■■■■■
帯とけの拾遺抄
和歌の表現様式は平安時代の人々に聞き、藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
歌の言葉については、清少納言の「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」(枕草子)と、藤原俊成の「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕る」(古来風体躰抄)を参考とした。平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような解釈はあえてしない。
拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首
天暦御時歌合 忠見
二百二十八 恋すてふわがなはまだきたちにけり 人しれずこそおもひそめしか
(天暦四年内裏女房歌合) (壬生忠見・父は古今集撰者、壬生忠岑)
(恋しているという我がうわさは、早くもたってしまったことよ、人に知られず、思い初めたのになあ……乞いしているという我が汝は、その時でないのに、起ってしまったなあ、人知れず、思い初めたかあゝ)
言の心と言の戯れ
「恋…乞い…求め」「な…名…評判・噂…汝…親しいものをこう呼ぶ…わがもの」「まだき……早くも…まだその時でないとき」「たち…立つ…噂などが立つ…ものが立つ…起立す」「に…ぬ…完了した意を表す…しまった」「けり…気付き・詠嘆の意を表す」「こそ…特に強く指示する意を表す」「しか…き(の已然形、こその結び)…過去を表す…し・か…するか…したか…疑問を表す…したのになあ…したなあ…詠嘆を表す」
歌の清げな姿は、他人の恋の話しは伝播の速いこと。
心におかしきところは、男性のみ知る、その時ではないのに自立するわが貴身のこと。
兼盛
二百二十九 しのぶれどいろにでにけりわがこひは ものやおもふとひとのとふまで
(平兼盛・村上の御時に平の姓を賜り臣に下った人)
(忍ぶけれども、顔・色に出てしまったかあ、我が恋は、もの想いでもしているのかと、他人が問いかけるまでに……耐え・忍べども、白・色に出てしまったかあ、我が乞いは、いま・もの思ったでしょと女が詰問するまでに)
言の心と言の戯れ
「しのぶ…忍ぶ…秘密に…耐え忍ぶ…我慢する」「いろ…色彩…色香…色情…おとこの色情の色…白…果ての色(これが女の詰問の源因)」「にけり…(出て)しまったことよ…完了+詠嘆を表す」「こひ…恋い…乞い…求め」「ものやおもふ…思い悩む…夢想する…頂点・限界を思う」「ひと…人…他人…女」「とふ…問う…質問する…詰問する」「まで…限度を表す…程度を表す」
歌の清げな姿は、恋いすれば、何とも言えない色が顔に限らず容色に表れる。もの想いか悩みごとかと問われるほどに。
心におかしきところは、奥深き男女の情の山ばの一瞬のできごと。そのあと男は「いけ」の底に沈むのを避けられない。女は「どうしたの、何を思っているのよ」と詰問する。
両歌は、天徳四年(村上の御時、960年)三月三十日(夏)に行われた「内裏女房歌合」の最後、二十番目で対決した。
「左方」(臣と内裏女房合わせて三十六人)は、「恋」という題で頼んでおいた「歌人」忠見の歌を提示した。右方(同数)は、同じ題の兼盛の歌を提示した。「講師」が読み上げ、「判者」が、どちらの方の「勝」か「持(引き分け)」かを決める。判者の左大臣実頼(公任の祖父)は、左右の歌ともに優秀で勝劣判定不能、「持」としたが、勅に云う、たしかに各々美麗な歌であるがやはり勝劣を判定せよと。監査役を窺うと、(空気を読め、女どもには兼盛の歌の方が受けている)正確な判定は我慢しろ、忍ぶのじゃ、しぶの方じゃと上の御口元は仰せになられいるご様子であらせられるぞと言っているご様子。そんなわけで、右方「しのぶれど」の勝ちと判定したのだとか。おかげで、その場の空気も損なわす、負け方の女房達も納得でき、忠見も難じられることのない、判定ができたと実頼が後に述べたということである。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。