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帯とけの枕草子〔二百九十五〕男は女親なくなりて
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないままに読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百九十五〕男はめ親なくなりて
文の清げな姿
男は、母親が亡くなって父親が一人いる。(父はこの男を)たいそう思っているが、気をつかうめんどうな北の方(後妻)ができて後は、(男を母屋の)内にも出入りさせず、装束などは、乳母か故実母のお付きの人らにさせている。西と東の対の屋のあたりに、(親子が)客人のように居るなどおかしい。屏風、障子の絵も見所あって、住んではいる。男の・殿上での交際の様子は、不満なく人々も思い、主上もご機嫌よく常に召して、御遊び(囲碁など)の好敵手とお思いになっておられるのに、この男は・やはり何か嘆かわしく、世の中が心に合わない心地して、好き好きしい心が不都合なまでにあるのでしょう。或る・上達部が、またとないほど大切に育てっている妹がひとりある(女御候補に違いないその人が)、思う事を語り情けを交わす慰め処だったのだ。
原文
おとこは、めおやなくなりて、をおやのひとりある。いみじうおもへど、心わづらはしききたのかたいできてのちは、うちにもいれたてず、さうぞくなどはめのと又こうへの御人どもなどしてせさす。にしひんがしのたいのほどに、まらうとゐなどおかし。屏風、さうじのゑもみどころありてすまゐたり。
殿上のまじらひのほど、くちをしからず人々も思ひ、うへも御気しきよくて、つねにめして、御あそびなどのかたきにおぼしめしたるに、猶つねにものなげかしく、世中心にあはぬ心ちして、すきずきしき心ぞ、かたはなるまであべき。かんだちめの、またなきさまにてもかしづかれたるいもうと、ひとりあるばかりにぞ、おもふ事うちかたらひ、なぐさめ所なりける。
心におかしきところ
おとこは、めおや(めの親…妻)が、(その気)無くなって、をおや(おとこの親…夫)が独りで居る。たいそう思っても、心煩わしい北の方(心に煩わしい北風が吹き)だした後は、(妻はめの)内にも入れ立てず。装束などは乳母か故母のお付きのお人らにさせている。西と東の対の屋のあたりに、(夫婦が)客人のように居るなどおかしい。屏風、障子の絵なども、(それぞれに)見所あるものにして、すまゐたり(住まっている…相撲している・相争っている)。
夫の・殿上での交際の様子は、不満なく人々も思い、主上もご機嫌よく常に召して、御遊び(囲碁など)の好敵手とお思いになっておられるのに、やはり、この夫は・何か嘆かわしく、夜の仲が心に合わない心地して、好き好きしい心が不都合なまでにあるのでしょう。かんだちめ(上達部…寒立ち妻)が、他にないほど大切に育てている妹が一人いる、その人が、(夫が密かに)おもふ事をうちかたらひ(思火を交わし合う)慰め処だったのだ。
言の戯れと言の心
「めおや…女親…めの親…おんなの親…妻」「をおや…男親…おの親…男…夫」「北の方…妻…北方から吹く風…心も冷える北風」「すまふ…住まう…相撲…相争う」「世中…男女の仲…夜の中」「かんだちめ…上達部(公卿、三位以上の人)…寒だちおんな…心に北風吹いた妻」。
言葉は戯れるからこそ、異なる二つのやや深刻な話が、一つの言葉で語ることができる。
「伊勢物語」などの語り方も同じである。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。