帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百九十八〕まことにや、やがては下る

2012-02-07 00:01:23 | 古典

  



                                 帯とけの枕草子〔二百九十八〕まことにや、やがては下る



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないままに読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百九十八〕まことにや、やがてはくだる

 まことにや、やがてはくだる、といひたる人に(ほんとうなの、このまま都落ちするというのはと言っている女に……ほんとうなのか、このまま山ば下る、と言う男に)、

 思ひだにかゝらぬ山のさせもぐさ たれかいぶきのさとはつげしぞ

 (思いもかけない気高いところのくすぶる女よ、だれが伊吹の里と告げたのよ……思いの火もかからぬ山ばの、くすぶる女よ、だれが井吹のさ門と告げたのよ)。

 
 言の戯れと言の心
 「まことにや…ほんとうでしょうか…ほんとうなのか」「やがて…このまま…すぐに」「くだる…都から下向する…宮仕えを退く…落ちぶれる…山ばから池(逝け)へと下る」「かゝらぬ…掛からない…さしかからない」「させも草…もぐさ…くすぶる草…くすぶる女」「草…言の心は女」「いぶきのさと…伊吹の里(もぐさの産地)…井吹く山ばを下った里」「井…おんな」「さと…里…女…さ門…おんな」。



 「させも草」を詠んだ歌を聞きましょう。浮かれ女と呼ばれた和泉式部は、ほぼ同時代を生きた人、当然、言の戯れと言の心は共通している。

 和泉式部集 拾遺 久しくとはぬ人に

 けふもまたかくや伊吹のさしも草 さらばわれのみ燃えやわたらん

(今日もまたこうなのね、伊吹産のもぐさ、君来なければ、われだけ、燃えつづけるでしょう……京もまたこうなのか、井吹きのくすぶる女、君がそうなら、われの身、独りで燃え続けそうね)。


 「けふ…今日…京…山ばの頂上…井吹くところ」「いぶきのさしも草…伊吹産のもぐさ、火つきがよく燻りが長持ちするなど品質が良いという…井吹く山ばのくすぶる女」「伊吹…所の名…井吹き」「井…女」「草…女」「らん…推量の意を表す…事実を婉曲に又は詠嘆的に述べる」。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
 原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。