帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百六十二)(二百六十三)

2015-06-23 00:12:35 | 古典

          

 


                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                         読人不知

二百六十二 ゆめをだにいかでかたみに見てしかな あはでぬるよのなぐさめにせむ

         題しらず                          (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(夢だけでも、何とかして、形見に、貴女に逢うところを・見たいなあ、逢わず寝る夜の慰めにしようと思う……夢の中だけでも、逝かずに、堅身で見たいなあ、合えず寝る夜の慰めにするつもり)

 

の心と言の戯れ

「いかで…何とかして…逝かで…逝かずに」「で…ず…打消の意を表す」「かたみ…形見…思い出のすよすが…堅身…武樫おとこ」「見…(夢に)見る…覯…媾…まぐあい」「てしか…願望を表す…(見)たい」「な…詠嘆を表す…なあ」「あはで…逢わず…合わず」「なぐさめ…慰め…気晴らし…心の癒し」

 

歌の清げな姿は、くるしい逢えない恋。

心におかしきところは、いつも和合ならず果てるおとこの心根。

 

 

(題不知)                         読人不知

二百六十三 ゆめよりもはかなき物はかげろふの ほのかにみえしかげにざりける

         題しらず                        (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(夢よりも儚いものは、陽炎のように、ほのかに見えた、あの時の君の・お姿ではないかあ……夢よりも果敢ない物は、かげろうのように、仄かに見ていた、君の・陰ではないかあ)

 

の心と言の戯れ

「ゆめ…夢…儚いもの」「はかなき…儚き…果敢なき…とりとめなくむなしい…もろくて頼りない」「物…もの…ばくぜんと物事…物体…おとこ」「の…比喩を表す」「ほのかに…仄かに…ほんのちょっと…薄ぼんやりと」「み…見…覯…媾…まぐあい」「かげ…影…姿…陰…おとこ」「ざりける…でなかったかあ…打消・詠嘆は感情の高ぶりの表れか…さりける…(消え)去ることよ…(公の歌集、拾遺集では)にぞありける…であることよ」

 

歌の清げな姿は、夢見るような乙女のせつない恋心。

心におかしきところは、やるせないおんなの憤懣を、厭き風に揺れ伏すおとこに言い遣ったところ。

 

歌は、清げな姿に包んであるが、綺麗ごとや偽りごとではない、ほんとうの心根を言葉にしてある。

 


  清少納言枕草子(九五段)の結びに、
「つつむ事さぶらはずは(歌の名手といわれる父元輔に・慎む事がいらないならば……歌は清げな姿に・包む事なくていいのならば)、千の歌なりとこれよりなん出でまうで来まし(千の歌でも今からでも詠み出せるでしょう……別れ、恋しさ、恨み辛みなど・女の千の思いを腹腸わってうちあけるでしょう)と中宮に申しあげたとある。


 鳴き声を訪ねて聞いてきたのなら、郭公(鳥の名・且つ恋う・ほと伽す・女・など色々な意味を孕む)の歌を詠めと責め立てられて、清げに包むのが苦手な事は、ご存じのくせにと思って拗ねていたときに、中宮の巧妙な歌によって、本音を言わされてしまった話のようである。

 

清少納言は、歌の表現様式を公任とほぼ同じように捉えていただろう。公任の歌論を理解して、このよみ人しらずの両歌の表現方法に触れれば、清少納言のいう「つつむ」難しさがよくわかる。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。