帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百七十二)(二百七十三)

2015-06-29 00:23:23 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                          人丸

二百七十二 みなといりのあしわけをぶねさはりおほみ  恋しき人にあはぬころかな

(題しらず)                        (柿本人麻呂・万葉集では名なし)

(我は・湊に入る葦分け小舟、何かと・さし障ること多くて、恋しい人に逢えないこの頃だなあ……身の門入りの脚分け小夫根、障りの日多くて、恋しい人に合わぬこのごろだなあ・口実かも)

 

の心と言の戯れ

「みなと…湊…水門…身の門」「み…水…言の心は女…身」「な…の」「と…門…言の心は女」「あし…葦…脚…肢」「をぶね…小舟…お夫根…おとこ」「さはり…障害…岩礁・浅瀬など…仕事などの支障…女の月のものの障り」「あはぬ…あわない…あえない…あってくれない」「逢う…合う」「かな…かも…感嘆を表す…疑いを表す」

 

歌の清げな姿は、公務にあれこれ支障があって、恋しい人に逢えない頃だなあ。

心におかしきところは、障り続くので、恋しい人に合えない、この頃なのかなあ。

 

万葉集巻第十一「寄物陳思」の歌群にある、よみ人しらず。

湊入之 葦別小舟 障多見  吾念公尓 不相頃者鴨

聞く耳によって色々な意味に聞こえるが、人麻呂が受け取った女の歌として聞く、

(湊に漕ぎ入る葦分け小舟なの・君は、支障多くて、わたしの思うに、公務なのね・仕事で、逢えない頃なのかも……身な門入りの脚分けお夫根、障り多し、わたしは念じる、君も認めることを、合えない頃かと)

 

「公…おおやけ…宮仕え…公私の公…私は犠牲にすべき公務…きみ…君」「尓…に…しかり…是認の意を表す」

 

 

(題不知)                         読人不知

二百七十三 しのばんにしのばれぬべき恋ならば つらきにつけてやみもしなまし

                                     (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(堪え忍ぼうとして、我慢できてしまう恋ならば、辛さにかこつけて、恋なんて・止めてしまうだろになあ……忍ぼうにも、耐えられない乞いなので、貴女の・薄情な仕打ちにつけて、病み、ものも、死んでしまうだろうに)

 

言の心と言の戯れ

「しのばん…偲ぼう…恋い偲のぼう…忍ぼう…堪え忍ぼう」「しのばれぬべき…堪え忍べてしまう…堪え忍んでしまわなければならない」「恋…乞い…求め」「つらき…辛き…苦痛に感じる…むごい仕打ちである…薄情な仕打ちである」「やみもしなまし…止んでしまうだろうに…病みて死んでしまうだろうに」「も…強調」「な…ぬ…完了する意を表す…ず…打消しを表す」「まし…(やむ)だろうに…仮想する中に、後悔、不満、恨めしい気持などを含む」

 

歌の清げな姿は、我が恋心は、薄情な仕打ちをされても、止められないだろう。

心におかしきところは、おとこの乞い求めは、堪え忍べない、我慢すれば病んでしまうだろう。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。