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帯とけの拾遺抄
藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
歌の言葉については、清少納言枕草子「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。
平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。
拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首
読人不知
二百六十六 うつつにもゆめにも人によるしあへば くれ行くばかりうれしきはなし
(よみ人しらず・男の歌として聞く)
(現実にも夢にも、あの人に夜、逢えれば、日の・暮れ行く程、嬉しいことはほかにない……現にも、夢の中でも、思う・人に夜合えれば、感極まり・こと果てて逝く程、嬉しいときはほかにない)
言の心と言の戯れ
「ゆめ…夢…夢中」「人…あの人…思う女」「よるし…夜に…寄るし」「し…強調…肢…子…おとこ」「あへば…逢えば…合えば」「くれ…日の暮れ…たそかれ時…夕方…果て方」「行く…進行する…逝く…果てる」「ばかり…程…程度…間…時間」「うれしきはなし…嬉しきはなし…快楽の時は他にない…こころよさは他にない」
歌の清げな姿は、現実はもちろん、夢中であろうとも、恋人に逢うのは、快楽。
心におかしきところは、春立ち、張る立てば、花咲き、散り果てるのは、おとこの嬉しき一瞬。
この歌、延喜十三年、亭子院歌合で、「歌よみ」として参加した躬恒の歌で、「左方」の提示した歌であるが、「右方」の歌の勝となった。勝った歌は、どのような歌か聞いてみよう。
右方 (よみ人しらず・女の歌として聞く)
たまもかるあまとはなしにきみこふる わがころもでのかわくときなし
(玉藻刈る海人ではないのに、君を恋するわたしの衣の袖が、辛い涙で・乾く時がない……玉もかる海女ではないのに、貴身乞うる、わが心と身の端が、潤む汝身唾で・乾く時がない)
言の心と言の戯れ
「君…男…貴身」「こふる…恋する…乞うる…求める」「ころもで…衣の端…袖…心身のそで…身の端…おんな」「衣…心身を被うもの…心身の換喩…心と身」
女の妖しい色香がいみじう漂う。この歌の勝ちに、誰も不服はないだろう。おとこの果ての嬉しさなどを詠んだ歌に勝ち目はない。
題不知 藤原有時
二百六十七 あふことのなげきのもとをたづぬれば ひとりねよりぞおひはじめける
題しらず (藤原有時・生年不詳、歌は拾遺集に二首のみ)
(恋しあう辛い嘆きの、もとを尋ねたら、男の・独り寝よりぞ、生じ始めていたことよ……合うことのなげ木、後の詠嘆の、根本を尋ねたら、独り根よりぞ、感極まり初めていたことよ)
言の心と言の戯れ
「あふ…逢う…合う…和合」「なげき…嘆き…溜息…恋する辛さ…投げ木…たき木」「木…言の心は男」「もと…源…元…根本」「独り寝…ひとり根」「根…おとこ」「おひ…生ひ…生じる…(老い)…歳の極まり…ものの極まり…感の極まり」「はじめ…始め…初め」「ける…けり…気付・詠嘆の意を表す」
歌の清げな姿は、恋し逢う辛さなど、独り寝の時より、経験していることよ。
心におかしきところは、合った後のむなしい詠嘆など、独り寝の根より、手軽に経験していたことよ。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。