帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (四十五と四十六)

2012-04-12 00:00:45 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。貫之の云う「艶流、言泉に沁みる」を実感できるでしょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(四十五と四十六)


 山ざくらわが見にくれば春がすみ 峰にもをにもたちかくしつつ 
                                   (四十五)

(山桜、我が見物に来れば、春霞、峰にも尾にも立ち、隠しつづけている……山ばのお花、我が見に繰れば、春が澄み、峰でもおにも、絶ちきえしつつ)。


 言の戯れと言の心

 「山…山ば」「さくら…桜…木の花…おとこ花」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「くれば…来れば…繰れば…繰り返せば」「春がすみ…春霞…春情の澄み…張るの済み」「春…春情…張る」「峰…山の頂…山ばの頂上」「を…尾…山すそ…おとこ」「たち…立ち…断ち…絶ち」「かくし…隠して…見えなくして…斯くして…こうして」「つつ…反復または継続を表す…筒…おとこ…空しきおとこ」。



 たがための錦なればか秋霧の さほの山辺をたちかくすらむ   
                                   (四十六)

 (誰の為の錦の織物なのか、秋霧が佐保の山辺の紅葉をどうして、立ち隠すのだろう……誰の為の錦木なのか、飽き切りの、さおの山ばの辺りを、どうして絶ち、なくすのだろう)。


 「にしき…錦…多彩な絹織物…黄葉紅葉のたとえ…錦木…求愛のしるしに女の家の門に立てる木…男木…おとこ」「秋霧…飽き切り」「さほ…佐保…所の名…さお…おとこ」「山…山ば」「かくす…隠す…なくす」「らむ…原因理由を推量する意を表す」。



 定家の父、藤原俊成は『古来風抄』に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ているけれども、そこに歌の深い趣旨が顕れる」と述べ、「歌は、ただ読み上げたり、詠じたりすると、何となく艶にもあわれにも聞こえることがある」とも述べている。


 この両歌に顕れた何となく艶なるありさまは、はるの果て、あきの限りに、かくれゆくもののありさまでしょう。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。