帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (四十三と四十四)

2012-04-11 00:07:31 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之の云う「歌の様」を知らず「言の心」を心得ないで、近世以来、解き明かされてきたのは歌の清げな姿のみ。歌の「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解け、生々しい人の心が浮言綺語の戯れのような歌言葉のうちに顕れ、貫之の云う「絶艶の草」が実感できるでしょう。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(四十三と四十四)


 山たかみ雲ゐにみゆる桜花 心の行きてをらぬ日ぞなき 
                                  (四十三)

(山が高いので、雲居に見える桜花、心が行って、折り取らない日はない……山ば高くて、雲居の浮天で見ているおとこ花、心がはればれして折り逝かぬ日はない)。


 言の戯れと言の心
 「山…山ば…感情の峰」「たかみ…高いので…高いため」「み…原因理由を表す」「雲居…天空…情欲などのあるところ」「見…覯…まぐあい」「桜花…木の花…男花…おとこ花」「心のゆきて…身は行けないが心が行って…気分がはればれして…心が満足して」「をらぬ日ぞなき…打ち消しの打ち消し、日常に折っている」「をる…折る…もの折れ逝く…心逝く」「折…逝」。



 しら雲にはねうちかはしとぶ雁の かずさへみゆる秋の夜の月 
                                  (四十四)

(白雲に羽根うち交わし飛ぶ雁の、数さえ見える秋の夜の月……白き心雲に、端根うち交わし、とぶかりひとの数々さえ、見ている飽きの夜のつき人おとこ)。


 「はねうちかはす…羽うち交わす…男女が契りを交わす」「とぶ…空を飛ぶ…浮天にかけ昇る」「かり…雁…鳥…女…刈…めとり…まぐあい」「かず…(鳥の)数…(交わす)数…数々…多数…多情」「見…目で見る…覯…媾…交…まぐあい」「秋…飽き…飽き満ち足り」「つき…月…突き…尽き…月人壮士…男…おとこ」。



 ものの山ばでの限りなき和合の艶情を詠んだ歌。歌の様を知り言の心を心得ているおとなたちは、このような歌の余情を楽しんでいる。

 
 貫之が「唯の春霞や秋月の歌ではない」と断言している通りである。漢文序に「非唯春霞秋月、漸艶流於言泉」とあるのはこのこと。


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。