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帯とけの新撰和歌集
紀貫之の云う「歌の様」を知らず「言の心」を心得ないで、近世以来、解き明かされてきたのは歌の清げな姿のみ。歌の「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解け、生々しい人の心が「浮言綺語の戯れのような歌言葉のうちに顕れ」、貫之の云う「絶艶の草」が実感できるでしょう。
紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(三十五と三十六)
春がすみたつをみすててゆくかりは 花なきさとにすみやならへる
(三十五)
(春霞立つのを見捨てて、北へ行く雁は、花のない里に住み慣れているのかしら……はるの澄み絶つお、見捨てて逝くかりは、お花のないさ門に済み慣れているのかしら)。
言の戯れと言の心
「はる…季節の春…春情…張る」「かすみ…霞…が澄み…が済み」「かすみて…見えなくなって」「見…覯…媾…まぐあい」「たつを…立つのを…絶つを」「を…おとこ」「かり…雁…狩り…漁り…刈り…めとり…まぐあい」「花…木の花…男花」。
和合ならなかった心情を詠んだ女歌。下以諷刺上(下は以って上を諷刺する)というおかしさも、艶情と併せて楽しみましょう。
春かすみかすみていにしかりがねは いまぞなくなる秋きりのうへに
(三十六)
(春霞のとき、かすんで行った雁が音は、今ぞ、鳴いているのが聞こえる、秋霧の上で……はるが澄み、かすんでいったかりの声は、今ぞ泣く成る、飽き限りのうえで)。
「はる…季節の春…春情…張る」「かすみ…霞…が澄み…が済み…ぼんやりと消え」「かり…雁…まぐあい」「ね…音…声…根」「なくなる…鳴くなる…無くなる…泣く成る…泣いて達成する」「なる…なり…(鳴いている)ようだ…成る…の情態になる」「あききり…秋霧…飽き限り…飽きの果て」「うへに…上で…辺りで…越えたところで」
男女和合の心情を詠んだ歌。もののわかるおとなとして、楽しみましょう。貫之は、心深い優れた歌を選んだのではなく、あえて「絶艶の草」を撰んでいる。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。