帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百四十二)(二百四十三)

2015-06-11 00:41:46 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言の「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」(枕草子)と、藤原俊成の「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)を参考とした。平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を、指摘するような解釈はあえてしない。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

題不知 読人も

二百四十二 いかでかとおもふ心のあるときは おぼめくさへぞうれしかりける

        (題知らず、よみ人も)・女の歌として聞く

(君に・何とかしてと思う心のあるときは、そうでもない素振をすることさえ、女は・嬉しいものよ……そろそろかな・どうなのかなと、思う心のある時は、よくわからないものでさえよ・おぼめく小枝もよ、女は・嬉しいものよ)

 

の心と言の戯れ

「いかでか…何とかして…どうなのか」「おぼめく…何でもないそぶりをしている…はっきりしない…おぼろげにしかわからない」「さへ…添加の意を表す…までも…さ枝…身の枝…おとこ」「さ…小…接頭語」「ぞ…強調…(さへを)強く指示する」「うれしかりける…嬉しかったなあ…嬉しいことよ…悦ばしいことよ」

 

歌の清げな姿は、女の受身の繊細な恋心を言い表した。

心におかしきところは、女のもの乞う繊細な感覚を見事に言い表したところ。

 

 

をんなのもとにつかはしける              大中臣輔親

二百四十三 いかでいかでこふるこころをなぐさめて のちのよまでのものをおもはじ

女の許に遣わした                     (大中臣輔親・伊勢神宮祭主・父は能宣)

(どうにかして、なんとしても、恋しい心を晴らして、あの世までも、貴女が恋しいと・もの思いしたくない……ゆかず、逝かず、宵のうちは・乞う我が心を慰撫して、後夜まで、ものを思わないようにしょう)

 

の心と言の戯れ

「いかで…如何で…どうにかして…何としても…行かで…逝かず…死なずに」「で…手段などを表す…によって…打消しを表す…ず…ずに」「なぐさめて…心の憂さを晴らして…気を晴らして…心をたのしませ」「のちのよ…後の世…あの世…後の夜…後夜…深夜から朝まで」「もの…はっきり言えないもの…ものを乞い求める心」「じ…打消しの意志を表す…したくない…しないつもり」

 

歌の清げな姿は、何とかして、苦しい恋心をこの世で晴らして、あの世まで思うまい。

心におかしきところは、持続力のないおとこの性に抗して、後夜までは保持しようという、男のけなげな思い。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。