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帯とけの拾遺抄
藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
歌の言葉については、清少納言枕草子「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。
平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。
拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首
(題不知) (読人不知)
二百七十 衣だになかに有りしはうとかりき あわぬよをさへへだてつるかな
(題しらず) (よみ人しらず・男の歌として聞く)
(恋する二人に・衣でさえ中間に有ったのは疎遠に感じた、逢えない男女の仲までも、隔てていたなあ……求めあう身と心に・衣なんて中にあったのは、うっとしかった、合わぬ夜さえ、隔てていたなあ)
言の心と言の戯れ
「衣…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「だに…でさえ…なんて」「なか…仲…中間」「うとかりき…疎遠だった…うっとしかった」「あわぬ…逢わぬ…逢えない…合わぬ…和合できない」「よ…世…男女の仲…夜」「よをさへ…夜をまでも…夜、お、さ枝…夜のおとこを」「つるかな…(隔てて)しまっていたなあ」「つる…つ…完了した意を表す」「かな…であることよ…のだなあ…感動を表す」
歌の清げな姿は、人の身と心を被う衣でさえ、恋する二人には、仲を隔てる邪魔物だった、互いに、ほんとうの心も身も見たい。
心におかしきところは、今は、生まれたままの姿になった、身も心も合体し、和合できるなあ。
(題不知) 大伴坂上郎女
二百七十一 くろかみにしろかみまじりおふるまで かかる恋にはいまだあはざる
(題しらず) (大伴坂上郎女・大伴家持の叔母)
(黒髪に白髪まじり生えるまで、このような・初老の、恋には未だ出逢っていない・初めてよ……若き女に白髪が混じり生えるまで、このような・久しい、恋に未だ出遭っていない・出遭いたい)
言の心と言の戯れ
「くろかみ…黒髪…若い女」「かみ…神…髪…言の心は女」「しろかみまじり…白髪混じり…初老となる」「おふる…生える…万葉集では、老い至る…老いる…(おいる)…極まる…感極まる」「かかる…このような…自らの恋のこと…他人の恋のこと」「あはざる…出遭ってない…初めてだ」「ざる…ず…打消の意を表す…ない…願望を表すことがある…(遭わ)ないかなあ・(出遭い)たいなあ…拾遺集では、あはざるに…出遭っていないので・出遭いたい」「に…願望を表すことがある」
歌の清げな姿は、若い頃より初老までの、久しき恋は、未経験。
心におかしきところは、このような恋に、出遭いたいなあ。
この歌は、万葉集巻第四、相聞歌。太宰大監大伴宿祢百代の恋歌に答えた歌。原文は、
黒髪二 白髪交 至耆 如是有恋庭 未相尓
彼女が憧れたらしい柿本人麻呂の妻の恋歌が、同じ巻の人麻呂との相聞歌に有る。その歌をぜひ聞いてみよう。
柿本朝臣人麻呂妻歌一首
君が家にわが住み坂の家路をも われは忘れじ命死なずば
(君の家に、わたしが住み、坂のある家路さえも、わたしは忘れない、命死なないならば……貴身が、井へ、我がす、見、山ばへの・坂、井へ路、おも、わたしは忘れない、命ある限り)
言の心と言の戯れ
「君…貴見…貴身…おとこ」「家…いへ…言の心は女…井辺」「井…言の心はおんな」「住み…す身…おんな…す見」「す…洲…棲…言の心はおんな」「見…覯…媾…まぐあい」「坂…山路…山ばへの路…絶頂への山坂…坂上…大伴坂上郎女の住んだのは同じ地域か」「路…道…通い路…言の心はおんな」「をも…添加を表す…さえも…おも…おとこをも」
この歌は柿本朝臣人麻呂歌三首に答えた歌。その人麻呂の一首は、
未通女等が袖振山の水垣の 久しき時より思いき我は
(乙女らが袖振る山の、瑞垣の神世の久しき昔より、貴女を・思い続けてきた、我は……おとめらの、身の端振 る山ばの、女の領域の久しき時間、絶えることなく・思っていた、我は)
言の心と言の戯れ
「未通女…おとめ…未婚の若い女」「袖…衣の袖…心身の端…身の端」「山…山ば…山坂…感の極み」「より…起点を表す…経過を表す」「水垣の…瑞垣の…神世の…久しさの誇張表現」「の…比喩を表す」
羨ましくも、憧れてしまう、恋の相聞歌(清げに包装して贈答する歌……相互に心の内を表現し聞き合う歌)である。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。