帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(四十七と四十八)

2012-04-13 00:20:05 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。貫之の云う「艶流、言泉に沁みる」を実感できるでしょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(四十七と四十八)


 見てのみや人にかたらむ山桜 てごとに折りていへづとにせむ 
                                   (四十七)

 (見ただけで人に語ろうか、山桜、手毎に折って、家への手土産にしょうよ……めを合わせただけで、ひとに情けをかけるのか、山ばのおとこ花、手ごとに折り逝き、井辺へのおみやげにするのがいい)。


 言の戯れと言の心

 「見…目で見ること…覯…まぐあい」「ひと…人々…女」「や…か…疑問の意を表す」「かたる…語る…言葉を伝える…情けを伝える…かたらふ…情けを交わす」「む…しょう…意志を表す」「山桜…山ばの男花…山ばでのおとこ花」「てごとに…手毎に…各々ぞれぞれ…手事に…手腕を活用して…手練手管で」「折…逝」「いへづと…家へのみやげ…井辺へのおみやげ」「家…井辺…女」「む…しましょうよ…勧誘を表す…するといい…適当・当然の意を表す」。

 


 山のはにおれる錦をたちながら 見てゆきすぎむことぞくやしき 
                                   (四十八)

(山の端に織られる紅葉の錦を、裁ちながら、立ち見して行き過ぎることは悔しい……山ばの端で、折れるにしき木を、絶ちながら見て逝き過ぎることぞ悔しい)。


 「山…山ば」「おれる…織れる…折れる…夭折する」「にしき…錦…紅葉のたとえ…錦木…求愛のための男木…おとこ」「たち…裁ち…立ち…絶ち」「見…目で見ること…覯…まぐあい」「ゆき…行き…逝き」「くやし…悔しい…残念だ」。



 山ばの果てでのおとこの在りようを詠んだ歌。

山ばのさくら花は、手も心もこめたおみやげと思うのが適当。絶ちつつ逝き過ぎては悔しいもの。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。