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帯とけの拾遺抄
和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
歌の言葉については、清少納言の「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」(枕草子)と、藤原俊成の「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)を参考とした。平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を、指摘するような解釈はあえてしない。
拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首
大嘗会のみそぎにもの見侍りける所にわらはの侍りけるをみはべりて
またの朝につかわしける 寛祐法し
二百三十二 あまた見しとよのあかりのもろ人の 君しも物をおもはするかな
大嘗会の禊の儀式で、見物席に童子(稚児か・美少年か)が居たのを見て、翌朝に遣わした (寛祐法師・村上御時の人・源信明の弟という)
(大勢見た宮中の豊の明りの諸人の・中で、君だけが・明るく輝き人に、もの想いをさせるなあ……多数見た・その経験豊かな、宮人の男も女もが、貴身、下、ものを・君のわらはの貴身を、想像させるなあ・たくましい身体)
言の心と言の戯れ
「みそぎ…禊…多くは河原で行われる、水で心身を清めること、ここは宮中で行われた儀式、詳しくは不知ながら、当然、被きよめ人は上半身裸身」
「あまた…大勢…多数」「見し…見物した…見かけた…経験した」「見…覯…媾」「とよのあかりのもろ人…豊の明りの諸人…宮中の男たちと女たち皆…(経験など)豊かで(その道に)明るい人々」「の…所属を表す…主語を示す」「君…貴身」「しも…限定・強調を表す…下部」「物…はっきり言い難いこと…はっきり言い難い物」「を…対象を示す…お…おとこ」「かな…感動・感嘆・詠嘆を表す」
歌の清げな姿は、大勢の宮人の中に、ひときわ光り輝き人を魅了する、童子を見た感慨。稚児を恋する心かどうかは、詞書と詠み人から察知せられる。
心におかしきところは、経験ある男も女も皆、その貴身を想像するだろうという。大人の男色の心が顕れているところ。
この歌の「とよのあかり」に、「経験豊富でその道に明るい」などいいう意味があることは証明できない、無いという証明もできない。この文脈では、「とよのあかり」にそのような意味もあったと心得るだけである。
題不知 読人不知
二百三十三 いのちをばあふにかふとかききしかど われやためしにあはぬしにせん
題しらず (よみ人しらず・女の歌として聞く)
(命をば逢うことに換える・命に換えても逢いたい、とか言うのを聞いたけれども、わたしは、試しに逢わずに死のうかしら……命に換えても合うとか言うのを聞いたけど、わたしは、先例に、和合せずに死ぬのでしょうか)
言の心と言の戯れ
「いのちをばあふにかふ…命をば逢うに換える…逢う事に命を懸ける…命をば合うに換える…死ぬと言って和合する」「あふ…逢う…合う…和合する…感の極みに達する」「や…疑問を表す」「ためしに…試しに…先例に」「しにせん…死ぬだろう…死んでしまう…死んでしまうつもり…死んでやる」「しぬ…死ぬ…逝く…命絶える」「ん…む…意志を表す…推量の意を表す」
歌の清げな姿は、逢いたくて死にそうというのは聞いたけど、わたしは試しに逢えなくて死んでやろうかしら、訪れない男への脅し。
心におかしきところは、合うと引き換えに逝くとは聞いたけれど、わたしは先例に合えず逝くのかしら、おとこへの皮肉。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。