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帯とけの拾遺抄
和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
歌の言葉については、清少納言の「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」(枕草子)と、藤原俊成の「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)を参考とした。平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を、指摘するような解釈はあえてしない。
拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首
題不知 読人も
二百四十二 いかでかとおもふ心のあるときは おぼめくさへぞうれしかりける
(題知らず、よみ人も)・女の歌として聞く
(君に・何とかしてと思う心のあるときは、そうでもない素振をすることさえ、女は・嬉しいものよ……そろそろかな・どうなのかなと、思う心のある時は、よくわからないものでさえよ・おぼめく小枝もよ、女は・嬉しいものよ)
言の心と言の戯れ
「いかでか…何とかして…どうなのか」「おぼめく…何でもないそぶりをしている…はっきりしない…おぼろげにしかわからない」「さへ…添加の意を表す…までも…さ枝…身の枝…おとこ」「さ…小…接頭語」「ぞ…強調…(さへを)強く指示する」「うれしかりける…嬉しかったなあ…嬉しいことよ…悦ばしいことよ」
歌の清げな姿は、女の受身の繊細な恋心を言い表した。
心におかしきところは、女のもの乞う繊細な感覚を見事に言い表したところ。
をんなのもとにつかはしける 大中臣輔親
二百四十三 いかでいかでこふるこころをなぐさめて のちのよまでのものをおもはじ
女の許に遣わした (大中臣輔親・伊勢神宮祭主・父は能宣)
(どうにかして、なんとしても、恋しい心を晴らして、あの世までも、貴女が恋しいと・もの思いしたくない……ゆかず、逝かず、宵のうちは・乞う我が心を慰撫して、後夜まで、ものを思わないようにしょう)
言の心と言の戯れ
「いかで…如何で…どうにかして…何としても…行かで…逝かず…死なずに」「で…手段などを表す…によって…打消しを表す…ず…ずに」「なぐさめて…心の憂さを晴らして…気を晴らして…心をたのしませ」「のちのよ…後の世…あの世…後の夜…後夜…深夜から朝まで」「もの…はっきり言えないもの…ものを乞い求める心」「じ…打消しの意志を表す…したくない…しないつもり」
歌の清げな姿は、何とかして、苦しい恋心をこの世で晴らして、あの世まで思うまい。
心におかしきところは、持続力のないおとこの性に抗して、後夜までは保持しようという、男のけなげな思い。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。