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帯とけの枕草子〔二百九十四〕僧都の御めのとのまゝなど
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないでままに、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百九十四〕僧都の御めのとのまゝなど
文の清げな姿
僧都(宮の弟君)の御母乳の「まま」らと、御匣殿(宮の妹君)の御局に居たところ、男がいて、板敷のもと近く寄って来て、「ひどいめにあいまして、だれに憂いを申し上げてよいのやら」と言って、泣かんばかりの気色なので、「何ごとぞ」と問うと、「ほんのちょっとそこへ行った間に、居ます所が焼けましたので、やどかりのように、他人の家に尻をさし入れてる身の上でございます。馬寮の御秣(みまぐさ)を積んでございました家より火は出て来たのございます。ただ垣を隔てているだけですので、夜殿に寝ておりました妻子も、ほんのもう少しのところで、焼けてしまいそうでしてね。いささかの物も取り出せません」などと言っているのを、御匣殿も聞かれて、いみじうわらひ給(たいそうお笑いになられる)。
「みまくさをもやすばかりの春の日に よどのさへなどのこらざるらん(御馬草を萌やすばかりの春の日に、夜殿さえなぜ焼け残らないのかしら)」と書いて、「これを与えてください」と言って投げてやったところ、わらひのゝしりて(女たち・声たてて笑って)、「ここにおられる人が、家が、焼けたということで気の毒がられて下さるのです」と言って、与えたので、ひろげて、「これは何のご短冊(目録)でしょうか、下さる物はいかほどで」と言えば、「ただ読みなさいよ」と言う。「どうして、(文盲で)片目も開いておりませんので」と言うので、「他の人にでも見せなさい。ただいま宮のお召しで、急に上に参る。そんなめでたい物を得て、何を心配するのか」と言って、みなわらひまどひ(皆笑い乱れ)参上すれば、歌を人に見せたでしょうか、里に行って(あの男は)どんなに腹立てるでしょうかなどと、宮の前で「まま」が申し上げたので、又わらひさはぐ(また笑い騒ぐ)。宮も「など、かく物くるほしからん(どうして、そのように、そなたたちはもの狂おしいのでしょうね)」と、わらはせ給(お笑いになられる)。
門づけ芸人の物乞い話芸を事実と聞いて同情するのは、言葉の裏を知らないからで、皆笑ってしまった話芸を、今の人々も笑えるように聞き直しましょう。
心におかしきところ
僧都の御母乳の「まま」らと、御匣殿の御局(内裏の外、すぐ北に縫殿がある、そこの局)に居たところ、男がいて、板敷のもと近く寄って来て、「からいめをみさぶらひて(ひどい女を、見まして・まぐあいまして)、だれに憂いを申し上げてよいのやら」と言って、泣かんばかりの気色なので、「なにごとぞ」と問うと、「あからさまにものにまかりたりしほどに、侍所のやけ侍にければ、がうなのやうに、人のいへにしりをさしいれてのみさぶらふ。むまづかさのみまくさつみて侍けるいへよりいでもうできて侍なり。たゞかきをへだてゝ侍れば、よどのにねて侍けるわらはべも、ほとほとやけぬべくてなん。いさゝかものもとうで侍らず(ほんのちょっと何してました間に、そこんところが焼けましたので、今はやどかりのように、女の井辺に身の端さし入れているばかりの身でございます。馬つ嵩が身間くさ摘みいたしますところより火はでたのでございます。ただ、火器、お、へ先、立ててごいますれば、夜殿に寝ておりました子どもも、ほとほと焼けてしまいそうなのですがね、いささかも、そのものも取り出せないのでございます)」などと言っているのを、御匣殿も聞かれて、いみじうわらひ給(たいそうお笑いになられる)。
みまくさをもやすばかりの春の日に よどのさへなどのこらざるらん
(……身間草を燃やすばかりの春情の火に、夜殿がどうして焼け残らないのよ・まるやけかい)。
と書いて、「これを与えてください」と言って投げてやったところ、わらひのゝしりて(女たち声たてて笑って)、「ここにおられる人が、いへ(井辺)が、焼けたということで気の毒がられて下さるのです」と言って、与えたので、ひろげて、「これは何のご短冊(目録)でしょうか、下さる物はいかほどで」と言えば、「ただ読みなさいよ」と言う。「どうして(文盲で)片目も開いておりませんので」と言うので、「他の人にでも見せなさい。ただいま宮のお召しで、急に上に参る。そんなめでたい物を得て、何を心配するのか」と言って、みなわらひまどひ(みな笑い乱れ)参上すれば、歌を人に見せたででしょうか、里に行って(あの男は)どんなに腹立てるでしょうかなどと、宮の前で「まま」が申し上げたので、又わらひさはぐ(また笑い騒ぐ)。
宮も、「など、かく物くるほしからん(どうして、そのように、そなたたちは・男の話は、もの狂おしいのでしょうね)」と、わらはせ給(お笑いになられる)。
言の戯れと言の心
「め…目…女」「見…覯…媾…まぐあい」「いへ…家…井辺…女」「草…言の心は女」「つむ…摘む…採る…めとる…まぐあう」「わらはべ…童子…子の君…おとこ」「ほと…陰…火処」「ほ…火…情熱の火」「もの…家財…物…おとこ」「みまくさ…御馬草…身間草」「春…季節の春…春情」「ひ…日…火」「などかく物くるほしからん…どうしてそのように、何かが狂っているのかしらね」「もの狂ほしい…(そなたたちは)何だか正気の沙汰ではない…(言葉も浮言綺語のように戯れ男の話も)何かが狂っているような)」。
失火元は井へ、原因は、ほとの情熱と馬つ嵩の摩擦熱でしょう。笑いを誘うのは男の意図で、もとより笑える話芸の一つ。清少納言は、そこに、歌を詠んで笑いを拡大した。大笑いの半分は、この「つっこみ」の所為でしょう。
そもそもこの国が明るいのは笑いの所為。「古事記」によれば、すさのおのみことの乱暴狼藉が止まないので、姉の天照大御神は天の岩戸に籠もられたので、世の中は、ま暗闇となった。岩戸を開け奉らんと、神々は大騒ぎ。ときに、あめのうずめのみこと(女神)、たすき掛けで、神がかりして、胸乳を出だして、裳の緒(を…おとこ)を、ほと(陰…火処)に押し垂れた。松明の明かりで見た、高天原どよめき、八百万の神が共に笑った。そのとき、何を笑うのかと、岩戸を少しお開になられたので、すかさず男神が力ずくで開いたのだけれど、この国の闇世を救ったのは笑いである。
話芸や歌のおかしさこそ、笑い奉仕の記録としての「枕草子」の主題に関わる事柄である。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。