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帯とけの新撰和歌集
言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿のみ。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(六十五と六十六)
さくら色に衣は深く染めて着む 花の散りなむのちのなごりに
(六十五)
(桜色に、衣は深く染めて着よう、花の散るであろう後の、惜しむ心のために……さくら色に、身も心も、深く染めて、切ろうよ、お花の散る後の余韻を惜しむ心のために)。
言の戯れと言の心
「さくら…桜…木の花…男花…おとこ花…咲くら」「ら…情態を表す」「色…色彩…色情」「ころも…衣…心身を包むもの…心身」「きむ…着む…着よう…着ようよ…切む…切ろう…終わろうよ」「む…しょう…意志を表す…しませんか…勧誘を表す」「花…木の花…男花…おとこ花」「に…のために…動作の目的を示す」。
雨ふれば笠とり山のもみぢ葉は ゆきかふ人のそでさへぞてる
(六十六)
(雨降れば、笠取山のもみじ葉は、行き交う人の袖さえ、輝き照らしている……お雨ふれば、嵩取り山ばの飽きの身の端は、ゆき交うひとの端さえぞ出る)。
言の戯れと言の心
「雨…男雨…おとこ雨」「かさとり山…笠取山…山の名…名は戯れる…嵩取り山ば…しぼんだ山ば」「もみぢ葉…黄葉紅葉…秋色の葉…飽き色の端」「人…人々…女」「そで…衣の袖…身の端」「さへ…もう一つ加える意を表す」「てる…照る…でる…出る」。
歌は春の日常の思いや秋の景色の清げな姿をしている。奥深い暗いところに歌の趣旨があり見えない。その玄なるものを観じることができるのは、「歌の様」を知り「言の心」を心得た人だと、紀貫之は云う。
君がおとななら、その「玄之又玄」なるところは、ここまで紐解けば、もはや観じられるでしょう。これは本来、普通の言葉を並べたてて、解き明かすべき事柄ではない。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。