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帯とけの新撰和歌集
紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(二十七と二十八)
あづさ弓おして春雨けふふりぬ あすさへふれば若菜つみてむ
(二十七)
(梓弓つよく春雨、今日降った、明日さえ降れば、若菜摘みできるだろう……あつさ弓張りおして、春のお雨が今日降ってしまった、明日さえも降れば、若なつみしょう)
言の戯れと言の心
「あづさ…梓…弓に用いる木…強い木…あつさ…熱さ」「木…男」「ゆみ…弓…ゆ身…おとこ」「おして…圧して…強く…お肢て…おとこ」「春雨…春の雨…春情のおとこ雨」「さへ…添加の意を表す…さえ…さ枝…おとこ」「わかな…若菜…若い女」「菜…草…女」「つむ…摘む…採る…めとる…まぐあう」「てむ…することができるだろう(可能性の推量を表す)…しよう(事態の実現への意志を表す)」。
よをさむみ衣かりがね鳴くなへに 萩のしたはも色つきにけり
(二十八)
(世が寒くて衣借り、雁の鳴くのにつれて、萩の下葉も色づいたなあ……夜の仲つめたくて、身も心も仮りもの、女の泣くのとともに、は木の下端も、色尽きたことよ)。
「よをさむみ…世が寒いため…夜が寒いので…夜の仲冷えたため」「ころも…衣…心身を包むもの」「かり…雁…鳥…女…借り…仮り…この世のはかないもの」「なく…鳴く…泣く」「なへに…とともに…につれて」「はぎ…萩…秋の七草に一つ…女…端木…おとこ」「したは…下葉…下端…おとこ」「いろつく…色付く…秋色になる…色尽く…涸れ果てる…逝く」。
春雨降る中で思う日常行事予定は歌の清げな姿。その奥に、おとこの煩悩が言の戯れにより顕れる。対するは、寒々とした秋の風景が歌の清げな姿。その奥に、おとこの飽き果てた心情が言の戯れにより顕れる。
「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」と述べたのは、藤原定家の父、藤原俊成である。さらに、「顕れる深き旨」は即ち、煩悩であるという。それを表現した時、煩悩即ち菩提(煩悩を断じ、真理を知って得られる境地)であると説く。
まさに、これが歌の様である。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。