帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(二十七と二十八)

2012-04-02 00:46:04 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(二十七と二十八)


 あづさ弓おして春雨けふふりぬ あすさへふれば若菜つみてむ 
                                    (二十七)

(梓弓つよく春雨、今日降った、明日さえ降れば、若菜摘みできるだろう……あつさ弓張りおして、春のお雨が今日降ってしまった、明日さえも降れば、若なつみしょう)


 言の戯れと言の心
 「あづさ…梓…弓に用いる木…強い木…あつさ…熱さ」「木…男」「ゆみ…弓…ゆ身…おとこ」「おして…圧して…強く…お肢て…おとこ」「春雨…春の雨…春情のおとこ雨」「さへ…添加の意を表す…さえ…さ枝…おとこ」「わかな…若菜…若い女」「菜…草…女」「つむ…摘む…採る…めとる…まぐあう」「てむ…することができるだろう(可能性の推量を表す)…しよう(事態の実現への意志を表す)」。



 よをさむみ衣かりがね鳴くなへに 萩のしたはも色つきにけり 
                             
(二十八)

 (世が寒くて衣借り、雁の鳴くのにつれて、萩の下葉も色づいたなあ……夜の仲つめたくて、身も心も仮りもの、女の泣くのとともに、は木の下端も、色尽きたことよ)。


 「よをさむみ…世が寒いため…夜が寒いので…夜の仲冷えたため」「ころも…衣…心身を包むもの」「かり…雁…鳥…女…借り…仮り…この世のはかないもの」「なく…鳴く…泣く」「なへに…とともに…につれて」「はぎ…萩…秋の七草に一つ…女…端木…おとこ」「したは…下葉…下端…おとこ」「いろつく…色付く…秋色になる…色尽く…涸れ果てる…逝く」。



 春雨降る中で思う日常行事予定は歌の清げな姿。その奥に、おとこの煩悩が言の戯れにより顕れる。対するは、寒々とした秋の風景が歌の清げな姿。その奥に、おとこの飽き果てた心情が言の戯れにより顕れる。

 

 「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」と述べたのは、藤原定家の父、藤原俊成である。さらに、「顕れる深き旨」は即ち、煩悩であるという。それを表現した時、煩悩即ち菩提(煩悩を断じ、真理を知って得られる境地)であると説く。

 まさに、これが歌の様である。 


 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。