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帯とけの枕草子(拾遺十六)貝は
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子(拾遺十六)かひは
文の清げな姿
貝は、殻貝。蛤、とっても小さな梅の花貝。
原文
かひは、うつせかひ、はまぐり、いみじうちゐさきむめのはなかひ。
心におかしきところ
貝は・交いは、空ろな交い。端まくり、ひどく小さなおとこ花かい。
言の戯れと言の心
「かひ…貝…おんな…交…まじわり」「はまぐり…蛤…貝の名…おんな…端まくり」「端…衣の端…身の端」「まくり…捲り…めくりあげ」「むめのはなかひ…梅の花貝…梅の花弁に似た貝…月貝とも」「梅の花…男花…おとこ花」「かひ…交…まじわり…交合…かい…強い疑問を表す」「か…疑いを表す…問いを表す」「ひ…い…接尾語…上の語を強調する」。
笑い奉仕の一節。これを聞いて笑えた人は、この時代のおとなの女たちと同じ聞き方ができている。披露した甲斐があったと言えるでしょう。
「貝」が女であることは、そのつもりになって古歌などを読み直せばわかるが、貫之は、歌の様を知り、言の心を心得る人は、いにしえを仰ぎ見て、古今集の歌を恋しがるであろう」と仮名序で述べたので、「土佐日記」では、次のような方法で、「貝」の「言の心」を明かしている。
「土佐日記」一月十三日、女たちは湯浴みでもしょうと辺りの浜に降りてゆく。月は明るい。
「船にては、紅濃く良き衣着ず。それは海の神に怖ぢてと言ひて、何の葦(脚)陰にことづけて、ほやのつまのい(貽貝)すし、すしあわびをぞ、心にもあらぬ、(衣を)脛に上げて(海神に)見せける」とある。
昔から「貝」や「す」が女であったことがわかるでしょうか。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。