帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子(拾遺十六)貝は

2012-02-25 00:12:54 | 古典

  



                             帯とけの枕草子(拾遺十六)貝は



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子(拾遺十六)かひは


 文の清げな姿

 貝は、殻貝。蛤、とっても小さな梅の花貝。


 原文

 かひは、うつせかひ、はまぐり、いみじうちゐさきむめのはなかひ。


 心におかしきところ

 貝は・交いは、空ろな交い。端まくり、ひどく小さなおとこ花かい。


 言の戯れと言の心

 「かひ…貝…おんな…交…まじわり」「はまぐり…蛤…貝の名…おんな…端まくり」「端…衣の端…身の端」「まくり…捲り…めくりあげ」「むめのはなかひ…梅の花貝…梅の花弁に似た貝…月貝とも」「梅の花…男花…おとこ花」「かひ…交…まじわり…交合…かい…強い疑問を表す」「か…疑いを表す…問いを表す」「ひ…い…接尾語…上の語を強調する」。



 笑い奉仕の一節。これを聞いて笑えた人は、この時代のおとなの女たちと同じ聞き方ができている。披露した甲斐があったと言えるでしょう。

 

 「貝」が女であることは、そのつもりになって古歌などを読み直せばわかるが、貫之は、歌の様を知り、言の心を心得る人は、いにしえを仰ぎ見て、古今集の歌を恋しがるであろう」と仮名序で述べたので、「土佐日記」では、次のような方法で、「貝」の「言の心」を明かしている。


 「土佐日記」一月十三日、女たちは湯浴みでもしょうと辺りの浜に降りてゆく。月は明るい。

 「船にては、紅濃く良き衣着ず。それは海の神に怖ぢてと言ひて、何の葦(脚)陰にことづけて、ほやのつまのい(貽貝)すし、すしあわびをぞ、心にもあらぬ、(衣を)脛に上げて(海神に)見せける」とある。

昔から「貝」や「す」が女であったことがわかるでしょうか。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。