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帯とけの新撰和歌集
紀貫之の云う「歌の様」を知らず「言の心」を心得ないで、近世以来、解き明かされてきたのは歌の清げな姿のみ。歌の「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解け、生々しい人の心が浮言綺語の戯れのような歌言葉のうちに顕れ、貫之の云う「絶艶の草」が実感できるでしょう。
紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(四十三と四十四)
山たかみ雲ゐにみゆる桜花 心の行きてをらぬ日ぞなき
(四十三)
(山が高いので、雲居に見える桜花、心が行って、折り取らない日はない……山ば高くて、雲居の浮天で見ているおとこ花、心がはればれして折り逝かぬ日はない)。
言の戯れと言の心
「山…山ば…感情の峰」「たかみ…高いので…高いため」「み…原因理由を表す」「雲居…天空…情欲などのあるところ」「見…覯…まぐあい」「桜花…木の花…男花…おとこ花」「心のゆきて…身は行けないが心が行って…気分がはればれして…心が満足して」「をらぬ日ぞなき…打ち消しの打ち消し、日常に折っている」「をる…折る…もの折れ逝く…心逝く」「折…逝」。
しら雲にはねうちかはしとぶ雁の かずさへみゆる秋の夜の月
(四十四)
(白雲に羽根うち交わし飛ぶ雁の、数さえ見える秋の夜の月……白き心雲に、端根うち交わし、とぶかりひとの数々さえ、見ている飽きの夜のつき人おとこ)。
「はねうちかはす…羽うち交わす…男女が契りを交わす」「とぶ…空を飛ぶ…浮天にかけ昇る」「かり…雁…鳥…女…刈…めとり…まぐあい」「かず…(鳥の)数…(交わす)数…数々…多数…多情」「見…目で見る…覯…媾…交…まぐあい」「秋…飽き…飽き満ち足り」「つき…月…突き…尽き…月人壮士…男…おとこ」。
ものの山ばでの限りなき和合の艶情を詠んだ歌。歌の様を知り言の心を心得ているおとなたちは、このような歌の余情を楽しんでいる。
貫之が「唯の春霞や秋月の歌ではない」と断言している通りである。漢文序に「非唯春霞秋月、漸艶流於言泉」とあるのはこのこと。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。