帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (五十九と六十)

2012-04-20 00:01:35 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(五十九と六十)


 あさみどり糸よりかけて白露を 玉にもぬける春のやなぎか 
                                    (五十九)

 (浅みどりの糸、撚りをかけて、白露を白玉のようにも貫き通した春の柳だなあ……情浅い若もの、とっても頑張って、白つゆを、魂だとばかりぬいた青春の枝垂れぎよ)


 言の戯れと言の心

 「あさ…浅い…薄情な」「みどり…緑…若い…見とり」「見…覯…まぐあい」「いと…糸…とっても…たいそうに」「よりかけて…撚りをかけて…強くして…頑張って」「しらつゆ…白露…白つゆ…おとこ白つゆ」「玉…珠…真珠…宝玉…魂」「ぬける…貫ける…抜ける…出した…脱ける…脱力した」「春…春情…青春…張る」「柳…枝垂れ木…男木…おとこ」「か…感動、詠嘆の意を表す」。



 さを鹿の朝たつ小野の秋萩に 玉とみるまでおける白露  
                                     (六十)

 (さ牡鹿の朝立つ小野の秋萩に、玉と見えるほどおりた白露よ……さおし下の浅絶つひら野の飽き端木に、魂と見るほど、贈り置いた白つゆよ)。


 言の戯れと言の心

 「さをしか…さ牡鹿…さお肢下…おとこ」「さ…接頭語」「あさ…朝…浅…低い…薄い」「たつ…立つ…断つ…絶つ」「おの…小野…ひら野…山ばではない」「あきはぎ…秋萩…飽き端木…厭きのおとこ」「玉…珠…真珠…宝玉…魂」「見…目で見ること…見て思えること…覯」「まで…ほども…程度を表す」「おける…露霜がおりた…送り置いた…贈り置いた」「白露…白つゆ…おとこ白つゆ…体言止めは感嘆・詠嘆の心情を含む」。



 両歌は、「深い心」はともかくとして、若柳と白露、秋萩と白露の景色を詠んでそれぞれ   
「清げな姿」をしている。春歌は、張るものの魂をぬきはなち枝垂れ木となったおとこの喪失感。対する、秋歌は、飽き満ち足りたのか贈り置いた後のおとこの喪失感。これが公任のいう「心におかしきところ」。


 歌の様(表現様式)は、藤原公任の優れた歌の定義から学びましょう。「およそ歌は心深く姿きよげに、心におかしきところあるを優れたりといふべし(新撰髄脳)」という。

 
 中世に埋もれ、近世に見失い、歌から「心におかしきところ」が消えて久しい。それはこのように、言の戯れに顕れる。藤原俊成の『古来風抄』に、歌の言葉は「浮言綺語の戯れにも似たれども深き旨も顕る
」とある。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。