帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百四十四)(二百四十五)

2015-06-12 00:17:44 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言の「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」(枕草子)と、藤原俊成の「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)を参考とした。平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を、指摘するような解釈はあえてしない。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

 題不知                          源経基

二百四十四  あはれとし君だにいはばこひわびて  しなんいのちのをしからなくに

 題しらず                        (源経基・父は親王、母は左大臣の娘・公任にとっては五十年前の人)

(あゝ愛しいとだ、貴女さえ言えば、恋焦がれ心細くしぬだろう命が惜しくはないのに……あゝしみじみと感じる、早過ぎるわが貴身だけでもそう言えば、乞い求め果てしおれて逝く、わが貴身の・命に執着はないのに)

 

の心と言の戯れ

「あはれ…あゝうれしい…あゝ愛しい…しみじみと感じる」「と…引用の意を表す」「し…強意をあらわす」「とし…疾し…早過ぎ…儚いおとこのさが」「こひわび…恋い侘び…恋しい思いに心が萎える…片恋のつらく心細いこと…乞い侘び…乞い求めものが萎える」「しなんいのち…(片想いのまま)死ぬだろう命…(我が貴身の)果てるだろう命」「をしからなくに…惜しくないのに…執着しないものを」

 

歌の清げな姿は、「あはれ」と貴女さえ言えば、恋焦がれ死ぬ命も惜しくはない。

心におかしきところは、我が貴身が、「あはれ」と言えば、乞い求め侘びしく果てる命も惜しくない。

 

 

(題不知)                        読人不知

二百四十五  あひみてはしにせぬみとぞなりぬべき たのむるにだにのぶるいのちを

(題しらず)                      (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(お逢いしてお顔見れば、不死身になりそうだ、頼むだけで延びる命よ……合い見れば、逝かぬ身となるつもりだ、あなたの・頼むだけ延びる命・およ)

 

の心と言の戯れ

「あひみては…逢い対面すれば…逢いお顔を見れば…合い見れば…和合すれば」「しにせぬ…死なない…命なくしたりしない」「ぬ…ず…打消しを表す」「み…身…見」「見…覯…媾…まぐあい」「なりぬべき…なってしまうだろう…きっとそうなるだろう」「ぬ…完了した意を表す…意味を強める」「のぶるいのちを…延びる命よ」「を…対象を示す…感嘆・感動を表す…お…おとこ」

 

歌の清げな姿は、お逢いすれば、不老不死の蓬莱山に来た心地がするでしょう、望むだけの長寿よ。

心におかしきところは、合い見れば、不死身となって、頼まれるままに延長する、おの命よ。


 

破滅型の男と自信満々型の男の恋および乞いの告白、対照的な恋歌だからこそ、並べられてあるのだろう。さて、どちらの方が、女心を揺り動かすだろうか。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。