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帯とけの拾遺抄
和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
藤原俊成は、歌の言葉について「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)と教えている。歌の主旨や趣旨は歌言葉の多様な戯れの意味の内に顕れると理解してよさそうである。これを、公任のいう「心におかしきところ」を探り当てる助けとした。
拾遺抄 巻第六 別 三十四首
みちの国のしらかはのせきこえ侍りけるひよみ侍りける 兼盛
二百二十六 たよりあらばいかで宮こへつげやらむ けふしらかはのせきはこえぬと
陸奥の国の白河の関を越えた日に詠んだ (平兼盛・村上の御時から円融の御時の著名歌人)
(機会があれば、何とかして、都へ告げてやろう、今日、白河の関は越えたと・無事着いたと……頼りがあれば、何とかして、宮この人に告げてやろう、我は・山ばの京の宮こ、白川となるせきを越えてしまったと)
言の心と言の戯れ
「たより…便り…機会…頼り…頼る気配…頼る知らせ」「宮こ…都…京…極まり至ったところ…ものの山ばの頂上」「けふ…今日…京…宮こ…感の極み」「しらかは…白河…関所の名…名は戯れる。白いおんな」「白…おとこ白つゆ」「川…言の心は女」「関…関所…関門…宮こへの難所…川の堰き」「ぬ…完了したことを表す…(越えあふれて)しまった」
歌の清げな姿は、長旅の上、到着した日付を、又は、有名な陸奥の関所を実際に越えた感慨を、機会があれば知らせてやろう。
心におかしきところは、送り届けた宮この女に、白川となる難関を我は越えてしまったと、まだ頼る気配があれば告げてやろう。
ながされ侍りて後めのとのもとにいひおこせて侍りける 贈太政大臣
二百二十七 君がすむやどのこずゑをゆくゆくと かくれしまでにかへり見しはや
流された後、妻のもとに言い寄こした (贈太政大臣・右大臣菅原道真)
(あなたの住む家の、梅の木の・梢を、行く行くと隠れてしまうまで、返り見したあゝ……あなたの澄むやとの、小枝を、行く逝くと、隠れてしまうまで、返り見たなあゝ)
言の心と言の戯れ
「すむ…住む…澄む…沈んでいる…静まっている」「やど…宿…家…言の心は女…妻女…屋門…言の心は女」「こずゑ…梢…小枝…身の小枝…おとこ」「を…対象を示す…おとこ」「ゆくゆく…行く行く…行く逝く…逝く逝く」「かくれしまで…隠れてしまうまで…隠れ肢まで…果てる肢まで」「かへりみ…返り見…振り返り見る…繰り返し見る」「見…覯…媾…まぐあい」「はや…深い詠嘆を表す」
歌の清げな姿は、数人の妻がいたがその一人に言い送った、別れ難い残念な思い。
心におかしきところは、思い出す愛おしく離れ難い思いの数々。
これらの歌に「清げな姿」しかないとすれば、なんと味気も色気もない言葉だろうか、もとより、それは歌でさえない。公任の教示する「歌の様」から外れている。
歌は世に連れて変わるので、近世以来、歌の様(表現様式)が変わったのだろう。また、歌の「心におかしきところ」が聞こえないのは、歌の言葉を、その歌に最も相応しく適当と思える意味をただ一つ探求して歌を正しく聞こうとするためである。言葉の意味は限りなく戯れるものであった。言語観も世につれて変わってしまったのだろう。
平安時代の和歌を聞くためには、貫之、清少納言、俊成が述べる歌の様や言語観を全て素直に信じるべきである。今の世に都合のよいように曲解するべからず、無視するべからず。とりわけ、「(字義だけではない)言の心を心得よ」「男の言葉(漢詩など)も女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」「歌の言葉は、浮言綺語に似た戯れである」という当時の言語観を率直に受け入れる。そしてむしろ、近世以来の「序詞・掛詞・縁語」などという、平安時代には無い概念を無視する。
『拾遺抄』巻第六別は、これにて終り。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。