帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百五十四)(二百五十五)

2015-06-18 00:22:00 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

(題不知)                       読人不知

二百五十四 あふことはかたはれつきの雲がくれ おぼろげにやは人は恋しき

(よみ人しらず・女の歌として聞く)

(逢うことは、片割れ月の雲隠れ・見えるみこみなし、おぼろげにか・いやはっきりと、あの人が恋しい……合うことは、片われ尽きの雲隠れ、おぼろげではなくて・はっきり張りきった、人端乞いしい)

 

の心と言の戯れ

「あふ…逢う…お目にかかる…逢いに来る…合う…和合する…至福の山ばが合致する」「かたはれつき…片割れ月…半月…片われの月人壮士…片欠けの尽き人おとこ」「月…言の心は男…万葉集の月の歌語は月人壮士、それ以前の月の別名は、ささらえをとこ」「つき…突き…尽き」「雲…空の雲…心を曇らせるもの…心雲…煩わしくも心に湧き立ち人を悩ませるもの…情欲もその一つ…広くは煩悩」「隠れ…雲に隠れる…心雲がなくなる…色欲失せる」「おぼろげ…薄ぼんやり…はっきりしない」「やは…反語の意を表す」「人…あの人…男」「は…が…特に指示する意を表す…なんと何々が…端…身の端…おとこ」「恋…乞い…求め」

 

歌の清げな姿は、お逢いする機会はもうなさそう、おぼろげにではない、はっきりと、わたしはあの人が恋しい。恋の自覚。

心におかしきところは、おぼろげではない人の端が乞いしい。おんなの不満が言の葉となったところ。

 

        (題不知)                      (読人不知) 

二百五十五 あひ見でも有りにしものをいつのまに  ならひて人のこひしかるらむ

   (題しらず)                      (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(逢い、顔を・見たのではないものを、いつの間に、慣れ慣れしく、あの人が、恋しくなったのだろうか……未だ・合い見たのではないものを・我がお、いつの間に・井津の間に、なれなれしくもあの人のそれ、乞いするのだろうか)

 

の心と言の戯れ

「あひ見…逢い見…合い見」「見…対面…拝見…覯…媾…まぐあい」「で…ず…打消しの意を表す」「ものを…のに…のになあ」「を…感嘆・詠嘆を表す…お…おとこ」「いつのまに…何時の間に…井津の間に」「井・津・間…言の心はおんな」「ならひて…慣れて…親しんで…なれなれしく」「人の…あの人の(井津の間が省略されてある)」「の…所在・所属を表す」「こひ…恋…乞い…求め」「らむ…推量を表す…原因理由を推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、恋は何時の間に芽生えたのだろうか。

心におかしきところは、おとこの単刀直入な乞いする思いが言の葉となったところ。

 

古今集仮名序冒頭に「大和歌は人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける」とある。「心の種」とは、心に思うことのすべてだろう。人の思うことは生易しいことばかりではない。和歌に顕れたそれは、生々しくも「心におかしき」もので、「煩悩」と言えば煩悩である。故に、言葉の戯れに巧みに包んである。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。