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帯とけの拾遺抄
和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
歌の言葉については、清少納言の「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」(枕草子)と、藤原俊成の「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)を参考とした。平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を、指摘するような解釈はあえてしない。
拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首
題不知 源経基
二百四十四 あはれとし君だにいはばこひわびて しなんいのちのをしからなくに
題しらず (源経基・父は親王、母は左大臣の娘・公任にとっては五十年前の人)
(あゝ愛しいとだ、貴女さえ言えば、恋焦がれ心細くしぬだろう命が惜しくはないのに……あゝしみじみと感じる、早過ぎるわが貴身だけでもそう言えば、乞い求め果てしおれて逝く、わが貴身の・命に執着はないのに)
言の心と言の戯れ
「あはれ…あゝうれしい…あゝ愛しい…しみじみと感じる」「と…引用の意を表す」「し…強意をあらわす」「とし…疾し…早過ぎ…儚いおとこのさが」「こひわび…恋い侘び…恋しい思いに心が萎える…片恋のつらく心細いこと…乞い侘び…乞い求めものが萎える」「しなんいのち…(片想いのまま)死ぬだろう命…(我が貴身の)果てるだろう命」「をしからなくに…惜しくないのに…執着しないものを」
歌の清げな姿は、「あはれ」と貴女さえ言えば、恋焦がれ死ぬ命も惜しくはない。
心におかしきところは、我が貴身が、「あはれ」と言えば、乞い求め侘びしく果てる命も惜しくない。
(題不知) 読人不知
二百四十五 あひみてはしにせぬみとぞなりぬべき たのむるにだにのぶるいのちを
(題しらず) (よみ人しらず・男の歌として聞く)
(お逢いしてお顔見れば、不死身になりそうだ、頼むだけで延びる命よ……合い見れば、逝かぬ身となるつもりだ、あなたの・頼むだけ延びる命・およ)
言の心と言の戯れ
「あひみては…逢い対面すれば…逢いお顔を見れば…合い見れば…和合すれば」「しにせぬ…死なない…命なくしたりしない」「ぬ…ず…打消しを表す」「み…身…見」「見…覯…媾…まぐあい」「なりぬべき…なってしまうだろう…きっとそうなるだろう」「ぬ…完了した意を表す…意味を強める」「のぶるいのちを…延びる命よ」「を…対象を示す…感嘆・感動を表す…お…おとこ」
歌の清げな姿は、お逢いすれば、不老不死の蓬莱山に来た心地がするでしょう、望むだけの長寿よ。
心におかしきところは、合い見れば、不死身となって、頼まれるままに延長する、おの命よ。
破滅型の男と自信満々型の男の恋および乞いの告白、対照的な恋歌だからこそ、並べられてあるのだろう。さて、どちらの方が、女心を揺り動かすだろうか。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。