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帯とけの新撰和歌集
紀貫之の云う「歌の様」を知らず「言の心」を心得ないで、近世以来、解き明かされてきたのは歌の清げな姿のみ。歌の「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解け、生々しい人の心が「浮言綺語の戯れのような歌言葉のうちに顕れ」、貫之の云う通り「絶艶の草」と実感できるでしょう。
紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(三十三と三十四)
わがせこが衣はる雨ふるごとに 野辺のみどりぞ色まさりける
(三十三)
(わが夫の衣洗い張る、春雨降る毎に、野辺の緑ぞ、色増したことよ……わがせ子の身も心も張る、春のお雨のふる毎に、の辺のみどりも、色まさったことよ)。
言の戯れと言の心
「せこ…背子…夫…夫子…おとこ」「ころも…衣…心身を包んでいるもの…心身」「はる…張る…洗い張りをする…季節の春…春情」「雨…男雨…おとこ雨」「のべ…野辺…山ばではない」「みどり…緑…松…女…草…女」「いろ…色…色彩…色艶…色香…色情」。
ひぐらしの鳴く山里のゆうぐれは 風よりほかに訪ふ人もなし
(三十四)
(ひぐらし蝉の鳴く山里の夕暮れは、風より他に訪う人もいない……日暮らし泣く、山ばのさ門の火の果ては、心に吹くあき風の他に、訪う人も、ものもなし)。
「ひぐらし…蝉の一種…初夏の夕暮れに鳴く蝉…日暮らし…一日中」「なく…鳴く…泣く」「やまさと…山里…山ばの麓…や間さ門…女」「ゆうぐれ…夕暮れ…ことの果て…ものの終わり」「かぜ…風…心に吹く風…飽き風…厭き風」「人…客人…男」「も…もう一つ添える意を表す」。
春、さらに色まさる女のありさまを詠んだ男の歌。対するは、秋、ものの色衰えたありさまを詠んだ女の歌。
先ずは、おとなの男たちが、歌の「心におかしきところ」を楽しむための歌集である。それなのに、今や、歌の「清げな姿」しか見えていないのは、ゆゆしきことである。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。