帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(六十三と六十四)

2012-04-23 00:05:01 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集


 言の戯れを知らず、貫之の云う「言の心」を心得ないで、解き明かされてきたのは和歌の清げな姿の
み。公任の云う「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(六十三と六十四)

 ふるさととなりにし奈良の都にも 色はかはらず花は咲きけり  

                                                   (六十三)

(遷都して古里となった奈良の都にも、色は変わらず、花々は咲いているなあ……古さとと成った寧楽の宮こにも、色は変わらず、お花は咲いたことよ)。


 言の戯れと言の心

 「ふるさと…故郷…古里…古妻」「さと…里…女…さ門」「と…変化の結果を表す…とともに…と一緒に…共同でする相手を表す」「なら…奈良…寧楽(万葉集の表記)…心安らかに楽しむ」「みやこ…都…京…絶頂…宮こ…感の極み」「色…色彩…色情」「花…木の花…おとこ花…草花…女の花…女の華」。



 ひさかたの月の桂も秋はなほ もみぢすればや照りまさるらむ 
                                    (六十四)

(久方の月の桂も、秋はやはり、紅葉するからかそれで、月は照り増さるのだろう……久堅の月人壮士の桂木も、飽きはなお、揉みちするからか、それで、艶増さるのだろう)。


 「ひさかた…久方…久堅(万葉集の表記)」「月…月人壮士(万葉集の表記)…男」「かつら…桂…月に生えているという伝説の木」「木…男…おとこ」「あき…秋…飽き…飽き満ち足り」「なほ…猶…やはり…一層…汝お…おとこ」「もみぢ…黄葉紅葉…揉み乳…揉み路…揉み千」「もみ…揉み…こすり合わせ」「路…女」「てり…照り…月光の輝き…紅葉の艶…ひとの色艶」「らむ…原因理由を推量する意を表す」。

 


 歌はそれぞれ「清げな姿」をしていて、言の戯れに性愛に関わる心におかしきところが顕れている。その艶なるところを、大人は楽しんでいい。


 紀貫之は古今集仮名序で、
今の世中(古今集編纂前の世の中)について、次のように述べた。
 「色につき、人の心花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみ出で来れば、色好みの家に埋もれ木の、人知れぬこととなりて、まめなる所には、花薄、穂にいだすべきことにもあらずなりにたり」。
文芸には流れがあって、このとき、世の歌は色好みの為の色好みのみの歌に堕していた。それを、清げな姿も深い心もある歌として享受するために、詞書を付け作歌事情を示して、巻名など編集にも技巧をこらして、色好みな部分を抑え込んだふしが見える。

 
古今和歌集編纂からほぼ三十年を経て、古今集とは反対に、「新撰和歌集」では、歌の艶流が鄙野に枯渇することを恐れたようで、艶なる余情が相乗効果で更に増すように工夫して編集されてある。古今集ではあった諸々の制約を取り払ったのでしょう。
 


 伝授 清原のおうな                                                    

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。