帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (三十七と三十八)

2012-04-07 00:02:05 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 紀貫之の云う「歌の様」を知らず「言の心」を心得ないで、近世以来、解き明かされてきたのは歌の清げな姿のみ。歌の「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解け、生々しい人の心が浮言綺語の戯れのような歌言葉のうちに顕れ、貫之の云う「絶艶の草」が実感できるでしょう。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(三十七と三十八)


 ことしより春しりそむる桜花 散るといふことはならはざらなん 
                                    (三十七)

(今年より、春知り初める桜花よ、散るということは、倣わないでほしい……こ疾しにより、春の情知り、染めるおとこ花よ、散るということは倣わないでほしい)


 言の戯れと言の心
 「ことし…今年…こ疾し…こ早し…男性の一般的疾患」「こ…今…小…子…おとこ」「はる…春…春情…張る」「しり…知り…かかわり」「そむる…初める…はじめる…染める…色つく」「さくらはな…桜花…木の花…男花…おとこ花」「ちる…散る…花や雪が散る…集中力などが衰える」「ならはざら…倣わず…真似ず…前例に習わない」「なん…であってほしい(他に対する希望を表す)」。


 先ず、わがお花に対する希望と聞けば、おとなの男たちには自嘲的なおかしさとなる。また、女歌として疾しものに対する希望と聞けば、皮肉や諷刺のおかしさとなる。こうして、さくら花を弄ぶのが歌の遊び。



 秋萩のしたは色づくいまよりや ひとりある人のいねがてにする 
                                    (三十八)

(秋萩の下葉色付く今より、夜長か、独り居る人が眠りかねる……飽き端木の、下端色尽きる今よりよ、独り色在る女が、眠りかねる)。


 「秋萩…飽き端木…飽き足りてしまった男」「下葉…下端…おとこ」「いろつく…色付く…色尽く」「色…色彩…色艶…色情」「や…詠嘆、疑問などを意を表す」「ある…居る…在る…健在である…色尽きていない」「人…女」「いねがてに…眠り難く…眠れなく」。


 女歌。おとこどもへの皮肉あるいは諷刺の効いたおかしさを楽しみましょう。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。