諸将も、ざわめきはじめた。
だが、孔明は顔色一つ変えず、さらに言った。
「策はある。みな、この孔明に命を預けてほしい。
民を守るため、そしてわが君をお守りするために、みなの協力が必要だ。
まず、麋子方《びしほう》(麋芳《びほう》)どのと劉封《りゅうほう》どのには、それぞれ紅い旗と青い旗を持って、山頂にて振っていただく役目をお願いする」
「振るだけでよいのか」
驚いた顔をしている劉封の問いに、孔明は深くうなずいた。
「そうです。旗を振るだけでよろしい。ですが、曹操軍はそれを見て、おそらくなにか意図があるのではと勘ぐり、足を止めるでしょう」
「たしかに、小賢しい曹操のこと、策士、策に溺れるのたとえのとおり、足を止める可能性は高い。
しかし、それとて限度があろう。いつまで足を止めさせられるか……」
「策はまだある」
孔明はきっぱり言うと、さらに次の策、さらには、新野にかれらをおびき寄せてからの策までを、その場の全員に伝えた。
趙雲にも、孔明から策が授けられた。
重要な役目である。
「できるか」
孔明に短く問われると、趙雲は、
「もちろん」
と、これまた短く応じた。
不安と恐怖にこわばっていた諸将の顔が、孔明の策を聞いて、だんだんにほぐれていくのがわかった。
「よい策だ。これなら、じゅうぶんに曹操に対抗できるかもしれぬ」
関羽が感嘆の声をあげたのを皮切りに、みなが、そうだ、そうだと口々に賛同をしはじめた。
孔明の表情は変わらないように見えたが、しかし趙雲にはわかる。
落ち着きはらっているように見えるが、いちばん神経をとがらせているのも、緊張しているのも、孔明だ。
無理もない。
今まで、孔明は戦場で指揮をとったことがないのだ。
今度の戦では、その才能が本物かどうかあきらかになる。
もちろん、趙雲は孔明の才能がふつうではないことを知っているので全幅《ぜんぷく》の信頼を置いていた。
とはいえ、相手が悪い。
本気の曹操軍を前に、どこまで孔明はあらがえるだろうか。
つづく
「さて、軍師、どうしたものかな」
さきほど怒りを爆発させていた人物と同じとはおもえないほど、劉備は冷静に孔明にたずねた。
やはり、劉備は修羅場慣れしているのである。
ここで自分が慌《あわ》てれば、みなが恐慌状態に陥るだろうことをわかっているのだ。
孔明もまた、冷静に答えた。
「結論から申し上げますと、いますぐに、空き城となっている樊城《はんじょう》へ移動すべきと存じます」
「なぜ」
「新野は城の防備が弱いからです。ここで籠城するのは下策中の下策です」
「そうか……しかし民はどうしたらよいであろう」
「いますぐ高札《こうさつ》を立てて、民に曹操の来寇《らいこう》を伝えましょう。
それから、われらで時間を稼いで、みなで樊城へ向かうべきです」
「われらで時間を稼ぐというと、どのように」
「わたしに策がございます。諸将をお集めください」
劉備の鶴の一声で、ありとあらゆる部署に散っていた文武両官が広間にあつまってきた。
みなすでに、曹操が南陽の宛《えん》にまでやってきているということは知っている。
なかでも、信頼していた細作《さいさく》に裏切られた陳到《ちんとう》の顔色は悪かった。
悔しさと怒りとが混じった顔をして、いつもの軽口もいっさい叩かない。
無駄口を叩かないという点では、ほかの者たちもおなじだった。
それはそうだろうと、趙雲は思う。
これまで何度か曹操と対決してきた。
しかし今度の曹操は百万という目もくらむような数の軍を引き連れている。
国境を巡る小競り合いがはじまるというのではない。
だれもが、勝ち目はあるのだろうかと不安にかられ、動揺している。
そんななかでも、孔明だけは自信ありげな涼しい顔をしていた。
全員がそろったところで、孔明が声を張り上げた。
「みな、すでに曹操軍が宛にまで来襲したことは知っておろう。
われらとしては、守りの弱いこの新野《しんや》に立てこもる策はとらず、空き城となっている樊城へ全員で移ることにした」
「全員というと、民もかね」
文官の代表として麋竺《びじく》が発言したので、孔明はうなずいた。
「そうです。民も連れて行きます。そこで、民を移動する時間を稼ぐ必要があります。
新野に曹操軍を足止めするのです」
「どうやって。なにか策でもあるのかね」
麋竺の質問はもっともだったので、ほかの諸将も、ざわめきはじめた。
だが、孔明は顔色一つ変えず、さらに言った。
「策はある。みな、この孔明に命を預けてほしい。
民を守るため、そしてわが君をお守りするために、みなの協力が必要だ。
まず、麋子方《びしほう》(麋芳《びほう》)どのと劉封《りゅうほう》どのには、それぞれ紅い旗と青い旗を持って、山頂にて振っていただく役目をお願いする」
「振るだけでよいのか」
驚いた顔をしている劉封の問いに、孔明は深くうなずいた。
「そうです。旗を振るだけでよろしい。ですが、曹操軍はそれを見て、おそらくなにか意図があるのではと勘ぐり、足を止めるでしょう」
「たしかに、小賢しい曹操のこと、策士、策に溺れるのたとえのとおり、足を止める可能性は高い。
しかし、それとて限度があろう。いつまで足を止めさせられるか……」
「策はまだある」
孔明はきっぱり言うと、さらに次の策、さらには、新野にかれらをおびき寄せてからの策までを、その場の全員に伝えた。
趙雲にも、孔明から策が授けられた。
重要な役目である。
「できるか」
孔明に短く問われると、趙雲は、
「もちろん」
と、これまた短く応じた。
不安と恐怖にこわばっていた諸将の顔が、孔明の策を聞いて、だんだんにほぐれていくのがわかった。
「よい策だ。これなら、じゅうぶんに曹操に対抗できるかもしれぬ」
関羽が感嘆の声をあげたのを皮切りに、みなが、そうだ、そうだと口々に賛同をしはじめた。
孔明の表情は変わらないように見えたが、しかし趙雲にはわかる。
落ち着きはらっているように見えるが、いちばん神経をとがらせているのも、緊張しているのも、孔明だ。
無理もない。
今まで、孔明は戦場で指揮をとったことがないのだ。
今度の戦では、その才能が本物かどうかあきらかになる。
もちろん、趙雲は孔明の才能がふつうではないことを知っているので全幅《ぜんぷく》の信頼を置いていた。
とはいえ、相手が悪い。
本気の曹操軍を前に、どこまで孔明はあらがえるだろうか。
つづく
※ いつも読んでくださっているみなさま、ありがとうございます(#^.^#)
さて、いよいよ戦がはじまろうとしています……
演義でも盛り上がるシーンですが、今回、いろいろ独自解釈も入れて書いてみました。
どういうふうに描いているか、どうぞ見てやってくださいませ。
そして、ブログ村に投票してくださったみなさま、ありがとうございます(^^♪
ほんとうに、とーっても励みになります!
これからも創作に邁進していきますので、今回も面白かったなら、下部バナーにありますブログ村及びブログランキングに投票していただけるとうれしいです!(^^)!
ではでは、次回もおたのしみにー(*^▽^*)