帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (五十一と五十二)

2012-04-16 00:05:23 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(五十一と五十二)

 見わたせば柳さくらをこきまぜて みやこぞ春のにしきなりける 
                                                    (五十一)

 (見渡せば、柳と桜とかき混ぜて、都は春の色織り成した錦だなあ……見つづければ、枝垂れ木、お花の木、かき交ぜて、宮こぞ、春の色織り成したことよ)。


 言の戯れと言の心

 「みわたす…見渡す…広く眺める…見続ける」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「柳…男木…しだれ木…しだれおとこ」「桜…木の花…男花…おとこ花」「こき…接頭語…動詞の意味を強める」「まぜて…雑ぜて…混ぜて…交ぜて」「みやこ…都…京…宮こ…絶頂…感の極み」「春…春情…張る」「にしき…錦…五色の絹糸の織物…多彩な色の織物…色情豊かなもの」。


  おなじ枝にわきてこの葉のうつろふは にしこそ秋のはじめなりけめ
                                                    (五十二)

 (同じ枝で分かれて、木の葉の色付くのは、日沈む西こそ、秋の初めなのだろうな……同じ身の枝で、とくべつに此の端が色褪せるのは、月人のかたむく西こそ、飽きの初めなのだろう)。


 「枝…木の枝…身の枝…おとこ」「葉…端…身の端…おとこ」「うつろう…移ろう…色変わる…衰える…色尽きる」「にし…西…日の沈むところ…月のかたむくところ…色情の果てる方…しに」「日…日の御子…月…月人壮士…男…おとこ」「秋…飽き…厭き」。



 春の花盛りの都の景色は歌の清げな姿。京に達した男女の夜の仲のありさまは心におかしきところで歌の艶。対するは、秋の初めのもみじ葉の様子は歌の清げな姿。京の飽き色にうつろい初めるありさまは心におかしきところで歌の艶。


 このように歌を聞けば、貫之のいう「絶艶の草」「花実相兼」「玄之又玄」「漸艶流於言泉」といった言葉が,腑に落ちるでしょう。



 伝授 清原のおうな

 

 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。