帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (五十三と五十四)

2012-04-17 00:01:22 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(五十三と五十四)


 さくら花しづくにわが身いざ濡れむ かこめにさそふ風のこぬまに 
                                   (五十三)

(桜花の雫に、我が身、さあ濡れよう、散る花びらを囲い目に誘う風の吹かぬ間に……おとこ花のしづくに、若身、さあ濡れようよ、囲いめに誘う世の風の来ない間に)。


 言の戯れと言の心

 「さくら花…男花…おとこ花」「しづく…雫…滴るもの…し突く」「し…士…肢…子」「わかみ…我が身…我が見…若身」「いさ…さて…ものを始めようとするとき発する言葉…さあ…人を誘う時に発する言葉」「む…しよう…意志を表す…しませんか…勧誘を表す」「かこめ…囲い目…花びらなどの吹きだまり…囲い女…家の奥深く囲われる女…奥方…人の妻」「かぜ…風…心に吹く風…世間の風」。


 男の歌。桜花を詠んで清げな姿をして、言の戯れに男の心根が顕れている。
 藤原公任の云うように、歌には「心におかしきところ」がある。



 ちはやふる神なび山のもみぢ葉に 思ひはかけじうつろふものを  
                                   (五十四)

(ちはやふる神奈備山のもみじ葉に、思いは寄せない、衰え散るのだから……血早ふる女、なびく山ばの飽き色の端に、思いは懸けない、衰え果てるのだもの)。


 「ちはやぶる…枕詞…千早振る…神、氏、人などにかかる…威力盛んな…血千早振る…血気盛んな」「かむなび…所の名…名は戯れる」「かむ…かみ…神…女」「なび…靡…なびく」「やま…山…山ば」「もみぢ葉…秋色の葉…飽き色の端…厭き色のおとこ」「は…葉…端…身の端…おとこ」「かけじ…懸けない…懸命にならない」「うつろふ…移ろう…変化する…衰える…はてる」「ものを…ものなのに…ものだから…なのだからなあ」。


 女の歌。もみじ葉を詠んで清げな姿をして、言の戯れに女の心根が顕れている。
 藤原俊成の云うように、歌は「なんとなく艶にもあはれにも聞こえる」。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。