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帯とけの新撰和歌集
言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿のみ。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。貫之の云う「艶流、言泉に沁みる」を実感できるでしょう。帯はおのずから解ける。
紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(四十七と四十八)
見てのみや人にかたらむ山桜 てごとに折りていへづとにせむ
(四十七)
(見ただけで人に語ろうか、山桜、手毎に折って、家への手土産にしょうよ……めを合わせただけで、ひとに情けをかけるのか、山ばのおとこ花、手ごとに折り逝き、井辺へのおみやげにするのがいい)。
言の戯れと言の心
「見…目で見ること…覯…まぐあい」「ひと…人々…女」「や…か…疑問の意を表す」「かたる…語る…言葉を伝える…情けを伝える…かたらふ…情けを交わす」「む…しょう…意志を表す」「山桜…山ばの男花…山ばでのおとこ花」「てごとに…手毎に…各々ぞれぞれ…手事に…手腕を活用して…手練手管で」「折…逝」「いへづと…家へのみやげ…井辺へのおみやげ」「家…井辺…女」「む…しましょうよ…勧誘を表す…するといい…適当・当然の意を表す」。
山のはにおれる錦をたちながら 見てゆきすぎむことぞくやしき
(四十八)
(山の端に織られる紅葉の錦を、裁ちながら、立ち見して行き過ぎることは悔しい……山ばの端で、折れるにしき木を、絶ちながら見て逝き過ぎることぞ悔しい)。
「山…山ば」「おれる…織れる…折れる…夭折する」「にしき…錦…紅葉のたとえ…錦木…求愛のための男木…おとこ」「たち…裁ち…立ち…絶ち」「見…目で見ること…覯…まぐあい」「ゆき…行き…逝き」「くやし…悔しい…残念だ」。
山ばの果てでのおとこの在りようを詠んだ歌。
山ばのさくら花は、手も心もこめたおみやげと思うのが適当。絶ちつつ逝き過ぎては悔しいもの。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。