帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百五十)(二百五十一)

2015-06-16 00:22:18 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                      読人不知

二百五十  いつしかとくれをまつまのおほそらは  くもるさへこそうれしかりけり

(題しらず)                    (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(何時になったらと、君の来る・夕暮れを、待つ間の大空は、曇るのさえ、なんだか嬉しいことよ……何時になったらと、果てを待つ間の、おおそらは・おお吾まは、具盛るさ枝こそ、嬉しくかりすることよ)


 言の心と言の戯れ

「くれを…暮れるのを…呉お…上等なお」「呉…舶来の…上等の」「まつま…待つ間…待つおんな」「ま…間…言の心は女」「おほそら…大空…天空…あま…あめ…おんな」「おほ…大…裳め言葉ではない、自嘲、謙遜など」「くもる…曇る…来盛る…躯盛る…具盛る」「く…ぐ…具…身に着き添っているもの」「さへ…でさえ…でも…さゑ…小枝…男の身の枝…具」「さ…接頭語…美称…小…褒め言葉ではない、揶揄、親愛など」「うれしかりけり…嬉しいことよ…嬉しくかりすることよ」「かり…く有り…狩り…猟…めしとり…むさぼり」。

 

歌の清げな姿は、恋しい人を待つ女の率直な思い。

心におかしきところは、言の戯れに包んで、女に贈られるつゆを待つ間の思いが、偽り無く述べられてあるところ。

 

 

(題不知)                      (読人不知)

二百五十一 身をつめばつゆをあはれとおもふかな  あかつきごとにいかでおくらん

(題しらず)                     (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(身をつめば・つとめれば、朝露をあゝすばらしいと思うなあ、暁毎に、如何にして・誰がどうして、降ろすのだろうか……みを、つき詰めれば、吾が・つゆを、しみじみ感動すると思うのだなあ、暁毎に、あなたを宮こへ・送り届けるつもりだよ)

 

の心と言の戯れ

「身を…見を…身お」「身…見…覯」「を…お…おとこ」「つめば…積めば…積み重ねれば…根を詰めれば…突き詰めれば」「つゆ…露…朝露…液…おとこ白つゆ」「あはれ…しみじみと感動する」「かな…感嘆・感動・詠嘆の意を表す」「あかつき…暁…朝方…赤突き…赤尽き」「赤…元気色」「いかでおくらん…どうして降りるのだろうか…どうして降ろそうか…なんとかして贈り置こう…なんとかして送り届よう」「おく…(露が)降りる…置く…贈り置く…送りおく…送り届ける」「ん…む…推量を表す…意志を表す」

 

歌の清げな姿は、翌朝、男、帰り路で朝露の風情をしみじみと思う。

心におかしきところは、暁毎に、なんとかしてつゆと共に女を、山ばの頂上に・宮こに、送り届けようという男の決心。


 よみ人しらずの両歌にも、言の戯れによって「煩悩」が顕れる。多くは男女の情事に関わる色情の表明である。こうして、言葉で表現した時、煩悩(煩わしくも湧き立ち心を惑わせ悩ませるもの)は、即ち、菩提(煩悩を知恵にて悟った境地)であると、藤原俊成の言うことが理解できるようになる。
 
このように和歌を解釈すれば、古今集仮名序で、編纂以前の或る時期、和歌が「色好み」に堕したと言うことや、柿本人麿を歌のひじり(その道の達人・高徳の僧)と呼ぶことなどが、理解できるようになる。


  『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。