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帯とけの拾遺抄
藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
歌の言葉については、清少納言枕草子「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。
平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。
拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首
(題不知) 人丸
二百六十 あさねかみ我はけずらじうつくしき 人のたまくらふれてしものを
題しらず (柿本人麻呂・歌のひじり)
(朝のねぐせ髪、我は櫛梳ったりしない、愛しい、あの人の手巻くら、そのとき・触れた、よきものだからなあ)
万葉集の原文は、朝宿髪 吾者不梳 愛 君之手枕 觸義之鬼尾
言の多様な意味
「ねかみ…宿髪…ちじれ髪…(寝)ぐせ髪」「けずらじ…不梳…櫛梳らない」「うつくしき…美しい…愛…愛しい」「人…女…君(男女に用いる)」「たまくら…手枕…手巻くら…かいな巻きつける状態」「ら…状態を示す」「てし…義…意義ある…良き」「ものを…のに…のだからなあ…感動の意を表す」
この歌は、万葉集巻第十一の「正述心緒」とある歌群にある。比喩表現や誇張表現をあえてしない。心緒(その心の発端・糸口)を正しく、余すことなく述べ尽くされてある。作者の心がそのまま、聞き手の心に伝わる。新鮮な感じさえする。
物に寄せて思いを陳述する歌は、「寄物陳思」として、別の歌群にある。
(題不知) (人丸)
二百六十一 かくばかりこひしき物としらませば よそにぞ人をみるべかりける
題しらず (柿本人麻呂・歌のひじり)
(これ程恋しいものと、知っていれば、遠く・他所でだ、あの人を拝見していればよかたっなあ・合い見ずに)
言の多様な意味
「かくばかり…是ほど」「こひしき…恋しき…乞いしき」「よそ…遠く隔たった所…他所」「みる…見る…拝見する」「見…覯…媾…まぐあい」「べかりける…(拝見しているのが)適当だったことよ…(拝見している)べきだったなあ」
此の歌も万葉集巻第十一「正述心緒」の歌である。柿本人麻呂歌集出の歌に含まれている。
原文は、是量 恋物 知者 遠可見 有物
これだけの文字に、恋求める男の心情が余すところなく述べられてある
漢字表記の歌を、上のように訓読したのは、「後撰集」撰者たち、梨壺の五人である。その中には清少納言の父、清原元輔もいた。男の言葉(漢字)には、多様な意味と読みが有り、「聞き耳異なるもの」であると、清少納言の言うことがよくわかる。
ついでながら、万葉集巻第十一「寄物陳思」には、百人一首に入る、次のような歌がある。
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
(あしひきの山鳥の尾のし垂り尾のように、長い永い、秋の・夜を、独りでか、寝るのだろうか……あの山ばの女のしりながの、枝垂れおとこの、永い永い夜を、朝まで・一人一人かなあ、寝ませんか)
原文は 足日木之 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨将宿
言の心と言の戯れ
「山…山場…感情の山」「鳥…言の心は女」「尾…後…あと…しり」「尾…お…おとこ」「しだり尾…枝垂れお…尽き果ておとこ」「ひとり…独り…一人…一人一人」「かも…疑いの意を表す…詠嘆の意を表す」「む…推量の意を表す…適当の意を表す…そうした方がいいのでは…勧誘の意を表す…そうしませんか」
今では、人麻呂の歌の「心におかしきところ」が全く消え失せているのである。言の心を心得ず、言の戯れを見失ったためである。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。