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帯とけの枕草子(拾遺二)日かげにおとる物
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、この時代の人々と全く異なる言語感覚で読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子(拾遺二)日かげにおとる物
文の清げな姿
日光に劣ってゆくもの、紫染の織物、藤の花、すべて、その(紫色の)類は、みな劣ってゆく。紅は月夜には鮮やかさがよくない。
原文
日かげにおとる物、むらさきのをり物、ふぢの花、すべて、そのるいはみなおとる。くれなゐは月夜にぞわろき。
心におかしきところ
思火かげりで劣る物、むら咲きの折り物。うすむら咲きのぶち(斑)のお花、すべてこの類い(の色情)はみな劣る。暮れないは月夜によくない。
言の戯れと言の心
「日かげ…日影…日光…日陰…火陰…思火の陰り」「日…男…おとこ…火…思火」「むらさき…紫…紫草根を染料に椿の灰汁を媒染料にして繊維を染めた色…日光のもとでは色褪せ(灰返り)しやすい…斑咲き…むらさき立つもの…おとこ」「をりもの…織物…折物…折れ逝った物」「物…もの…おとこ」「ふぢの花…不死の花…不二の花…斑のお花…むら咲きのおとこ花」「くれなゐ…紅…鮮やかな赤色…暮れない…薄暮…薄ぼんやり」「月…月人壮士…おとこ…突き…尽き」。
歌などに用いられた「むらさき」という言葉は上のように戯れている。「むらさき」を詠んだ歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第十七 雑歌上 よみ人しらず
紫のひともとゆえへにむさし野の 草はみながらあはれとぞみる
(紫草の一本を思うが故に、武蔵野の草は皆、しみじみとした情趣があると見える)
言葉が戯れないならばこれだけの歌でしょう。いますこし人事に近付けても「思ふ人ひとりが故に末々迄もむつまじといふ事をたとへてよめる也(江戸時代の『古今余材抄』による)」となる。歌の「清げな姿」しか見えていない。
俊成は、歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ているけれども、そこに深き旨も顕れるという。公任のいう歌の「心にをかしきところ」は(……むらさき立つもの一本故に、むさし野に在る女たちは皆、それ、見ながらあはれと思う)。
「紫…紫草…むらさき立つもの…むら咲くもの…おとこ」「むさし…いやしい」「野…山ばなし」「草…女」「見…覯…媾…まぐあい」「見る…目で見る…思う」。
和歌の解釈で、藤原公任の歌論「新撰髄脳」や藤原俊成の「古来風躰抄」を無視するほど愚かなことはない。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。